雅子さま 地方ご公務完遂の次は“熊本豪雨”被災地へ…祖父の“因縁の地”ご訪問にも期待が

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天皇陛下と雅子さまは、10月15日から16日まで石川県を訪問され、第38回国民文化祭と第23回全国障害者芸術・文化祭を合わせた「いしかわ百万石文化祭2023」の開会式などに臨まれた。
「両陛下は10月初旬には、特別国民体育大会へのご臨席のため鹿児島県を訪問しましたが、雅子さまは関係者とのご懇談でも、お元気そうにお声がけされていました」(宮内庁関係者)
皇室では、全国植樹祭、国民体育大会、全国豊かな海づくり大会、そして国民文化祭という4つの行事が「四大行幸啓」と呼ばれている。両陛下が地方を訪問され、各地の伝統文化や施設を視察し、国民との交流を深められる大切な機会だ。
「コロナ禍のためにオンラインでの参加を余儀なくされていた四大行幸啓が、今年から直接訪問する形として再開されました。
雅子さまは1泊2日の日程に複数の行事が詰め込まれていても、はつらつとしたご様子で行事に臨まれ、懇談者への質問も的確で、さらにお話の内容も濃いそうで、訪問先からは感謝する声が数多く集まっております」(前出・宮内庁関係者)
2003年末から20年近くご療養を続けられている雅子さまだが、一歩ずつ“復活”に向けて歩みを進められている。精神科医の香山リカさんはこう話す。
「これまで雅子さまには、ご体調のために狎茵垢里海箸鮃佑┐蕕譴覆き瓩箸い状況が長く続いていたように思います。
しかし今年は初めから犹預膵垤啓を成功させる瓩箸いμ槁犬鯲てるなど、広い視野で向き合われていたようにお見受けします。地方ご公務をすべて成功裏に終えられたことで、雅子さまも自信を深められていることでしょう」
確たる手ごたえを感じられている雅子さまが新たに定める目標は、被災地ご訪問の再開だという。
「両陛下は、2019年の台風19号で両県合わせて死者50人以上の甚大な被害が発生した福島県と宮城県を、即位に伴う行事を終えられた年末に日帰りで訪問されています。悲しみに暮れる被災者に寄り添うことを、大切なお務めとされていらっしゃるからこそ、何としても訪問されたいお気持ちがあったからでしょう。
それゆえに、コロナ禍による行動制限により、この間に起きた災害の被災地に足を運ばれていないことに、心を痛めておられました。とくに3年前の犒本豪雨瓩糧鏈卉呂砲狼い鯒曚辰討い蕕辰靴磴辰燭畔垢い討ります」(皇室担当記者)
2020年7月、熊本県を中心に発生した集中豪雨で球磨川が氾濫し流域の一部が水没、各地で土砂崩れが起き、熊本県だけで67人の命が奪われた。
「両陛下は、各地で豪雨の被害が起きているという一報を受けた直後から、被災地に心を寄せておられました。しかし、感染拡大の影響で直接見舞われるめども立たず、大変もどかしい思いでいらっしゃったと聞きます。
その後、発生から半年ほどたった2021年1月に、オンラインで被害の大きかった人吉市、八代市、球磨村、芦北町の4つの市町村について、映像で現地の状況をお伺いになるなど、ようやく被災者を見舞うことができたのです」(前出・宮内庁関係者)
■被災地ご訪問、そして“宿命”へのご決意
このときに両陛下からお見舞いのお言葉をかけられた一人が、同県芦北町で農業を営む矢野解光さんだ。矢野さんは、2020年7月4日未明に自宅の裏山で起きた土砂崩れによって妻・まさ子さんを亡くした。本誌の取材に対し、言葉を振り絞るようにこう語る。
「あの日、家内に『危なかから、避難すっぞ』と話した直後に土砂にのまれました。その後のことは、いまもよく覚えていません……。
かなりの土砂をのみ込んでしまい、肺炎を起こし入院し、家内の葬式には出ることは叶いませんでした。家内が生きていれば、今年金婚式。私たちの人生は、あの災害でダメになってしまいました」
オンラインによる両陛下のお見舞いに、矢野さんはまさ子さんの遺影を抱いて参加した。
「そのころは、家も家内も失い、不安と寂しさで真っ暗なトンネルの中で明かりもないような心地で毎日を過ごしていました。そんなときに、天皇陛下から『お寂しさもいかばかりかとお察しします』とお声がけいただいたのです。それをきっかけに、犲分も頑張らないといけない瓩箸いΦせちになったと感じています。
天皇陛下と雅子さまが熊本にいらっしゃることがあれば、私が励ましていただいたように、被災者も元気づけられると思います」(前出・矢野さん)
そして両陛下も、懸命に日々を生き抜く生き残った被災者の手を取って苦しみに寄り添い、命を落とした人々の慰霊をなさりたいと心から願われているという。
「ご日程の調整さえできれば、年内にも熊本県をお見舞いされたいとお考えのようです。皇太子妃時代の1999年に訪問されて以来、雅子さまにとっては皇后となられてから初めて同県を訪問されることになります」(前出・宮内庁関係者)
そして熊本県は、雅子さまにとって“因縁の地”でもある。熊本県水俣市。この地を中心に数多くの犠牲者を出した水俣病は、1956年に確認されて以来、現在も一連の問題は解決するにいたっていない。前出・皇室担当記者は、
「海に水俣病の原因となるメチル水銀を放出したのはチッソ株式会社。創業した明治時代から政府の後押しを受け、国家戦略の一部を担うために水俣工場など各地で化学製品を生産してきました。
そして同社の社長を1964年から1971年まで務めた江頭豊氏は、雅子さまの母方の祖父にあたります。それだけに雅子さまも、“因縁と向き合う”という決意を抱かれてきたように感じています。
2013年10月に初めて水俣市を訪問された上皇ご夫妻は、慰霊の碑に供花され、胎児性水俣病の患者たちとお会いになりました。長い年月をかけて、国策によって傷ついた人々と向き合われた上皇ご夫妻の姿勢を、両陛下は受け継がれています。いつか必ず犠牲者の御霊を慰めるために、水俣の地も訪問されることでしょう」
自信を着実に深めている雅子さまは、“宿命”に立ち向かう決意をも固められている。

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