新宿・歌舞伎町の「シネシティ広場」、通称「トー横」地区。行き場のない子ども・若者たちがどこからともなく集まって来るようになり、今や全国的に有名なエリアとなった。こうした「界隈」と呼ばれている場所は「トー横」に限らず、大阪府の「グリ下」、愛知県の「ドン横(愛知)」、神奈川県の「ビブ横」など、主要な都市のあちらこちらにある。
若者たちは何を思い、「界隈」に集っているのだろう。ジャーナリストの渋井哲也氏がレポートする。
師走の東京・歌舞伎町――。
悪質なホストクラブの顧客への売掛や、新大久保などで個人売春をする、いわゆる「立ちんぼ」の女性たちが問題となるなど、混沌としている。さらにもう1ヵ所、今や全国的に有名なエリアとなった新宿・歌舞伎町の「シネシティ広場」。通称「トー横」地区がある。
いつしかこの場所は、行き場のない子ども・若者たちがどこからともなく集まって来るようになった。特に週末や長期休暇になるとその数は増える。
トー横に集う若者たち(渋井氏提供)
12月の寒空の下、トー横では複数の若者がいくつかのグループになり、地面に段ボールを敷いて、談笑をしたり、地面に転がったり。近くには酒の空き缶とタバコの吸い殻が落ちていた。
最近、”界隈”で問題となっているのは市販薬の過剰摂取(以下OD)だ。
筆者も今年9月、市販薬の過量摂取をして一時入院したことのある女性と出会った。
大阪府出身でフリーターのミユ(仮名・20歳)。彼女と一緒にいたのは同世代のユウト(仮名・19歳)、福岡県の出身だった。
二人はインタビューの1週間前に知り合ったという。ミユが福岡・博多にある警固(けご)公園を訪れたことがきっかけだった。トー横同様、行き場のない子ども・若者が九州各地から集まる場所で、集まる人々のことを”警固界隈”と呼ぶ。
ミユは肩まで伸びた青い髪の毛をツインテールに結び、青いロリータファッションに身を包んでいた。口にはピアスも開いており、人懐っこそうにゆっくりと話す口調が印象的だった。
だが、彼女は他人を信じていない。特に大人への不信感は根深い。
「信用できる大人はいませんでした」(ミユ)
父親からの虐待と無関心な家族、いじめ、家出、そしてOD……彼女の口から筆者に語られたのは、あまりにも悲しい人生だった。
ミユはトー横に来るまでは、福岡のほか、大阪など各地の通称”界隈”と呼ばれる場所に出入りをしてきた。前述のトー横や警固もその一つだ。
”界隈”の共通点は、行き場のない子ども・若者たちが集まる場所ということ。
ミユが最初に訪れたのは、大阪・ミナミにある「グリコ」の看板下の遊歩道エリア、通称”グリ下界隈”だったのだ。中学3年生のときのことだ――。
「最初は知り合いがいないので友達と二人でグリ下に行ったんです。そしたら、知らない人たちから話しかけられました。そこにいる人たちの仲間に入れる自信はありました。二人だったし、なんとか大丈夫でした」(ミユ)
そうしてその”界隈”に溶け込んでいった。
だが、彼女は関西弁を話さず、大阪特有のノリを感じることも少なかった。
「こっち(東京)に住んでいるからですかね。東京では自分も(大阪のように)ノリノリじゃないんです。でも、久しぶりに大阪へ行く用事があって、グリ下にも行ったんです。……めちゃめちゃ怖かった」(ミユ/以下「」も)
かつてミユが出入りしていた当時とは、雰囲気が変わっていた。そのため、今は少し距離を置いているという。
それでも彼女は各地の”界隈”を訪れることをやめようとはしない。
そもそもなぜ、彼女は”界隈”に足を踏み入れることになったのだろうか。
「学校には友達いないから。界隈に行って、同じ系統の友達が欲しかったんです」
ミユのいう”同じ系統の友達”とは、同じ境遇で悩んでいる友達ということだ。そこにはミユの境遇が大きくかかわっている。筆者が尋ねると、表情をかえることなく、ゆっくりと話し始めた。
「もう今は、ほとんど、家族とは関わっていないんです。父親は怒鳴るし、殴るんです。なんでか、理由はわからない。殴られたらどうしようもない。なので実家にいた時は部屋にこもって、おとなしくしているだけです」
ミユは長期間にわたり、父親から身体的虐待を受けてきた。
家族の中で殴られるのはミユだけ。同居する家族では暴力を止めることはできず、母親も祖母も彼女のことを守ることができずにいた。
「始まったのは小学校低学年……幼稚園とかかな。その頃には身体中、いつもあざだらけだったような気もします。父親が『子どもを殴る人』という話は周囲も知っています。でも、家族からも親戚からも『何もできへん』と言われていました。殴られても、母親も祖母は見ているだけしかできない。誰も私のことを助けてくれなかった」
父親がミユのことを虐待している、という話は親戚中も知っていた。だが誰かが児童相談所や警察に通報した形跡はない。「父親には手出しをしないほうがいい」という判断を大人たちはしたのだろう。
荒れる家庭の一方で、学校での生活はどうだったのか。
「小中学校ではいじめに遭っていました。先生には相談しましたが、結局、何もしてもらえないままでした。中学校の時でしょうか、いじめっ子が私の机の上にクモを置いたのを覚えています。私が悲鳴を上げると、先生もそれを見て笑っていました」
ミユのクラスは荒れており、学級崩壊の直前。そのため、中2の時にはクラスに行くことは諦め、別室登校をするようになった。
父親からの虐待もそうだが、学校でのいじめも一緒だ。
誰かが、大人がミユのことを助ける、といった適切な介入がなされてこなかった。そのため冒頭の言葉のように、信じられる大人がいないのも当然だ。
ようやくミユが児童相談所に保護されたのは、高校に入ってからとなる――。
続編記事『父親の乱暴から逃れるために、気づかれないよう「そっと自分の部屋へ」…21歳女性の「深刻すぎる告白」』では、彼女が明かした“切実な思い”に迫ります。
取材・文/渋井哲也(ジャーナリスト)