「銀座の焼き鳥屋で2人」が心に刺さる…「岸田首相×菅前首相」あまりに残酷すぎる弔辞格差

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

賛否が渦巻いた安倍晋三元首相の国葬が滞りなく行われた。その中で、特に注目を集めたのが、友人代表としての菅義偉前総理の情感のこもった追悼の辞だった。岸田文雄総理のスピーチとは何が、どう違ったのか。徹底比較をしてみた。
追悼の辞を述べたのは全部で5人。トップバッターが岸田総理、そして、最後が菅前総理だった。岸田総理の追悼の辞は約12分半、2533文字を淡々と読み上げた。特に印象に残ったのは、どこか他人行儀な語り口だ。
「29年前、第40回衆院選にあなたと私は初めて当選し、ともに政治の世界へ飛び込みました。私は同期の一人として安全保障・外交について、さらには経済・社会保障に関しても勉強と研さんにたゆみなかったあなたの姿をつぶさに見てまいりました」「私は外務大臣として、その同じ時代を生きてきた盟友としてあなたの内閣に加わり、日本外交の地平を広げる仕事に一意専心取り組むことができたことを一生の誇りとすることでしょう」
キングメーカーであった安倍氏に対しては頭が上がらなかったであろうはずの岸田氏が、どこか上から目線な口調で、安倍氏を「単なる同期」「盟友」と言い切っている。
悼む思いも、「残念」「痛恨の極み」「さぞかし無念」といった判で押したようなありきたりの言葉で済ませた。本人との血肉の通ったやり取りや思い出話なども、ほとんど登場しない。だから、「あなた」と呼び、「私」ではなく「私たち」というあいまいな主語を多用した。
「あなたは国会で『総理大臣とはどういうものか』との質問をうけ、溶けた鉄を鋳型に流し込めばそれでできる鋳造品ではない、と答えています」「『勇とは義(ただ)しき事をなすことなり』という新渡戸稲造の言葉を、あなたはいちど防衛大学校の卒業式で使っています」
といったエピソードも、新聞記事を検索して、見つけ出したような話で、一向に心には刺さらない。
無味乾燥な功績を羅列したかと思うと、「私はいつまでも懐かしく思い出すだろうと思います。そして日本の、世界中の多くの人たちが『安倍総理の頃』『安倍総理の時代』などとあなたを懐かしむに違いありません」と、まるで、「完全にノスタルジアの人」として、歴史の教科書の世界に追いやらんとしているような口ぶりだ。
岸田氏の個人的な思いや思い出話が一切、含まれていないところを見ると、側近が書いたスピーチをただ読んでいるのではないかということが容易に想像できる。
一方の菅前総理。11分45秒のスピーチは、情緒的な心情描写から始まった。
「7月の8日でした。信じられない一報を耳にし、とにかく一命をとりとめてほしい。あなたにお目にかかりたい、同じ空間で同じ空気を共にしたい。その一心で現地に向かい、そしてあなたならではのあたたかなほほえみに、最後の一瞬接することができました」
そして、その悲劇から、今に至るまでの時の流れの無常さを、日本人らしいどこか俳句的な情景の描写で表現する。
「あの運命の日から80日がたってしまいました。あれからも朝は来て、日は暮れていきます。やかましかったセミはいつのまにか鳴りをひそめ、高い空には秋の雲がたなびくようになりました。」
全体を通じて、印象に残るのが、安倍氏へのほとばしり出る思いだ。普段、あまり感情を表さず、自分の弱さなどをさらけ出すことがない菅氏だが、「許せない」「悔しい」「悲しみ」「怒り」「うれしい」「誇らしい」「幸せ」「寂しさ」といったように、一切の抑制をかけずに、その感情をぶちまけた。
「あなたは一度持病が悪くなって総理の座を退きました。そのことを負い目に思って2度目の自民党総裁選出馬をずいぶんと迷っておられました。最後には2人で銀座の焼き鳥屋に行き、私は一生懸命あなたを口説きました。それが使命だと思ったからです。3時間後には、ようやく首を縦に振ってくれた。私はこのことを菅義偉、生涯最大の達成としていつまでも誇らしく思うであろうと思います」
最初の出会いで交わした会話の詳細な記述や、安倍氏に2度目の総裁選の出馬を促す際のエピソードなど、本人の個人的エピソードがふんだんに織り込まれていた。「焼き鳥屋」「3時間後」といったディテールや、繰り返し、「『日本よ、日本人よ、世界の真ん中で咲きほこれ』と言う口癖」といったやや演劇調の言葉遣いは安倍氏の海外での情感のこもったスピーチでよく使われたレトリックでもある。
そして、クライマックスが、
「衆院第1議員会館1212号室のあなたの机には読みかけの本が1冊ありました。岡義武著『山県有朋』です。ここまで読んだという最後のページは端を折ってありました。そしてそのページにはマーカーペンで線を引いたところがありました。
印をつけた箇所にあったのは、いみじくも山県有朋が長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人をしのんで詠んだ歌でありました。いまこの歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。
かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」
という下りだ。
「かたりあひて」の一文はあえて、繰り返している。安倍氏との深い仲だからこそ、知りえた、出来過ぎとも言えるエピソードだ。
菅氏の決して流暢ではないが、とつとつと情感を込め、時折感極まって、声を詰まらせるシーンも、周囲の涙を誘った。
スピーチ中の「天はなぜよりにもよってこのような悲劇を現実にし、命を失ってはならない人から生命を召し上げてしまったのか」という言葉には、「安倍氏だけが、命を失ってはならず、ほかの人の命はどうでもいいのか」と違和感を覚えた人もいたが、これは、菅氏にとっては、まるで家族のように「愛していた」人を失った悲しみ故の「行き過ぎた」表現だったのかもしれない。
菅氏の追悼の辞は、まさに「女房役」として、支え続けた人への最後の「恋文」だった。
「そこに愛はあるんか」
岸田氏と菅氏の追悼の言葉の重みの隔たりはそこに尽きるのではないだろうか。
———-岡本 純子(おかもと・じゅんこ)コミュニケーション戦略研究家・コミュ力伝道師「伝説の家庭教師」と呼ばれるエグゼクティブ・スピーチコーチ&コミュニケーション・ストラテジスト。株式会社グローコム代表取締役社長。早稲田大学政経学部卒業。英ケンブリッジ大学国際関係学修士。米MIT比較メディア学元客員研究員。日本を代表する大企業や外資系のリーダー、官僚・政治家など、「トップエリートを対象としたプレゼン・スピーチ等のプライベートコーチング」に携わる。その「劇的な話し方の改善ぶり」と実績から「伝説の家庭教師」と呼ばれる。2022年、次世代リーダーのコミュ力養成を目的とした「世界最高の話し方の学校」を開校。その飛躍的な効果が話題を呼び、早くも「行列のできる学校」となっている。———-
(コミュニケーション戦略研究家・コミュ力伝道師 岡本 純子)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。