ヤバいヤバいヤバいヤバい! 「バカ女、殺す」「包丁で首切って殺す」…現役介護施設職員が体験した“恐るべき一夜”

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〈「虐待は絶対にやっちゃいけないけど…」現役介護施設職員が明かす、利用者の“恐るべき行動”と介護する側の“本音”〉から続く
幻覚や妄想で他の入居者を泥棒扱いする、他の部屋に勝手に入り込む、暴言を口にしたり、暴力をはたらく……。認知症はしばしば「妄想」を併発するため、通常の介護よりも一層気を使わなければならないことがしばしばあるという。いったい現場では、どのようなトラブルが発生しているのか。
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ここでは、認知症介護のグループホームで働く畑江ちか子氏の『気がつけば認知症介護の沼にいた。』(古書みつけ)の一部を抜粋。同氏が施設で体験した入居者との壮絶なエピソードについて紹介する。
◆◆◆
1時間前は普通にトイレに行っていたとしても、その30分後には息をしていない可能性もある……高齢者とは、そういう人たちである。なので、夜勤者には「巡回」という大切な仕事がある。
定時に利用者の各居室を回り、皆の安否や変わったことがないか確認していくのだ。時間の間隔は施設によって様々だと思うが、うちの施設では、1時間に1回、巡回をしていた。
巡回ではベッドに横になっているのを確認するだけでなく、呼吸状態もしっかりと確認しなくてはならない。寝息が静かな人は鼻に手を近づけ、息をしているか確かめる。それが規則正しい呼吸かどうか、苦しそうではないか……9名全員の状態を、その日の夜勤者が責任を持って見守り続ける。
この巡回をサボり、朝になって亡くなっている人に気がついた……という事故が、過去に実際あったらしい。なので最初の頃、私は1時間に1回では不安で、30分に1回は巡回に出てしまっていた。しかしそれは利用者の安眠妨害にもつながるし、他の仕事もできなくなってしまうのでやめた。
巡回は21時~翌朝5時まで、合計9回ある。
この日、私は最後の5時の巡回に出た。
よしよし、皆ぐっすり寝ている……呼吸状態も異常なし。
あと2時間もすれば、順番に起きてもらわなくてはならない。それまでゆっくり眠っていてね……と、私は各居室を回っていった。
AFLO
次はお餅大好きな外国人利用者、ヨウさんの部屋だ。
ドアの取っ手をそっと掴み、音を立てないよう静かに扉をスライドさせる……。すると、ヨウさんはベッドではなく、その向かいにあるタンスの前でうずくまっていた。
え!? どうした!? もしかして、具合が悪い? いや、転んだのか……!?
心臓をバクバクさせながらよく見ると、彼はタンスの一番下の引き出しを全開にし、その中にしゃがみ込んでいる。
そして、そこにおしっこをしていたのだ……。
私は迷った。そこはトイレではないのだけれども、彼はいま排泄の真っ最中、つまり超プライベートな時間だ。そこでいきなり声をかけたら、イヤな気分にさせてしまうかもしれない。
見た通りヨウさんは生きていたわけだし、このままスルーして立ち去り、タンスの中はあとで掃除すればいいのではないか……。
けれど、このままタンスの中に用を足すというルーティンがヨウさんにできてしまった場合、衛生面が非常に悪いまま生活を送ってもらうことになってしまう。
もよおしたら、トイレに行ってもらう。ヨウさんの生活の質と健康を維持するためにも、ここはやはり声をかけるべきであると私は判断した。
「ヨウさ~ん、こんばんは……変な時間にごめんなさい、あのですね、タンスの中にはおしっこをしないでほしいんですよ。そういうときはトイレへ……」
「あ!?」
そのとき、私は判断を間違えたのだと悟った。
ヨウさんは鋭い眼光でこちらを睨みつけると、高齢者とは思えない光のような速さでズボンを上げ、手近にあった折り畳み式のパイプ椅子を掴んだ。
私はすぐさまドアを閉めて逃げた。
しかし、数秒もしないうちにそのドアは勢いよく開いた。
そして、ヨウさんが椅子を振り回しながら追いかけてきたのである。
「バカ女、殺す」
ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい! どうしよう!!
「包丁で首切って殺す」
……トイレで用を足して下さいってお願いしただけで死刑判決ですか、私!? しかも、結構苦しそうな殺り方!!
「ヨウさんごめん、私が悪かった! 大丈夫、なんでもないから気にしないで! 忘れて!」
「殺す!」
「本当にごめん! 怒らないで! 殺さないで!」
「……@*%#>……$#+*&%@……」
後半はヨウさんの母国の言葉だったので、何を言っているのかわからない。それが死ぬほど怖かった。
私は内線で上のフロアの夜勤者に助けを求めようとした。
しかし、ようやくリビングまで逃げ延びても、ヨウさんに回り込まれたりフェイントをかけられたりして思うように進めない。加えて、テーブルや椅子が進路の邪魔になり、電話機が置いてある場所までなかなかたどり着けないのだ。
ヨウさんはめちゃくちゃ執念深かった。
眼光は一瞬たりとも鋭さを失わず、その腕は疲弊など知らぬといった様子でパイプ椅子を振り回し続けた。しかも、私を追いかけリビングを5周くらい走り続けているのである。
子どもの頃、プロレス会場でタイガー・ジェット・シンにヤジを飛ばしたら、リングの下を5、6周追いかけられたという知り合いがいたが、彼は「あのときはマジで殺されるかと思った」と声を震わせていた……。その気持ちが、私はこのときようやくわかった。
どうすればいい、ちか子! 考えろ、考えろ、考えろ……!
……このときの私の脳の回転速度は、日本が誇るスーパーコンピューター「富岳」の計算速度と同じくらいだったと思う。
私はヨウさんにフェイントを返し、一瞬の隙を突いてキッチンカウンターの内側へと入った。
ここに入ってしまったら袋のネズミ……私の作戦は賭けであった。これが失敗すれば、小生はあえなく斬首。数時間後に出勤してくる日勤職員が悲鳴をあげる事態になってしまう。
けれど、今の状況で生存の可能性が一番高いのは、これしかない!
私は冷蔵庫を開けてジュースのペットボトルを取り出した。「ヨウさん、ほら見て! ジュース! ジュースだよ!」 ……ヨウさんの動きが、ピタリと止まる。 勝機! 一気に畳みかける!「さっきはね、ヨウさんにジュース飲まない? って誘いに行ったの! 用意するからちょっと待っててね!」 笑顔を崩さないようにして、棚から手探りでコップを取り出す。ヨウさんからは片時も目を離さず、コップに「充実野菜」を注ぎ入れる。「はい、どうぞ!!」「……」 ヨウさんは、パイプ椅子をガシャンと床に放った。 そして私の手から「充実野菜」をひったくると、そのまま一気に飲み干した。「日本人の女、一番バカ」に垣間見るヨウさんの心の闇「日本人は皆バカ。お前もそう。女だから一番ダメ。日本人の女、一番バカ。バカで汚い」 ……その汚いバカからもらったジュースは全部飲むんかい! と「充実野菜」のペットボトルでスパーンと側頭部にツッコミを入れたくなったが、そこはグッと我慢した。 多分、ヨウさんは日本にいい思い出がないのだ。 日本がバブルだった頃に来日し、魚の缶詰工場で働き始めた彼は、言葉の壁や外国人に対する差別で心を病み、仕事が続けられなくなったらしい。 しかし身内の紹介で知り合った同郷の女性と結婚したのをきっかけに、今度は魚屋の自営に踏み切る。ここでも同じような理由で精神の健康を損ねたらしいが、奥さんに支えられながらなんとか仕事を続け、子どもたちを育てていったそうだ。 母国の両親にお金を送るため、ヨウさんはその心を削って日本に残る選択をし続けた。 けれど、私だって「日本人の女は一番バカで汚い」なんて言われれば、彼のその半生をガン無視して「バカって言う奴が一番バカなんだよ!」と言い返したくもなる。大変な人生だったのだとは思うが、それとこれとは話が別だ。 ……もしかすると、特に日本人の女性に、めちゃくちゃイヤな思い出があるのかもしれない。彼も「お前の国の奴は皆バカ。そして汚い」と、罵られたことがあるのかもしれない。 だとすれば、ヨウさんの心を一番傷つけたであろう言葉で、また人を傷つけるというのは、なんとも悲しく、辛い連鎖であるとも感じた。「バカな女」 ヨウさんはそう吐き捨てると、コップを床に放り投げて、居室に戻って行った。 外は、もうすっかり明るかった。この朝日が拝めたことを、私は心の底からうれしく思ったのだった……。 その後、ヨウさんの怒りがぶり返すことはなかった。 朝食のサバの塩焼きを「俺魚好き! うれしい!」とニコニコしながら食べ、自分の席でちぎり絵に熱中し、ゴミ捨てを手伝ってくれたりもした。 ヨウさんは力持ちなので、力仕事をお願いするといつも快く引き受けてくれる。私はゴミ捨て場からの帰り道、「ヨウさんがいてくれて本当に助かったよ」とお礼を言った。「俺、まだまだ力ある。日本人の男より力ある。だから、いつでも言って」 ……基本的には優しいんだよなぁ、この人……。私は「うん、またお願いしますね」と返事をしたが、いつものように上手く笑えている自信はなかった。(畑江 ちか子/Webオリジナル(外部転載))
私は冷蔵庫を開けてジュースのペットボトルを取り出した。
「ヨウさん、ほら見て! ジュース! ジュースだよ!」
……ヨウさんの動きが、ピタリと止まる。
勝機! 一気に畳みかける!
「さっきはね、ヨウさんにジュース飲まない? って誘いに行ったの! 用意するからちょっと待っててね!」
笑顔を崩さないようにして、棚から手探りでコップを取り出す。ヨウさんからは片時も目を離さず、コップに「充実野菜」を注ぎ入れる。
「はい、どうぞ!!」
「……」
ヨウさんは、パイプ椅子をガシャンと床に放った。
そして私の手から「充実野菜」をひったくると、そのまま一気に飲み干した。
「日本人は皆バカ。お前もそう。女だから一番ダメ。日本人の女、一番バカ。バカで汚い」
……その汚いバカからもらったジュースは全部飲むんかい! と「充実野菜」のペットボトルでスパーンと側頭部にツッコミを入れたくなったが、そこはグッと我慢した。
多分、ヨウさんは日本にいい思い出がないのだ。
日本がバブルだった頃に来日し、魚の缶詰工場で働き始めた彼は、言葉の壁や外国人に対する差別で心を病み、仕事が続けられなくなったらしい。
しかし身内の紹介で知り合った同郷の女性と結婚したのをきっかけに、今度は魚屋の自営に踏み切る。ここでも同じような理由で精神の健康を損ねたらしいが、奥さんに支えられながらなんとか仕事を続け、子どもたちを育てていったそうだ。
母国の両親にお金を送るため、ヨウさんはその心を削って日本に残る選択をし続けた。
けれど、私だって「日本人の女は一番バカで汚い」なんて言われれば、彼のその半生をガン無視して「バカって言う奴が一番バカなんだよ!」と言い返したくもなる。大変な人生だったのだとは思うが、それとこれとは話が別だ。
……もしかすると、特に日本人の女性に、めちゃくちゃイヤな思い出があるのかもしれない。彼も「お前の国の奴は皆バカ。そして汚い」と、罵られたことがあるのかもしれない。
だとすれば、ヨウさんの心を一番傷つけたであろう言葉で、また人を傷つけるというのは、なんとも悲しく、辛い連鎖であるとも感じた。
「バカな女」
ヨウさんはそう吐き捨てると、コップを床に放り投げて、居室に戻って行った。
外は、もうすっかり明るかった。この朝日が拝めたことを、私は心の底からうれしく思ったのだった……。
その後、ヨウさんの怒りがぶり返すことはなかった。
朝食のサバの塩焼きを「俺魚好き! うれしい!」とニコニコしながら食べ、自分の席でちぎり絵に熱中し、ゴミ捨てを手伝ってくれたりもした。
ヨウさんは力持ちなので、力仕事をお願いするといつも快く引き受けてくれる。私はゴミ捨て場からの帰り道、「ヨウさんがいてくれて本当に助かったよ」とお礼を言った。
「俺、まだまだ力ある。日本人の男より力ある。だから、いつでも言って」
……基本的には優しいんだよなぁ、この人……。私は「うん、またお願いしますね」と返事をしたが、いつものように上手く笑えている自信はなかった。
(畑江 ちか子/Webオリジナル(外部転載))

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