「京大ゼレンスキー大統領」が明かす、「あのコスプレ姿の後、ウクライナの人々から届いたメッセージの中身」

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

卒業式でウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領に扮したことから「京大のゼレンスキー」と呼ばれ、一躍有名になった会社員のあみきさん(ペンネーム)。なぜゼレンスキー大統領の仮装をしようとの思いにいたったのか。
前半記事『京大卒業式で注目を集めたあの青年が振り返る「あの日、ゼレンスキー大統領に扮した真意」』に引き続き、あみきさんのインタビューをお届けする。
あの卒業式の日、あみきさん(ペンネーム)は服装にもこだわることで、自分なりの敬意を示した。
当日持っていたアイテムについて説明するあみきさん
「ゼレンスキー大統領は普段、カーキ色のジャケットやシャツなどを着用しています。あれが戦禍の大統領としての正装のかたちということでしょう。僕は昔からミリタリールックが好きなので、戦闘服のズボンとブーツは元から持っていたのですが……肝心の、国章の金刺繍が入ったセーターだけは、どうしても手に入らなかった。特注品なのでしょう。どうやっても入手できないだろうな、と思いました」(あみきさん、以下同)
考えた末に、ウクライナの国章のワッペンを探すことにした。ようやく見つけたのは海外の通販サイト。個人輸入して取り寄せ、カーキ色の丸首セーターに縫い付けた。
次に髪型も研究した。
「確かに髭は伸びていたんですが、そこまで似ているわけではありませんでした。なので、スタイルも寄せなければなりませんでした」
ゼレンスキー大統領の髪型は「GIカット」と呼ばれる軍人のヘアスタイル。あみきさんは写真をA4用紙全面に印刷し、行きつけの理容店に持ち込んで「このとおりに」と頼んだのだ。
理容師は「なるほどね」と苦笑しつつ、時間をかけて丁寧に髪と髭をそっくりそのままに整えてくれたという。
「よし、ゼレンスキーいっちょあがり!」
そして迎えた卒業式当日。
有名になった「あの姿格好」にまず目を付けたのは、関西の地元テレビ局。
「4浪!」の掛け声とともに情報番組で映像が流れると、瞬く間にSNSで火が付き、国内のみならず海外メディアもこぞって取り上げ始めたのだ。ついにはウクライナ現地でも話題になるという拡散ぶり。その反響の大きさには、当のあみきさん自身も驚いたという。
ウクライナ内務省顧問アントン・ヘラシチェンコ氏はTwitter(現X)で取り上げていた(同氏のXより)
「駐日ウクライナ特命大使のコルスンスキー・セルギー氏が反応してくださったのは驚きました。さらには本国のアントン・ヘラシチェンコ内務省顧問などもTwitter(現X)で反応して御礼までくださいました。行くところまで行きました。
もちろん、ウクライナの人々に届いてほしいと思っていたので、嬉しかったのですが、それ以上に、好意的に捉えてくださったことに安心しました。あ、僕のメッセージをちゃんと受け取ってくださったんだなと」
日本と海外諸国の受け止め方にも、想定内ながら興味深い違いがあったという。
「日本人は、私の仮装を見て、『ユニークな仮装』と捉えた人が大半に感じました。一方で、特に欧米の方々には、『れっきとした政治的表明』と捉えられた印象です。受け止め方に正解はありませんが、やはり海の向こうでは国論を分ける喫緊の課題であり、眼前の危機そのものなのだと、あらためて痛感しました。
特に、テレグラムを通じて、ウクライナの戦地にも届いたらしいのは嬉しかったですね。あの頃のウクライナはまだ寒い。泥だらけの塹壕の中で、戦闘状態にある兵士たちに、『遠い国からも応援している人たちがいる』ということを伝えられていたら良かったです」
実は、Twitterを通じてウクライナ国民からもたくさん感謝のメッセージを受け取ったと明かす。
「『ありがとうございました。我々はあなたに感謝しています』など、(多くは英語で)書いてくださいました」
あみきさんは晴れて京都大学を卒業、東京に移り、新社会人となった。
「実は事前に、内定先の人事部の担当者には、ゼレンスキー大統領の仮装をして卒業式に出席することを面談で伝えていました。話を通しておくのは社会人の基本ですからね(苦笑)」
社会人としての自覚を持ちながら働き始めたさなかに、ゼレンスキー大統領が電撃来日を果たした。この時、あみきさんは何を思ったのだろうか。
広島・平和記念公園にて岸田文雄首相と並ぶゼレンスキー大統領(Photo by Gettyimages)
「あまり意識はしていないつもりだったのですが、やっぱり大統領がタラップから降りてくる様子を見て、ドキドキしましたね」
ドキドキは、歴史的な瞬間を目撃しているからというだけではなく、安全面の懸念からも生じたものだった、と振り返る。昨年には安倍晋三元首相暗殺事件が起こり、今年3月には岸田文雄首相暗殺未遂事件が起きたからだ。
「しかし、その懸念は杞憂に終わりました。このサミットに際し、水面下で、省庁横断で奮闘した官僚や現場の方々は本当に素晴らしい仕事をされたと思います。セキュリティの甘い国だという評判をはねのけて、ゼレンスキー大統領をはじめ首脳陣らを無事に帰すことができた。この努力はもっと称賛されてもよいと思います」
サミットをはじめ、日本とウクライナの関係は一見強固なものになっているように見える。しかし、両国の関係はまだ始まったばかりだ、とあみきさんは冷静に考えている。
「日本がウクライナに対して、これから何をどう提供していくのか、個人的な課題意識があります。戦争が終われば、あるいは粛々と続いていても、ウクライナを復興しなければなりません。そのときは、サミットでの約束通り、日本の民間企業が復興事業に参加し、人員を派遣して、様々な支援を行うでしょう。
しかし、これはなかなか難しいことだと考えています。まず、ウクライナという国の歴史的背景や現状を理解し、国際支援のノウハウを自前で持っている企業はそう多くはないでしょう。そして、いくら政府方針に従った人道支援・国際貢献だとはいっても、誰が破壊したのかは暗黙的にセットになるので、やはり政治的なスタンスとしては反ロシア的とも取られかねない。
不当なロシア人差別に繋がってしまうリスクにも配慮する必要がある。それを、多くの従業員を抱える一企業が会社方針として打ち出すことは、現実にはかなり大変なことだと思います。高度人材としてロシア人従業員を雇用している日系大企業もそれなりにあります。
日本政府として『復興支援』を掲げるのは当然のこと。しかし、実際にその掛け声に責任をもって乗れる企業がどれだけあるか。そこが今後の課題になると思っています。
企業による復興支援には、もうひとつ、見過ごせない『難問』があると考えます。復興支援に名乗りを上げた企業は、恐らく自社従業員をウクライナに派遣することになります。
しかし、戦争が続く限りは、ウクライナ全土がミサイルやドローンなどによる攻撃に晒され続けます。国境や前線付近の危険度は言うまでもありません。戦争が終結したとしても、地域によっては極度の情勢不安が続くでしょうし、戦場にされた土地は地雷と不発弾まみれです。そんな中に従業員を派遣して、何か起きた場合、企業はどのように責任を負うのか。これも非常に難しい問題だと思います」
卒業式でひと区切り、ではない。むしろそこでウクライナと「接点」をもったことで、あみきさんはそれまで以上にウクライナのことを考えるようになっている。
「だから、どうすればより実効的に復興支援が実現できるか、僕は僕なりに考えを持っておきたい。個人的な提案は、たとえば国際協力機構(JICA)を軸に、国が主導してウクライナ特別支援隊を結成することでしょうか。
会社は技術・モノ・資金を提供し、人員はあくまで個人として、リスクを理解した上で志願する。そして、一定度、国際支援の心得やウクライナの現状に関する教育を受けたうえで渡航する。国が主導して統合支援体制を作ることで、企業が個別に社員を派遣するより、効率的で、かつ安全な組織ができると思うのです。そのための休職制度なども法制化してほしいと考えています」
こうした考えは、社会人となったことでよりクリアなものになっていったという。
淡々と、しかし毅然と自身の考えを話すあみきさん。
卒業式の一件を「お調子者のふるまい」と見ていた人がいたら、彼の話を少し聞くだけで、それが大間違いであることがわかるはずだ。
ゼレンスキー大統領に扮することはもうないという
「『あの京大のゼレンスキーだ!』と皆さんから言っていただくぶんにはありがたいのですが、今後、自分からわざわざ言うことはありません。もちろん仕事でも、です。
私はあくまでも京大の卒業式の伝統の中で『ゼレンスキー大統領』に扮しただけ。自分の名声や利益のために利用するつもりは一切ありません。このような取材を受ける際に、金銭を受け取ることも一切ないです。あの衣装はまだ持っていますが、もうゼレンスキー大統領の格好もしません」
ウクライナの今後については、自分なりに考え続け、その接点を持ち続けたいというあみきさんに、ウクライナに届けたい言葉について聞いた。
「いくつか考えていたのですが……今回はラテン語の格言を選びました。
〈AUDENTES FORTUNA IUVAT〉(アウデンテス・フォーテュナ・ユヴァット)
この言葉には『運命は勇者を助ける』『幸運は勇者に味方する』という意味があります。おそらくウクライナ戦争は長く続くでしょう。当然ながら、国土も産業も相当なダメージを受けた状態で、国力と軍事力で大きく上回るロシアに打ち克つのは至難の業です。
そんな過酷な状況にあるウクライナの人々、そしてゼレンスキー大統領になにか贈る言葉があるかと考えたときに、この格言がふさわしいのではないかと思いました」
ウクライナでは依然として激しい戦闘が行われ、日々、多くの命が奪われている。
卒業式のあの姿が世界に広がったように、あみきさんのこの言葉が、もう一度ウクライナの人々に届くことを願いたい。
・・・・・
さらに関連記事『「ウクライナ戦争の終わらせ方」…二度の世界大戦、そしてアフガン侵攻はどう終わったのか』では、過去の戦争の停戦をもとに、いまだ続くウクライナ戦争の今後について、論考しています。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。