小3男児は「ぼくいやだよ、あんなこと」と訴えた…ジャニーズ事務所の合宿所で起きた未成年への性加害

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※本稿は、本橋信宏『僕とジャニーズ』(イースト・プレス)の一部を再編集したものです。
北公次とジャニー喜多川との特殊な関係はもう4年半になろうとしていた。
テレビ局や地方公演で北公次はジャニー喜多川に喧嘩をふっかけ、当たり散らした。
リハーサルで北公次が踊りをミスしたりすると、ジャニー喜多川が「ばかやろうっ! ちゃんとやれっ!」と大声で叱った。
厳しい師に見えたことだろう。
もっともその後で、廊下などで優しく声をかけてフォローすることを忘れなかった。
様々なアクシデントを乗り越えてきた恋人や夫婦のように。
合宿所は渋谷に移っていたが、毎晩の求愛は依然つづいていた。
ある晩、ファンが大勢集まり帰るそぶりも見せないなか、ジャニー喜多川が部屋にもどってきた。先にベッドのなかで寝ていた北公次に、いつものように迫ってくる。
疲れ切って眠っていた北公次は、熱い息を吐きながらからだをまさぐってくる男にたまらず、「やめてくれっ!」と叫んで枕を抱えて階下に逃げ出していった。
パジャマ姿の北公次が階段から駆け降りてくるのを見たファンは、嬌声をあげた。
だが北公次が真っ青な顔で涙を流しているのを見ると、何かあったのかと、嬌声もやんだ。
事務所社長のある趣味に気づいているファンもいたので、パジャマ姿の北公次を目撃して感づいたのだろう。
「今まで北公次がかわいがられてきたのもひとえにジャニーさんとの肉体関係があればこそと割り切ってきたおれは、もうこの辺で2人の特殊な関係を断ち切ろうと決心した。もう彼の求めに応じなくても北公次は押しも押されもせぬアイドルになったのだ。恐れることはない、この男たちの愛欲の館と化している合宿所から抜け出そう」
そのころのジャニーズ事務所では、新世代のアイドルたちが育ちつつあった。
郷ひろみにつづき、豊川誕、JOHNNYS’ ジュニア・スペシャル、リトル・ギャング、永田英二、葵テルヨシ、川麻世。
フォーリーブスは兄貴分として君臨していた。
北公次は自分だけではなく、自分の後から合宿所に入ってきた少年たちも社長の性愛の対象になっていると気づいた。
男性同性愛者というのは、同性愛志向がある男を好きになる場合と、同性愛志向がなく、異性愛志向の男、いわゆる“ノンケ”を好きになる場合がある。
ジャニー喜多川は後者、元気で少年っぽい10代の男の子が大好きだった。
それまでは北公次ひとりだけだったが、合宿所に少年たちが集まりだしたので、北公次ひとりに性愛が向けられることは減っていた。
当然、ノンケの男子たちばかりだから、迫ってくることに耐えきれず、合宿所を抜け出すだけでなく、ジャニーズ事務所を退所してしまうケースもあった。
北公次は合宿所で様々な少年たちの兄貴分として身の上話を聞くようになった。
浅草ビューホテルの一室で、北公次が私に打ち明けたことのなかには、生々しい証言があった。
合宿所に出入りし、将来ジャニーズ事務所からのデビューを夢見ていた小学3年生の男子が、北公次にこんなことを漏らしていたのだ。
「ねえ、おとなのおとこの人ってみんなあんなことやるの? あのねえ……ジャニーさんがメンソレータムもって部屋にくるの……。みんなあんなことやってるの? ぼくいやだよ、あんなこと……。きもちわるいよ」
北公次は自分以外に被害者がいることに、あらためて複雑な気持ちになったが、誰かに訴えようというところまでは至らなかった。
暴露本『光GENJIへ』(データハウス)で洗いざらい打ち明けるまでは。
「公ちゃんですね。お待ちしておりました。村西とおるです」
バンダナを巻いた北公次は腰かけるとサングラスを外した。
1988年7月28日午前9時。
北公次と私たちの最初の接触だった。
北公次は自身とは正反対に物事をまくしたてる村西とおるに最初は不安を感じた。
ところがよく話を聞いていると、この男は本気でジャニーズ事務所とやりあうつもりでいるらしい。これだけ知名度のある男なら、いまさら売名行為のために敵対する必要もあるまい。
相手に有無を言わせぬ迫力がある男だった。東京に帰っても何もすることのない北公次は、村西とおる監督のアドバイスを素直に受けることにした。
北公次はアダルトビデオの男優にでも誘われるのかと思っていたが、村西とおるのあけっぴろげな性格を信じてみることにしたのだ。
私は浅草ビューホテルの一室で北公次と向き合い、半生を聞き出す作業に没頭した。
元アイドルはすべてを語り尽くしたかに思えたが、あのこと、ジャニー喜多川との関係についてはなかなか真相を語らなかった。
4日目になって村西とおるから真剣に説得されたことがきっかけで、ついに封印していたあの関係をさらけ出した。
当初は抽象的な表現ばかりだったが、私が具体的な話を求めると、本人も吹っ切れたのか、写実的に語り出した。
男同士のプレイ内容を赤裸々に語ったのも、当時としては極めて珍しいことだった。
書き手としてためらいもあった。
「ジャニーさんがメンソレータムもって部屋にくるの……」という小学3年生の発言を北公次は聞いている。
北公次自身もスキンクリームを使用したプレイをおこなっていた。
後に、性加害を受けた元ジャニーズ事務所タレントが、ジャニー喜多川社長から、このクリーム買ってきて、とたびたび頼まれたのが、青いラベルが貼られたノグゼマだったという証言がある。
メンソレータムもノグゼマも共にアメリカ発のスキンクリームであり、ジャニー喜多川が進駐軍関係の仕事をしていたことから、なじみ深いものになったのだろう。
北公次の告白を聞き出し、カセットテープから文字を書き起こし、データ原稿にする。
重労働だが、元アイドルの全告白は良質の長編小説を読んだような重さと感動を私に与えた。
小説でも映画でも演劇でも漫画でも、もっとも大切なのはオリジナリティである。
その時その場所でその体験をしているのは、全世界においてその人しかいない。
ゆえに、人間の半生こそ、最高のオリジナル作品である。
小説や映画に駄作はあっても、人間の半生に駄作はひとつもない。
最高のオリジナルなのだから。
北公次が封印してきた過去を洗いざらい語った内容を書き下ろし本として世に出せば、当然事務所社長との同性愛関係に関心が集中するだろう。
私にとっては、ジャニー喜多川と北公次の若く無名の貧しいころから夢を見つづけた一編の青春ストーリーでもあった。
タイトル案は難航したが、版元のデータハウス鵜野義嗣代表が『光GENJIへ』という書名を提案してきた。
当時、人気絶頂だった光GENJIに向け事務所の先輩が警告を発するという体裁だ。
———-本橋 信宏(もとはし・のぶひろ)ノンフィクション作家1956年埼玉県所沢市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。著書『全裸監督 村西とおる伝』(太田出版/新潮文庫)を原作とした山田孝之主演のNetflixドラマ『全裸監督』が世界的大ヒットとなる。1988年、35万部のベストセラーとなった北公次『光GENJIへ』(データハウス)の構成を担当し、同名の映像作品も監督。また2023年公開されたBBCドキュメンタリー「J-POPの捕食者 秘められたスキャンダル」にも取材協力。主な著書に『全裸監督 村西とおる伝』(新潮文庫)、『出禁の男 テリー伊藤伝』(イースト・プレス)等多数。———-
(ノンフィクション作家 本橋 信宏)

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