《定年後の新たな選択》逃避か修行か、増加する60歳をすぎてからの「老後出家」の現実

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厚生労働省の発表によると、2022年度の日本人の平均寿命は男性が81.05歳、女性が87.09歳。100歳以上の高齢者は9万人超えで、52年連続で増加している。まさに“人生100年時代”の到来といえるだろう。
【写真】僧侶になるために受ける『得度式』の様子 また、’25年には企業の65歳以上の雇用確保が義務づけられ、定年退職後の“第2の人生”も働き続けることが当たり前の社会になってきた。第2の人生に“出家” しかし、そんな生活に背を向けて、己を見直す宗教の道、いわゆる“老後出家”を選ぶ人が増えているという。

「今までの生活を変え、違う自分を見いだしたいという方からの問い合わせが多いです」 こう語るのは、京都・臨済宗妙心寺派の宗門活性化推進局の久司宗浩顧問。’13年から『第二の人生プロジェクト』を立ち上げ、定年退職した人の出家を支援してきた。「’12年くらいから準備を始めまして、’13年から本格的にプロジェクトを開始しました」(久司さん、以下同) 宗門が、なぜ積極的に出家を支援するのか? 久司さんはその理由をこう話す。「2つの理由があります。ひとつは、われわれの宗派、妙心寺派のお寺が全国に約3300か所あるのですが、そのうち約1300か所のお寺に住職がおられない。 今のままでは、このようなお寺が増えていってしまうだろうということで、そういったお寺の留守番をしつつ、地域の方たちと交流していただける方をリクルートできないだろうかと。 もうひとつは人生100年といわれる時代、“猛烈社員”としていかにお金を稼ぐかという生活を送ってきた方たちに、宗教的な価値観で自分というものを見つめ直す人生を送っていただいたらどうだろうか、というご提案からです」 寺の住職というと、親から子へ代々世襲して寺を継いでいくイメージが強いが、現在は後継者不足の問題が大きいという。 だが仏門にまったく縁がなかった人が、新たに僧侶になるために修行するとなると、ハードルが高いのではないだろうか?「妙心寺派の住職になっていただくため、それこそお寺の子どもさんが修行に行かれる場所は肉体的にも大変なところになります。 同じことを60代の方に、というのは厳しいので、年に何回か京都の妙心寺で行う研修会に参加していただいたり、兵庫県姫路市にある龍門寺というお寺に1年間住んで、修行していただくシステムを作りました」 ここでは高齢者だけが龍門寺の住職の指導のもと、禅僧としての基本的な修行をするのだという。その内容は、「特別なものではありません。日常生活の中で、朝、みんなと一緒に起きてお勤めをし、お経を読んで座禅をしたり。日中はお寺の掃除をしたりとか、そういう日常生活を通じて身体で覚えていくものです。 本を読んで勉強するという学問的なことも大切ですが、それ以上に日常生活の中での所作をしっかりと確立していくことが、いちばん大事なことなんです」 住職になる資格を得るためには、髪を剃り、戒めを守ることを誓う『得度』を受ける必要がある。 だがそこまで本格的ではなく、単に座禅をしたいとか、お経を読みたいという宗教的な生活を求める人には、寺の留守番として活動をすすめていると久司さんは話す。 この10年間で、600人ほどが問い合わせてきた『第二の人生プロジェクト』。そのうち、真剣に取り組んだ人は約200人で、出家まで至ったのは60人ほど。住職の資格を得た人は10人で、それ以外に留守番という形で寺に入っている人が10数人いるという。学問としての仏教と出家はまったく違う その中の1人、横山文由さんは’15年にプロジェクトに参加して得度した。現在は住職のいない長野県飯山市の正受庵で留守番をする、いわゆる看坊職に就いている。 会社員時代は化学メーカーに40年勤めていた横山さんは、在職中から仏教に興味があったと話す。「’13年に定年退職をしまして、私は地元が東京の町田市なのですが、『東京国際仏教塾』という仏教の基礎を学べる塾へも通いました」(横山さん、以下同) このときはまだ、出家までは考えてはいなかった。「学問としての仏教を求めるのなら、出家する必要はないんです。初めは学問としての仏教を学びたい、ということがいちばんでした。でも学んでいくうちに、自分の中で何か違うなと思い始めまして。 お寺に入るかどうかは別として、仏教を極めるのなら出家しなくてはダメだなと思いまして。そんなとき、新聞の記事で妙心寺の『第二の人生プロジェクト』を知ったんです」 出家し修行していくうちに、頭でわかることと実際に体験することは違うのだ、と意識が変わってきたという横山さん。「実際に修行することによって、座学で学んだことをちゃんと理解し、体得できるのだとわかってきたんです」 このことを痛感したのが、同じ時期にプロジェクトに参加した人が、得度して2か月で辞めてしまったのを目の当たりにしたことだった。「その人は私よりも勉強家で、仏教について、ものすごく学んでいました。得度して修行に入れば、もっと座禅ができると思っていたらしいのですが、実際はそんなに座禅の時間はないんです。食事や掃除、起きて寝るまでのお寺の生活、すべてが修行なんです。 彼にとっては修行=座禅だったのでしょう。こんな生活では意味がないと、せっかく得度したのに辞めてしまいました」 仏教に対しての“思い”は人それぞれ。前出の久司さんは、甘い考えで出家について問い合わせてくる人もいる、とこう話す。逃避が目的の出家では長続きしない「問い合わせで、特に40代後半とか50代の方に多いのですが、今の生活が苦しいから、仏教の世界に逃げることを目的にした方もいらっしゃいます。“出家すれば自由になれる”“僧侶になれば暮らしていける”と誤解されているのかなと。 出家するための研修会には実費負担で参加していただいていますし、衣を購入したり、いろいろな経済的な負担はご自身にお願いしています。 留守番をお願いしているお寺から、何か手当が出るということもありませんし、経済的な部分はフォローできません。このような見返りを求めて出家されても、長続きはしないと思います」 今の社会からの逃避が目的の人は、仏門に入ってもそこで違う矛盾を感じるだけ、と久司さんは次のように続ける。「出家という言葉のイメージが、すべてから解き放たれるということなのかもしれませんが、決して楽な生活になるわけではありません。私たちは、あなたの心を自由にするお手伝いをするだけです、と問い合わせいただいた方に伝えています」 前出の横山さんに、これから老後出家を考えている人にアドバイスをお願いすると──。「難しいですね……。逆に“あなたは残りの人生をどうするつもりなの?”と聞きたいですね。何もすることがないからお坊さんにでもなろうか、ではダメだと思います。 第2の人生で出家という道を選ぶなら、自分の残りの人生をかけるくらいの本気で、仏教に向き合うということかな」 定年後の軽い手習いということではなく、これまでの人生を見直しつつ、新たな人生を模索する。楽に生きよう、と思っている人に老後出家は難しい選択なのかもしれない。(取材・文/蒔田 稔)
また、’25年には企業の65歳以上の雇用確保が義務づけられ、定年退職後の“第2の人生”も働き続けることが当たり前の社会になってきた。
しかし、そんな生活に背を向けて、己を見直す宗教の道、いわゆる“老後出家”を選ぶ人が増えているという。
「今までの生活を変え、違う自分を見いだしたいという方からの問い合わせが多いです」
こう語るのは、京都・臨済宗妙心寺派の宗門活性化推進局の久司宗浩顧問。’13年から『第二の人生プロジェクト』を立ち上げ、定年退職した人の出家を支援してきた。
「’12年くらいから準備を始めまして、’13年から本格的にプロジェクトを開始しました」(久司さん、以下同)
宗門が、なぜ積極的に出家を支援するのか? 久司さんはその理由をこう話す。
「2つの理由があります。ひとつは、われわれの宗派、妙心寺派のお寺が全国に約3300か所あるのですが、そのうち約1300か所のお寺に住職がおられない。
今のままでは、このようなお寺が増えていってしまうだろうということで、そういったお寺の留守番をしつつ、地域の方たちと交流していただける方をリクルートできないだろうかと。
もうひとつは人生100年といわれる時代、“猛烈社員”としていかにお金を稼ぐかという生活を送ってきた方たちに、宗教的な価値観で自分というものを見つめ直す人生を送っていただいたらどうだろうか、というご提案からです」
寺の住職というと、親から子へ代々世襲して寺を継いでいくイメージが強いが、現在は後継者不足の問題が大きいという。
だが仏門にまったく縁がなかった人が、新たに僧侶になるために修行するとなると、ハードルが高いのではないだろうか?
「妙心寺派の住職になっていただくため、それこそお寺の子どもさんが修行に行かれる場所は肉体的にも大変なところになります。
同じことを60代の方に、というのは厳しいので、年に何回か京都の妙心寺で行う研修会に参加していただいたり、兵庫県姫路市にある龍門寺というお寺に1年間住んで、修行していただくシステムを作りました」
ここでは高齢者だけが龍門寺の住職の指導のもと、禅僧としての基本的な修行をするのだという。その内容は、
「特別なものではありません。日常生活の中で、朝、みんなと一緒に起きてお勤めをし、お経を読んで座禅をしたり。日中はお寺の掃除をしたりとか、そういう日常生活を通じて身体で覚えていくものです。
本を読んで勉強するという学問的なことも大切ですが、それ以上に日常生活の中での所作をしっかりと確立していくことが、いちばん大事なことなんです」
住職になる資格を得るためには、髪を剃り、戒めを守ることを誓う『得度』を受ける必要がある。
だがそこまで本格的ではなく、単に座禅をしたいとか、お経を読みたいという宗教的な生活を求める人には、寺の留守番として活動をすすめていると久司さんは話す。
この10年間で、600人ほどが問い合わせてきた『第二の人生プロジェクト』。そのうち、真剣に取り組んだ人は約200人で、出家まで至ったのは60人ほど。住職の資格を得た人は10人で、それ以外に留守番という形で寺に入っている人が10数人いるという。
その中の1人、横山文由さんは’15年にプロジェクトに参加して得度した。現在は住職のいない長野県飯山市の正受庵で留守番をする、いわゆる看坊職に就いている。
会社員時代は化学メーカーに40年勤めていた横山さんは、在職中から仏教に興味があったと話す。
「’13年に定年退職をしまして、私は地元が東京の町田市なのですが、『東京国際仏教塾』という仏教の基礎を学べる塾へも通いました」(横山さん、以下同)
このときはまだ、出家までは考えてはいなかった。
「学問としての仏教を求めるのなら、出家する必要はないんです。初めは学問としての仏教を学びたい、ということがいちばんでした。でも学んでいくうちに、自分の中で何か違うなと思い始めまして。
お寺に入るかどうかは別として、仏教を極めるのなら出家しなくてはダメだなと思いまして。そんなとき、新聞の記事で妙心寺の『第二の人生プロジェクト』を知ったんです」
出家し修行していくうちに、頭でわかることと実際に体験することは違うのだ、と意識が変わってきたという横山さん。
「実際に修行することによって、座学で学んだことをちゃんと理解し、体得できるのだとわかってきたんです」
このことを痛感したのが、同じ時期にプロジェクトに参加した人が、得度して2か月で辞めてしまったのを目の当たりにしたことだった。
「その人は私よりも勉強家で、仏教について、ものすごく学んでいました。得度して修行に入れば、もっと座禅ができると思っていたらしいのですが、実際はそんなに座禅の時間はないんです。食事や掃除、起きて寝るまでのお寺の生活、すべてが修行なんです。
彼にとっては修行=座禅だったのでしょう。こんな生活では意味がないと、せっかく得度したのに辞めてしまいました」
仏教に対しての“思い”は人それぞれ。前出の久司さんは、甘い考えで出家について問い合わせてくる人もいる、とこう話す。
「問い合わせで、特に40代後半とか50代の方に多いのですが、今の生活が苦しいから、仏教の世界に逃げることを目的にした方もいらっしゃいます。“出家すれば自由になれる”“僧侶になれば暮らしていける”と誤解されているのかなと。
出家するための研修会には実費負担で参加していただいていますし、衣を購入したり、いろいろな経済的な負担はご自身にお願いしています。
留守番をお願いしているお寺から、何か手当が出るということもありませんし、経済的な部分はフォローできません。このような見返りを求めて出家されても、長続きはしないと思います」
今の社会からの逃避が目的の人は、仏門に入ってもそこで違う矛盾を感じるだけ、と久司さんは次のように続ける。
「出家という言葉のイメージが、すべてから解き放たれるということなのかもしれませんが、決して楽な生活になるわけではありません。私たちは、あなたの心を自由にするお手伝いをするだけです、と問い合わせいただいた方に伝えています」
前出の横山さんに、これから老後出家を考えている人にアドバイスをお願いすると──。
「難しいですね……。逆に“あなたは残りの人生をどうするつもりなの?”と聞きたいですね。何もすることがないからお坊さんにでもなろうか、ではダメだと思います。
第2の人生で出家という道を選ぶなら、自分の残りの人生をかけるくらいの本気で、仏教に向き合うということかな」
定年後の軽い手習いということではなく、これまでの人生を見直しつつ、新たな人生を模索する。楽に生きよう、と思っている人に老後出家は難しい選択なのかもしれない。
(取材・文/蒔田 稔)

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