私は葬祭コーディネーターとして、葬儀社で働く従業員の育成に努めています。そのため、一般の皆さまから葬儀費用などにまつわる相談を受けることがあります。
今回ご紹介するのは、お父さまのお葬式がお坊さまの最悪な振る舞いで台無しになってしまった香坂健太さま(48歳・仮名=以下同)からのご相談です。もともと先祖代々お世話になっていた菩提寺でしたが、そのことがあってから菩提寺を抜けたいと思うまでになってきたのだとか。皆さまのお役に立てたら幸いです。
皆さまは、これまでのお葬式で、どのようにしてお坊さまを選びましたか。
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一般の皆さまからの声を聞くと、「決まった宗派はあるが、お寺との付き合いのない場合は、葬儀社がその宗派の寺から選んで決めている」または「無宗教ならば、葬儀社が遺族に数人を提案して、そこから決める」が主のようです。そのほかは、先祖代々の菩提寺を持つ人は必然的に、そこのお坊さまになります。今回、ご紹介する香坂健太さまは最後のケースでした。お父さま、香坂健三郎さま(73歳・仮名=以下同)の葬儀は先祖代々お世話になっていてお墓もあるお寺で行うことになりました。お送りでの時間は、通夜法要の場合は短い時間で終わりますが、翌日のお葬式は、短くとも1時間ほどは必要になります。そのため、葬儀社側は出棺の時間と道路の混み状況や、火葬場を使用する時間決めには、とても気を遣うのです。その時間が守れないようだと、次回からの火葬場の人との、信用問題にかかわってきます。ですから、全ての流れの時間を把握して、司会者も含め、常に目配せを怠らないようにして、皆さまには見えないところで、精一杯に動いているのです。この人たちが、時間を厳密に守って動くからこそ、お送りが厳粛で温かいものになっていくのです。そのためにも、お坊さまの協力が大切になってきます。もしも、お坊さまとの連携がうまくとれないと、式の流れが悪くなり、故人に対して話したかった遺族が、時間が足りないばかりに、告げたかった想いを飲み込むしかなくなることもありえます。そればかりではありません。出棺の時間も狂い、遅れて到着したことから、火葬場に着いた遺族は長時間も待つことになるのです。葬儀社の人が待つのは致し方ないとしても、遺族の方々を、この時点で待たせることに葬儀社は心を痛めるのです。折角、みんなで協力し、温かいお葬式ができても、ここで狂うと全てが台無しになってしまいます。ですから、葬儀社の人は、皆さまに気づかれぬよう、時計をみています。腕時計をさり気なく見ては、全体のバランスをとっているのです。40分の読経がたった10分で終了話を健太さまのお父さま、健三郎さまのお送りに戻しましょう。この式は、じつは私が担当したお葬式でもありました。気になったのが、開式前に喪主である健太さまのお母さまが、司会担当の私に、こう聞きに来られたこと。「お布施は、先に渡しておけば、いい葬式をあげてくださるのではないでしょうか? あとから支払うと、お坊さまはお布施の金額が気になって、ちゃんとお葬式をしてくれない気がして……。不安なのですが、いかがでしょうか」開式まで間もないことから、内心、焦った私でしたが、「いずれにしても、きちんとお葬式は執り行われますから、そのようなことは心配なさらないでください。あとからお持ちになっても大丈夫です」と伝えました。 しかし、どうしても気が気でならない喪主である奥さまは、式の寸前にもかかわらず控室へ入り、腰を低くして、頭が地面につくほど下げてお布施を渡されたのです。彼女は私にお礼をいって席につきました。そのときに、喪主に付き添っていた男性が息子の健太さまでした。式が始まりました、お坊さまの紹介をしてから開式です。Photo by iStockところが、私からの開式の言葉を言い終わるのを待つどころか、お坊さまは面倒臭いという雰囲気を身体中から出して、不作法な歩き方で斎場に入ってきました。そして祭壇前に自分が着いたら、そのままさっさと読経を始めたのです。段取りは全て無視です。しかも困ったことに、お坊さまの読経は何を言っているのか分からないくらい早口で進んでいきます。じつは私たち葬儀スタッフは式の進行をするのにお坊さまの立ち居振る舞いを参考にしています。読経の言葉にも意味があり、スタッフが動き、案内を行うために「区切り」が存在します。「この言葉のあとに焼香案内に入る」というような、ポイントがあるのです。このときは、お坊さまの読経があまりにも早口だったため、葬儀社スタッフ全員が聞き耳を立てていたのに、残念なことに、区切りが判断できませんでした。本来ならば40分の読経になるはずでした。しかし、なんと、このときは10分で読経が終わって、焼香案内ができなかったのです。しかもお坊さまは読経が終わると勝手に立ち、行うと言っていた遺族への法話もせず、控室にスタスタと戻っていったのです。当然ながら、参列者全員から非難の声が聞こえてきます。一度しかできない、健三郎さまのお葬式です。それをこのお坊さまは、理解していないとしか思えない、最悪の振る舞いでした。お坊さまの思いもかけぬ行動により、段取りが大きく狂ってしまった健三郎さまのお葬式。その後はどうなってしまったのでしょうか。またこのような自体を防ぐには……。詳しくは後編記事〈「お布施」の金額でお坊さんがへそを曲げた…?48歳男性が青ざめた「父の葬儀」の意外な結末〉でお伝えします。
一般の皆さまからの声を聞くと、「決まった宗派はあるが、お寺との付き合いのない場合は、葬儀社がその宗派の寺から選んで決めている」または「無宗教ならば、葬儀社が遺族に数人を提案して、そこから決める」が主のようです。そのほかは、先祖代々の菩提寺を持つ人は必然的に、そこのお坊さまになります。
今回、ご紹介する香坂健太さまは最後のケースでした。お父さま、香坂健三郎さま(73歳・仮名=以下同)の葬儀は先祖代々お世話になっていてお墓もあるお寺で行うことになりました。
お送りでの時間は、通夜法要の場合は短い時間で終わりますが、翌日のお葬式は、短くとも1時間ほどは必要になります。そのため、葬儀社側は出棺の時間と道路の混み状況や、火葬場を使用する時間決めには、とても気を遣うのです。
その時間が守れないようだと、次回からの火葬場の人との、信用問題にかかわってきます。ですから、全ての流れの時間を把握して、司会者も含め、常に目配せを怠らないようにして、皆さまには見えないところで、精一杯に動いているのです。この人たちが、時間を厳密に守って動くからこそ、お送りが厳粛で温かいものになっていくのです。
そのためにも、お坊さまの協力が大切になってきます。
もしも、お坊さまとの連携がうまくとれないと、式の流れが悪くなり、故人に対して話したかった遺族が、時間が足りないばかりに、告げたかった想いを飲み込むしかなくなることもありえます。
そればかりではありません。出棺の時間も狂い、遅れて到着したことから、火葬場に着いた遺族は長時間も待つことになるのです。葬儀社の人が待つのは致し方ないとしても、遺族の方々を、この時点で待たせることに葬儀社は心を痛めるのです。
折角、みんなで協力し、温かいお葬式ができても、ここで狂うと全てが台無しになってしまいます。ですから、葬儀社の人は、皆さまに気づかれぬよう、時計をみています。腕時計をさり気なく見ては、全体のバランスをとっているのです。
話を健太さまのお父さま、健三郎さまのお送りに戻しましょう。この式は、じつは私が担当したお葬式でもありました。
気になったのが、開式前に喪主である健太さまのお母さまが、司会担当の私に、こう聞きに来られたこと。
「お布施は、先に渡しておけば、いい葬式をあげてくださるのではないでしょうか? あとから支払うと、お坊さまはお布施の金額が気になって、ちゃんとお葬式をしてくれない気がして……。不安なのですが、いかがでしょうか」
開式まで間もないことから、内心、焦った私でしたが、
「いずれにしても、きちんとお葬式は執り行われますから、そのようなことは心配なさらないでください。あとからお持ちになっても大丈夫です」
と伝えました。
しかし、どうしても気が気でならない喪主である奥さまは、式の寸前にもかかわらず控室へ入り、腰を低くして、頭が地面につくほど下げてお布施を渡されたのです。彼女は私にお礼をいって席につきました。そのときに、喪主に付き添っていた男性が息子の健太さまでした。式が始まりました、お坊さまの紹介をしてから開式です。Photo by iStockところが、私からの開式の言葉を言い終わるのを待つどころか、お坊さまは面倒臭いという雰囲気を身体中から出して、不作法な歩き方で斎場に入ってきました。そして祭壇前に自分が着いたら、そのままさっさと読経を始めたのです。段取りは全て無視です。しかも困ったことに、お坊さまの読経は何を言っているのか分からないくらい早口で進んでいきます。じつは私たち葬儀スタッフは式の進行をするのにお坊さまの立ち居振る舞いを参考にしています。読経の言葉にも意味があり、スタッフが動き、案内を行うために「区切り」が存在します。「この言葉のあとに焼香案内に入る」というような、ポイントがあるのです。このときは、お坊さまの読経があまりにも早口だったため、葬儀社スタッフ全員が聞き耳を立てていたのに、残念なことに、区切りが判断できませんでした。本来ならば40分の読経になるはずでした。しかし、なんと、このときは10分で読経が終わって、焼香案内ができなかったのです。しかもお坊さまは読経が終わると勝手に立ち、行うと言っていた遺族への法話もせず、控室にスタスタと戻っていったのです。当然ながら、参列者全員から非難の声が聞こえてきます。一度しかできない、健三郎さまのお葬式です。それをこのお坊さまは、理解していないとしか思えない、最悪の振る舞いでした。お坊さまの思いもかけぬ行動により、段取りが大きく狂ってしまった健三郎さまのお葬式。その後はどうなってしまったのでしょうか。またこのような自体を防ぐには……。詳しくは後編記事〈「お布施」の金額でお坊さんがへそを曲げた…?48歳男性が青ざめた「父の葬儀」の意外な結末〉でお伝えします。
しかし、どうしても気が気でならない喪主である奥さまは、式の寸前にもかかわらず控室へ入り、腰を低くして、頭が地面につくほど下げてお布施を渡されたのです。彼女は私にお礼をいって席につきました。そのときに、喪主に付き添っていた男性が息子の健太さまでした。
式が始まりました、お坊さまの紹介をしてから開式です。
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ところが、私からの開式の言葉を言い終わるのを待つどころか、お坊さまは面倒臭いという雰囲気を身体中から出して、不作法な歩き方で斎場に入ってきました。そして祭壇前に自分が着いたら、そのままさっさと読経を始めたのです。段取りは全て無視です。
しかも困ったことに、お坊さまの読経は何を言っているのか分からないくらい早口で進んでいきます。
じつは私たち葬儀スタッフは式の進行をするのにお坊さまの立ち居振る舞いを参考にしています。読経の言葉にも意味があり、スタッフが動き、案内を行うために「区切り」が存在します。「この言葉のあとに焼香案内に入る」というような、ポイントがあるのです。
このときは、お坊さまの読経があまりにも早口だったため、葬儀社スタッフ全員が聞き耳を立てていたのに、残念なことに、区切りが判断できませんでした。
本来ならば40分の読経になるはずでした。しかし、なんと、このときは10分で読経が終わって、焼香案内ができなかったのです。しかもお坊さまは読経が終わると勝手に立ち、行うと言っていた遺族への法話もせず、控室にスタスタと戻っていったのです。
当然ながら、参列者全員から非難の声が聞こえてきます。一度しかできない、健三郎さまのお葬式です。それをこのお坊さまは、理解していないとしか思えない、最悪の振る舞いでした。
お坊さまの思いもかけぬ行動により、段取りが大きく狂ってしまった健三郎さまのお葬式。その後はどうなってしまったのでしょうか。またこのような自体を防ぐには……。詳しくは後編記事〈「お布施」の金額でお坊さんがへそを曲げた…?48歳男性が青ざめた「父の葬儀」の意外な結末〉でお伝えします。