「耐えしのげなかった」市川猿之助被告 初公判で語った“後悔” 検察は懲役3年求刑

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

「市川猿之助」こと喜熨斗孝彦被告の初公判が開かれ、検察側は懲役3年を求刑しました。歌舞伎界をけん引する存在であった市川被告が、なぜ自殺幇助の罪に問われる行為を決意したのか、自らの口で語りました。 ◇「市川猿之助」として活躍した歌舞伎の聖地・歌舞伎座の舞台から一転、猿之助被告は20日、本名の「喜熨斗孝彦」被告として法廷に立ちました。20日正午すぎ、猿之助被告は事件現場となった東京・目黒区の自宅から東京地裁に向かったとみられます。今年5月、父親の市川段四郎さんと母親の延子さんの自殺を手助けした罪に問われています。

歌舞伎だけでなく、ドラマや映画など幅広い分野で活躍していた猿之助被告になにがあったのか。注目の初公判は22席の傍聴席を1033人が求め、傍聴券の倍率は約47倍になりました。福岡からの歌舞伎ファン「裁判をどうしても見たかったので、この日に合わせてきました。真実を語ってほしい」裁判が始まる約30分前の午後1時ごろ、自宅を出た車が東京地裁に到着。猿之助被告は黒いスーツに紺色のネクタイ、白いマスクをつけ、裁判官に一礼して法廷に入りました。まず、裁判官に名前と職業を聞かれると「喜熨斗孝彦です。歌舞伎俳優です」と小さい声で述べました。さらに、起訴内容については「間違いはありません」とまっすぐ前を見て述べ、起訴内容を認めました。まず検察側が指摘したのが、事件にいたった経緯です。「歌舞伎一門のパワハラ・セクハラに関する週刊誌の記事が掲載予定だ」と連絡を受けたことがきっかけだとしました。検察側「(猿之助被告は)歌舞伎界に迷惑をかけてしまったので、歌舞伎の仕事はもうできない。死んだ方が楽だなどと考え、自殺の方法をネットで検索し、自殺することを両親に伝えなければならないと思った」自殺の決意が固いことを伝えた猿之助被告に対し、母・延子さんは「分かった。だけど、あなた一人だけいかせるわけにはいかない。私らも一緒にいく」、父・段四郎さんは「うん」と応じたといいます。そして、猿之助被告は両親が死亡したことを確認すると、2人の頭にかぶせていたビニール袋を外したといいます。その後、「(猿之助被告は)片付けをし、仏壇を拝んだ」「ゴミをまとめて親族などへの手紙を書いた」。そして、猿之助被告も薬を服用したと、検察は指摘しました。続いて被告人質問が行われました。猿之助被告は週刊誌の記事を読み、こう思うようになったといいます。猿之助被告(47)(週刊誌の記事について)「(世間に)信じ込まれ、事実として定着し、人が歌舞伎界から離れていき、歌舞伎界が立ちゆかなくなる。悪い方にはまっていった」そして、両親とのやりとりについて、声を詰まらせながら語りました。猿之助被告(47)「(両親に)『悔いはありません』と伝えました。(両親は)『あなた一人にいかせるわけにはいかない』と。(父は)『僕だけ生き残るのは嫌だ』と言いました。いろんな後始末についても『あなたに任せる』と言ってきました」また、自殺すれば問題が解決すると思ったのかと聞かれると――猿之助被告(47)「生きてて歌舞伎に携わり歌舞伎にいるよりも、いなくなった方が弟子もしがらみが取れて、行きたいところに行って活躍でき、プラスになると思った」終始、小さい声で時折声を詰まらせながら答えました。猿之助被告は、幼少期から歌舞伎の世界で生きてきました。逮捕された時は「歌舞伎で償っていきたい」と話していたといいますが、20日の初公判では、これまでの生き方について後悔のことばを述べました。猿之助被告(47)「幼い頃から歌舞伎しかないし、存在そのもの。なくなれば存在価値がなくなる。歌舞伎という大きなものの前では個を殺し、つらいことの前でも自分をおさえる生き方をしてきた。耐えしのごうと思ったが、耐えしのげなかった。ふたが開いてしまって、自分の思いがあふれてしまった。自分がもっと強ければと思います」検察側は、「元来、両親は自殺の意志を有さず、被告人に誘発された」「影響は大きく責任は重い」と指摘。懲役3年を求刑しました。一方、弁護側は「歌舞伎の舞台に戻ることは厳しい。自責の念を示している」として、執行猶予付きの判決を求めました。最後に猿之助被告は「両親をはじめ、応援してくださっているファンのみなさま、多くの方々につらい思いをさせ、傷つけてしまったことは消すことはできません。この反省・申し訳なさ・感謝を一生背負っていく。もしできることがあれば、もし僕にしかできないことがあればさせていただき、生きる希望にしていきたいです」と改めて謝罪のことばを述べ、一礼して法廷をあとにしました。判決は、11月17日に言い渡されます。
「市川猿之助」こと喜熨斗孝彦被告の初公判が開かれ、検察側は懲役3年を求刑しました。歌舞伎界をけん引する存在であった市川被告が、なぜ自殺幇助の罪に問われる行為を決意したのか、自らの口で語りました。

「市川猿之助」として活躍した歌舞伎の聖地・歌舞伎座の舞台から一転、猿之助被告は20日、本名の「喜熨斗孝彦」被告として法廷に立ちました。
20日正午すぎ、猿之助被告は事件現場となった東京・目黒区の自宅から東京地裁に向かったとみられます。今年5月、父親の市川段四郎さんと母親の延子さんの自殺を手助けした罪に問われています。
歌舞伎だけでなく、ドラマや映画など幅広い分野で活躍していた猿之助被告になにがあったのか。注目の初公判は22席の傍聴席を1033人が求め、傍聴券の倍率は約47倍になりました。
福岡からの歌舞伎ファン「裁判をどうしても見たかったので、この日に合わせてきました。真実を語ってほしい」
裁判が始まる約30分前の午後1時ごろ、自宅を出た車が東京地裁に到着。猿之助被告は黒いスーツに紺色のネクタイ、白いマスクをつけ、裁判官に一礼して法廷に入りました。
まず、裁判官に名前と職業を聞かれると「喜熨斗孝彦です。歌舞伎俳優です」と小さい声で述べました。さらに、起訴内容については「間違いはありません」とまっすぐ前を見て述べ、起訴内容を認めました。
まず検察側が指摘したのが、事件にいたった経緯です。「歌舞伎一門のパワハラ・セクハラに関する週刊誌の記事が掲載予定だ」と連絡を受けたことがきっかけだとしました。
検察側「(猿之助被告は)歌舞伎界に迷惑をかけてしまったので、歌舞伎の仕事はもうできない。死んだ方が楽だなどと考え、自殺の方法をネットで検索し、自殺することを両親に伝えなければならないと思った」
自殺の決意が固いことを伝えた猿之助被告に対し、母・延子さんは「分かった。だけど、あなた一人だけいかせるわけにはいかない。私らも一緒にいく」、父・段四郎さんは「うん」と応じたといいます。
そして、猿之助被告は両親が死亡したことを確認すると、2人の頭にかぶせていたビニール袋を外したといいます。
その後、「(猿之助被告は)片付けをし、仏壇を拝んだ」「ゴミをまとめて親族などへの手紙を書いた」。そして、猿之助被告も薬を服用したと、検察は指摘しました。
続いて被告人質問が行われました。猿之助被告は週刊誌の記事を読み、こう思うようになったといいます。
猿之助被告(47)(週刊誌の記事について)「(世間に)信じ込まれ、事実として定着し、人が歌舞伎界から離れていき、歌舞伎界が立ちゆかなくなる。悪い方にはまっていった」
そして、両親とのやりとりについて、声を詰まらせながら語りました。
猿之助被告(47)「(両親に)『悔いはありません』と伝えました。(両親は)『あなた一人にいかせるわけにはいかない』と。(父は)『僕だけ生き残るのは嫌だ』と言いました。いろんな後始末についても『あなたに任せる』と言ってきました」
また、自殺すれば問題が解決すると思ったのかと聞かれると――
猿之助被告(47)「生きてて歌舞伎に携わり歌舞伎にいるよりも、いなくなった方が弟子もしがらみが取れて、行きたいところに行って活躍でき、プラスになると思った」
終始、小さい声で時折声を詰まらせながら答えました。
猿之助被告は、幼少期から歌舞伎の世界で生きてきました。逮捕された時は「歌舞伎で償っていきたい」と話していたといいますが、20日の初公判では、これまでの生き方について後悔のことばを述べました。
猿之助被告(47)「幼い頃から歌舞伎しかないし、存在そのもの。なくなれば存在価値がなくなる。歌舞伎という大きなものの前では個を殺し、つらいことの前でも自分をおさえる生き方をしてきた。耐えしのごうと思ったが、耐えしのげなかった。ふたが開いてしまって、自分の思いがあふれてしまった。自分がもっと強ければと思います」
検察側は、「元来、両親は自殺の意志を有さず、被告人に誘発された」「影響は大きく責任は重い」と指摘。懲役3年を求刑しました。
一方、弁護側は「歌舞伎の舞台に戻ることは厳しい。自責の念を示している」として、執行猶予付きの判決を求めました。
最後に猿之助被告は「両親をはじめ、応援してくださっているファンのみなさま、多くの方々につらい思いをさせ、傷つけてしまったことは消すことはできません。この反省・申し訳なさ・感謝を一生背負っていく。もしできることがあれば、もし僕にしかできないことがあればさせていただき、生きる希望にしていきたいです」と改めて謝罪のことばを述べ、一礼して法廷をあとにしました。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。