―[家族に蝕まれる!]―
「つい先日わかったのですが、祖母が私を探しているらしいんです。本当に困ったなと思って」 看護師の山本愛夢氏(20代)は、やや声を潜めてそう話した。現在は祖母との直接のやり取りはなく、親戚を介して情報が伝わってくる。
山本氏が祖母と母親と暮らしていたのは、10年以上前まで。その後、「祖母に殴られるあなたが可哀想だから」という理由で、母親は祖母との別居を決めた。
◆祖母から、そして母からも暴力を受けていた
「私が看護学校に入学したことは祖母に伝わっています。それからは音沙汰がありませんでした。祖母が役所で戸籍を取り寄せた際、私の転籍を知ったようでした。それで現在住んでいる役所までわざわざ来て調べようとしたのだと思います。ただ、もちろん役所は個人情報を渡さないので、しらみ潰しに役所周辺の病院を訪ね歩いたらしいのです」
祖母の暴力から娘を遠ざけた母親。だが山本氏は、他ならぬその母親から暴力を受けて育った。
「母はシングルマザーで私を育てました。今よりも世間で片親の存在が受け入れられていなかった時代なので、私が他所様に対して失礼がないよう厳しくしていたのだろうなというのは幼い私でもわかりました。殴る蹴るは日常茶飯事で、虐待だと感じたことはありません。躾だから当然と思っていました」
◆何度も児童相談所のお世話になっていたが…
虐待の事実は、たびたび第三者によって指摘されている。たとえば、こんな具合だ。
「小学校低学年のとき、母から首を絞められました。その際、首に母の爪が食い込んで傷ができたのを発見した担任が児童相談所に通報したようです。このときのことは記憶が曖昧ですが、しかし何事もなくまた普段の生活に戻りました。
その数年後、身体にアザがあるのを見つけた当時の担任によって、また児童相談所に通報されました。このときは私と相談所の方で個別面談をし、母とも個別で面談が行われました。結果、『躾の範囲内』だとされました。その後も私の泣き声などが理由で近所の人から通報されたりはありましたが…」
◆虐待されても「母を絶対視していた」理由
当時の心理について、山本氏が口にする言葉は興味深い。
「あのとき、いろいろな立場の人たちが私を守ろうとしてくれたのは今なら理解できます。ただ、当時の私は、『ママと違う意見を言う大人がいたら、それはその人が間違っている』と思うくらい母を絶対視していました。
確かに暴力を振るわれていたけど、それは社会の視線が厳しい片親育ちの惨めさを味わわせたくないという母なりの愛情だし、母は私を育てるために誰よりも真面目に働いているんだから――本気でそう思っていたんです。私と母にしかわからない事情があるのに、外野がどうして母を批判するんだろう、くらいには考えていました」
実際、山本氏の母親が子育てをする際に絶えず口にしていた言葉がある。
「『他所様に恥ずかしくないように』『ちゃんとしなさい』とは、事あるごとに言われていましたね。そのための躾という側面も、事実あったとは思います。母は母なりに、私が世間から見下されないように、すごいプレッシャーの中で子育てをしているんだろうなというのは伝わってきました」
◆「親に殴られた」同級生の話を聞いて…
虐待されているという事実を誰から伝えられても心底から納得していなかった山本氏は、たとえば友人関係においても“ズレ”と体感することになる。
高校時代に山本氏は児童相談所へ繋がり、その後は母と離別する。端緒は当時の担任に「今日、死のうと思う」と相談したことだった。母からの暴力を苦にした相談かと思えば、「それは違う」と山本氏はかぶりを振る。
「おそらく仕事のストレスで、母が体調を崩していたんです。母はそれを『あなたのせいでこうなった』と言っていました。大好きな母を、私が苦しめているという現実が辛かったんです。当時は、母から離れなければという思いが強かったです。
施設に入所することで、徐々に自分が母から受けたことが“虐待”だったと受け入れることができたのですが、当時『虐待されているから助けてほしい』なんて微塵も思っていませんでした」
◆母に「愛情はあった」とは思うものの…
高卒時、看護師学校に入学するため、アルバイトで100万円を貯めた。無事に看護師資格を取り、山本氏は現在も医療現場の前線に立つ。それに加えて、「社会的養護」と呼ばれる、何らかの理由で実の親と暮らせない子どもたちを支援する活動にも参加している。
山本氏は、愛情というものの本質をこう捉えている。
「母に愛情があったかといえば、間違いなくあったと思います。ただ、愛情は暴力にさえ化けるのだと私は思っています」
人生が“人並み”から外れたと焦れば、どこかに力みが生じる。本来不要なその力は愛情さえ変質させ、家族を歪める末路に通じてしまうのかもしれない。
<取材・文/黒島暁生>
―[家族に蝕まれる!]―