茶室付きの大豪邸、熱海に別荘と豪華クルーザー ビッグモーター前社長の“成金ぶり”を知人が証言【写真あり】

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決して幕引きとはならないだろう。保険金不正請求で渦中の中古車販売業界最大手「ビッグモーター」。ようやく会見を開き、辞任を発表した兼重宏行前社長(71)だが、オーナーの座にはとどまったまま。“院政”支配をもくろむ「成金社長」、その隠された履歴書を公開する。
【写真を見る】「いくらなんでもデカすぎ」茶室に噴水、滝まで… 兼重氏が住む約500坪の大豪邸 東京・目黒区青葉台の高級住宅地の中でもひと際目立つ、敷地面積約500坪の大邸宅。高さ8メートルの外壁の中に立つ地上2階、地下1階の家屋はエントランスに噴水、玄関正面には滝が流れ、庭には茶室が備わっている。

絵に描いたような大豪邸の主は兼重宏行氏。渦中の「ビッグモーター」の創業者にして前代表取締役だ。自ら代表を務める資産管理会社の名義で2016年に土地を購入し、20年に建物を新築。ちなみにこの地はそれ以前、ソニーを世界的企業に育て上げた盛田昭夫氏と一族が住んでいた。兼重宏行前社長 購入の同年、ビッグモーターは本社を創業の地、山口県岩国市から東京都港区六本木に移したばかり。既に中古車業界最大手の座にあった。盛田氏の旧宅を購入したのは偶然なのか。あるいは自らを世界的名経営者に擬(なぞら)える“おごり”があったのか。企業風土に問題が しかし、山口の田舎から出て一代で従業員6千人、年商5200億円のガリバー企業を作り上げた成り上がり人生の栄光は、古希を過ぎた今になって、大きく崩れ去ろうとしている。 ビッグモーターの保険金不正請求に関する特別調査委員会の調査報告書が公表されたのは、7月18日のこと。以来、数多く報道されているため詳細は省くが、同社は顧客から預かった事故車両について、靴下に入れたゴルフボールでたたいたり、サンドペーパーでこすったりして故意に損傷させ、修理代を損保会社に水増し請求。保険金を過大に受け取り、売り上げを増やしていたのだ。 同社は不正の件数を1275件、請求総額を約5千万円としているが、もちろん氷山の一角だろう。「経営体質に問題があったのは間違いありません」 と述べるのは、この問題を長く取材してきた、自動車生活ジャーナリストの加藤久美子氏である。「利益至上主義で、『アット』と呼ばれる厳しいノルマを現場に課し、意に染まない社員を平気で降格させたり、自主退職に追い込んだりした。内部告発を無視し、取締役会も開かなかった。そうした企業風土が、現場の社員を保険金の水増し請求に追い込み、組織改善を妨げたのです」世間をあぜんとさせた会見 ビッグモーターは非上場で、前出の資産管理会社が100%の株を持つ兼重家所有の、いわゆるオーナー企業である。「会社と社長の思想が受け入れられないならすぐに辞めてください」なる内容が記された「経営計画書」の存在など、一連の報道では同社の異様なワンマン体質を示す事実の数々が明らかになった。 その兼重氏は問題発覚後、外部には沈黙を貫く一方、社内に向けては「メディアが世間の関心を集めるために、一部の社員の不祥事を組織ぐるみと決めつけて報道している」などと“逆ギレ”とも受け止められるLINEを送っていたことが発覚。 風当たりの強さに屈したのか、7月25日、会見で辞任を表明したものの、その際も「車を傷つけた従業員を告訴する」などと述べて世間をあぜんとさせた。社長の座を辞してもなお、ビッグモーターのオーナーであることには変わりない。 同社のあしき体質を体現する兼重氏とは、果たして何者なのか。“兼重とは縁を切る” 兼重氏の生家は岩国市内にある。「もうアレとは縁を切ったけぇ、話すことはないですけどね」 と言葉少なに語るのは、兼重氏の長兄である。「縁を切るって、向こうが言い出したんやから。50年近く前、そう言って家を出て行ってから、すっかり疎遠で。今どこにいるかもわからん。だから今回の騒動について聞かれても何も知らんのですよ」 兼重氏は1951年、同市で生まれた。上に姉と兄2人がいる4番目の子であるが、「私らとは“種違い”なんですよ」 と長兄が続ける。「うちの父は戦争で亡くなってね。終戦後、未亡人の母が戦争から引き揚げてきた男と一緒になった。そして生まれたのが宏行です。家は畑をやったり、川でシロウオや貝を取ったりして生計を立てていた。宏行は真面目で正直な性格だったが、年も離れているから、私らもあんまり遊んだりはしなかったね」 地元の小中学校を経て、岩国工業高校へ進学。同級生によれば、「機械科にいてね。車やバイクいじりが好きで免許も持っていたよ」 卒業後は、陸上自衛隊に入隊した。ちょうどその頃のことだ。長兄が言う。「宏行から“兼重とは縁を切る”とはっきりと言われてね。けんかしたり、確執があったりしたわけじゃない。でも、生まれの問題とかで、本人なりに思うところがあったんでしょう。それ以降はこの家に戻ってくることはなかったね」車好きの兄ちゃん 隊所属時代に結婚するが、程なく退職。大手ディーラーに勤めた後、1975年、23歳の時に地元で自動車整備工場を始めたという。「はじめは私の妻と二人きりの工場だったんですよ」 とは、兼重氏の姉の夫、つまり義兄である。「宏行に頼まれて妻が事務をすることになって。立ち上げの時には銀行から3千万円借金しましたが、長兄と私が保証人となりました」 というから、「縁を切る」と大見得を切って出て行った割には、きょうだいにおんぶにだっこだったわけだ。 当時の工場の近所に住んでいた住民の証言。「トタン屋根で、バラックというか、こぢんまりした街の修理屋さんという感じだったよ。一度、車が壊れたから持っていったら、宏行さんが“おう!”と言って出てきてね。いじりながら必死にマニュアルをめくっていたけど、最後は“わかんねえ”ってなってね。まあ車好きの兄ちゃんという感じでしたよ」「マナーはよくなかった」 3年後に工場を「兼重オートセンター」として法人化。80年には、現在の「ビッグモーター」へと社名を変更し、とりわけ平成以降、出店増加や積極的なCM展開、また、一般ディーラーよりも高価格での買い取りを謳うことで、とんとん拍子に売り上げを伸ばしていったのだ。 ちょうどその前後、兼重氏は岩国市内に自宅を購入している。「この辺りの家を1区画としたら、3区画分はあるくらいの大きな家だったね」 とは、近所の住民である。「塀も4~5メートルはあってね。中はほとんど見えなかった。立派な造りでしたよ。本人は1番目の奥さんとの間に子供がいたけど離婚したとかで、2番目の奥さんと、彼女との間に生まれた女の子と男の子2人がいましたね。車もベンツと国産車の2台持ち。ゴールデンレトリバーを飼ってましたね」 が、別の住民によれば、「マナーはあまりよくなかったな。ゴミの分別をしないので注意したら、何でうちのゴミを見ているんだ、って奥さんに怒鳴られたことがあった。境界線ギリギリまで塀を建てたりもして、お隣さんはへきえきしていたよ」 2005年には関西の大手中古自動車販売チェーン・ハナテンを傘下に収める。販売から修理、メンテナンス、車検、買取まですべてを手掛けるワンストップサービスを売りに業績を拡大させ、業界トップを争う大手へと成長するのである。“ふざけんな、ボケ”「兼重社長は、ひとことで言えば、昭和の頑固創業社長そのものですよ」 とは、ちょうどその頃、同社に入社した元幹部社員である。「短気で、土日の成績が悪いと、月曜日の早朝に“ふざけんな、ボケ”とLINEが来たこともありました。営業の数字が悪い店舗の店長は、異常な早さで交代させたり、降格させたりしていましたね」 社員へのハッパも厳しく、「いつも“トップの背中を捉えた”“日本一を獲るぞ!”と。“狂ったように出店するぞ”とも言っていました」 なるほど気質はいかにも体育会系という感じだが、決して厳しいだけの存在ではなかったという。「人間味もある人なんです。怒った後の口癖は“いけんいけん興奮してもうた”で、怒りを収めるために声に出していました。新入社員にも“さん”付けでしたし。単身赴任の社員がいたことを知った際、すぐに家族のいる地元に戻してあげたこともあります」 カネに関しては、むしろ“ケチ”とも言いたくなるほどだったという。「出張時の新幹線はグリーン車ではなく自由席。タクシーにも乗らず、電車と徒歩で目的地に行きますし、カバン持ちもいませんでした。スーツは洋服の青山で、2着セットで3万円の品を買ったと、変な自慢をしていましたね。車はベンツやBMWでしたが、中古でしたよ。だから僕らも社長よりいい車には乗れませんでした。ハワイに別荘を買ったという話は聞いたことがありますが……」熱海には豪華クルーザーが そしてついに業界トップの座に躍り出るのである。「社員に見せる顔はともかく、その頃から“成金趣味”になったのは事実」 とは、兼重氏の知人だ。 その象徴が冒頭で紹介した20年新築の噴水・滝・茶室付き、目黒の大豪邸であるが、「他にも、軽井沢に別荘を持っています」 軽井沢駅から車で5分ほど、敷地は優に950坪近い。登記簿を見ると、兼重氏は10年にこの土地を購入し、14年に前述の資産管理会社に売却。16年に同社名義で2階建ての別荘を建てているのだ。「しかも同じ年に、隣接する1600坪を超える土地も購入しています」 現地を訪れると、その土地では先の別荘より巨大な建物が建築中だった。金がうなっているのは間違いない。 ちなみに、当該地の隣にはトヨタ自動車・豊田章男会長の所有する土地も。先ほどの旧盛田邸購入といい、世界的企業のトップへの対抗心でもあるのだろうか。 また、「熱海には、兼重さんの豪華クルーザーが泊めてありますよ」 とは、同地のマリーナ施設の関係者である。「17トンで、加えてヨットとボートも係留されています。それぞれにビッグモーターのロゴと社名が記されていますのですぐにわかりますよ。ご本人は月に1度くらいの割合で利用しています。主に釣り目的で、ゲストを乗せ、操縦士付きで沖に出ていますね」 船の購入は昨年で、名義は資産管理会社だそうだ。 さらに、だ。 その熱海では、駅から車で5分ほどの高台に、やはり資産管理会社の名義で5年前に土地を購入。一昨年には地上2階、地下1階の別荘を建てている。それが、見事なオーシャンビューなのである。「週刊新潮」2023年8月3日号 掲載
東京・目黒区青葉台の高級住宅地の中でもひと際目立つ、敷地面積約500坪の大邸宅。高さ8メートルの外壁の中に立つ地上2階、地下1階の家屋はエントランスに噴水、玄関正面には滝が流れ、庭には茶室が備わっている。
絵に描いたような大豪邸の主は兼重宏行氏。渦中の「ビッグモーター」の創業者にして前代表取締役だ。自ら代表を務める資産管理会社の名義で2016年に土地を購入し、20年に建物を新築。ちなみにこの地はそれ以前、ソニーを世界的企業に育て上げた盛田昭夫氏と一族が住んでいた。
購入の同年、ビッグモーターは本社を創業の地、山口県岩国市から東京都港区六本木に移したばかり。既に中古車業界最大手の座にあった。盛田氏の旧宅を購入したのは偶然なのか。あるいは自らを世界的名経営者に擬(なぞら)える“おごり”があったのか。
しかし、山口の田舎から出て一代で従業員6千人、年商5200億円のガリバー企業を作り上げた成り上がり人生の栄光は、古希を過ぎた今になって、大きく崩れ去ろうとしている。
ビッグモーターの保険金不正請求に関する特別調査委員会の調査報告書が公表されたのは、7月18日のこと。以来、数多く報道されているため詳細は省くが、同社は顧客から預かった事故車両について、靴下に入れたゴルフボールでたたいたり、サンドペーパーでこすったりして故意に損傷させ、修理代を損保会社に水増し請求。保険金を過大に受け取り、売り上げを増やしていたのだ。
同社は不正の件数を1275件、請求総額を約5千万円としているが、もちろん氷山の一角だろう。
「経営体質に問題があったのは間違いありません」
と述べるのは、この問題を長く取材してきた、自動車生活ジャーナリストの加藤久美子氏である。
「利益至上主義で、『アット』と呼ばれる厳しいノルマを現場に課し、意に染まない社員を平気で降格させたり、自主退職に追い込んだりした。内部告発を無視し、取締役会も開かなかった。そうした企業風土が、現場の社員を保険金の水増し請求に追い込み、組織改善を妨げたのです」
ビッグモーターは非上場で、前出の資産管理会社が100%の株を持つ兼重家所有の、いわゆるオーナー企業である。
「会社と社長の思想が受け入れられないならすぐに辞めてください」なる内容が記された「経営計画書」の存在など、一連の報道では同社の異様なワンマン体質を示す事実の数々が明らかになった。
その兼重氏は問題発覚後、外部には沈黙を貫く一方、社内に向けては「メディアが世間の関心を集めるために、一部の社員の不祥事を組織ぐるみと決めつけて報道している」などと“逆ギレ”とも受け止められるLINEを送っていたことが発覚。
風当たりの強さに屈したのか、7月25日、会見で辞任を表明したものの、その際も「車を傷つけた従業員を告訴する」などと述べて世間をあぜんとさせた。社長の座を辞してもなお、ビッグモーターのオーナーであることには変わりない。
同社のあしき体質を体現する兼重氏とは、果たして何者なのか。
兼重氏の生家は岩国市内にある。
「もうアレとは縁を切ったけぇ、話すことはないですけどね」
と言葉少なに語るのは、兼重氏の長兄である。
「縁を切るって、向こうが言い出したんやから。50年近く前、そう言って家を出て行ってから、すっかり疎遠で。今どこにいるかもわからん。だから今回の騒動について聞かれても何も知らんのですよ」
兼重氏は1951年、同市で生まれた。上に姉と兄2人がいる4番目の子であるが、
「私らとは“種違い”なんですよ」
と長兄が続ける。
「うちの父は戦争で亡くなってね。終戦後、未亡人の母が戦争から引き揚げてきた男と一緒になった。そして生まれたのが宏行です。家は畑をやったり、川でシロウオや貝を取ったりして生計を立てていた。宏行は真面目で正直な性格だったが、年も離れているから、私らもあんまり遊んだりはしなかったね」
地元の小中学校を経て、岩国工業高校へ進学。同級生によれば、
「機械科にいてね。車やバイクいじりが好きで免許も持っていたよ」
卒業後は、陸上自衛隊に入隊した。ちょうどその頃のことだ。長兄が言う。
「宏行から“兼重とは縁を切る”とはっきりと言われてね。けんかしたり、確執があったりしたわけじゃない。でも、生まれの問題とかで、本人なりに思うところがあったんでしょう。それ以降はこの家に戻ってくることはなかったね」
隊所属時代に結婚するが、程なく退職。大手ディーラーに勤めた後、1975年、23歳の時に地元で自動車整備工場を始めたという。
「はじめは私の妻と二人きりの工場だったんですよ」
とは、兼重氏の姉の夫、つまり義兄である。
「宏行に頼まれて妻が事務をすることになって。立ち上げの時には銀行から3千万円借金しましたが、長兄と私が保証人となりました」
というから、「縁を切る」と大見得を切って出て行った割には、きょうだいにおんぶにだっこだったわけだ。
当時の工場の近所に住んでいた住民の証言。
「トタン屋根で、バラックというか、こぢんまりした街の修理屋さんという感じだったよ。一度、車が壊れたから持っていったら、宏行さんが“おう!”と言って出てきてね。いじりながら必死にマニュアルをめくっていたけど、最後は“わかんねえ”ってなってね。まあ車好きの兄ちゃんという感じでしたよ」
3年後に工場を「兼重オートセンター」として法人化。80年には、現在の「ビッグモーター」へと社名を変更し、とりわけ平成以降、出店増加や積極的なCM展開、また、一般ディーラーよりも高価格での買い取りを謳うことで、とんとん拍子に売り上げを伸ばしていったのだ。
ちょうどその前後、兼重氏は岩国市内に自宅を購入している。
「この辺りの家を1区画としたら、3区画分はあるくらいの大きな家だったね」
とは、近所の住民である。
「塀も4~5メートルはあってね。中はほとんど見えなかった。立派な造りでしたよ。本人は1番目の奥さんとの間に子供がいたけど離婚したとかで、2番目の奥さんと、彼女との間に生まれた女の子と男の子2人がいましたね。車もベンツと国産車の2台持ち。ゴールデンレトリバーを飼ってましたね」
が、別の住民によれば、
「マナーはあまりよくなかったな。ゴミの分別をしないので注意したら、何でうちのゴミを見ているんだ、って奥さんに怒鳴られたことがあった。境界線ギリギリまで塀を建てたりもして、お隣さんはへきえきしていたよ」
2005年には関西の大手中古自動車販売チェーン・ハナテンを傘下に収める。販売から修理、メンテナンス、車検、買取まですべてを手掛けるワンストップサービスを売りに業績を拡大させ、業界トップを争う大手へと成長するのである。
「兼重社長は、ひとことで言えば、昭和の頑固創業社長そのものですよ」
とは、ちょうどその頃、同社に入社した元幹部社員である。
「短気で、土日の成績が悪いと、月曜日の早朝に“ふざけんな、ボケ”とLINEが来たこともありました。営業の数字が悪い店舗の店長は、異常な早さで交代させたり、降格させたりしていましたね」
社員へのハッパも厳しく、
「いつも“トップの背中を捉えた”“日本一を獲るぞ!”と。“狂ったように出店するぞ”とも言っていました」
なるほど気質はいかにも体育会系という感じだが、決して厳しいだけの存在ではなかったという。
「人間味もある人なんです。怒った後の口癖は“いけんいけん興奮してもうた”で、怒りを収めるために声に出していました。新入社員にも“さん”付けでしたし。単身赴任の社員がいたことを知った際、すぐに家族のいる地元に戻してあげたこともあります」
カネに関しては、むしろ“ケチ”とも言いたくなるほどだったという。
「出張時の新幹線はグリーン車ではなく自由席。タクシーにも乗らず、電車と徒歩で目的地に行きますし、カバン持ちもいませんでした。スーツは洋服の青山で、2着セットで3万円の品を買ったと、変な自慢をしていましたね。車はベンツやBMWでしたが、中古でしたよ。だから僕らも社長よりいい車には乗れませんでした。ハワイに別荘を買ったという話は聞いたことがありますが……」
そしてついに業界トップの座に躍り出るのである。
「社員に見せる顔はともかく、その頃から“成金趣味”になったのは事実」
とは、兼重氏の知人だ。
その象徴が冒頭で紹介した20年新築の噴水・滝・茶室付き、目黒の大豪邸であるが、
「他にも、軽井沢に別荘を持っています」
軽井沢駅から車で5分ほど、敷地は優に950坪近い。登記簿を見ると、兼重氏は10年にこの土地を購入し、14年に前述の資産管理会社に売却。16年に同社名義で2階建ての別荘を建てているのだ。
「しかも同じ年に、隣接する1600坪を超える土地も購入しています」
現地を訪れると、その土地では先の別荘より巨大な建物が建築中だった。金がうなっているのは間違いない。
ちなみに、当該地の隣にはトヨタ自動車・豊田章男会長の所有する土地も。先ほどの旧盛田邸購入といい、世界的企業のトップへの対抗心でもあるのだろうか。
また、
「熱海には、兼重さんの豪華クルーザーが泊めてありますよ」
とは、同地のマリーナ施設の関係者である。
「17トンで、加えてヨットとボートも係留されています。それぞれにビッグモーターのロゴと社名が記されていますのですぐにわかりますよ。ご本人は月に1度くらいの割合で利用しています。主に釣り目的で、ゲストを乗せ、操縦士付きで沖に出ていますね」
船の購入は昨年で、名義は資産管理会社だそうだ。
さらに、だ。
その熱海では、駅から車で5分ほどの高台に、やはり資産管理会社の名義で5年前に土地を購入。一昨年には地上2階、地下1階の別荘を建てている。それが、見事なオーシャンビューなのである。
「週刊新潮」2023年8月3日号 掲載

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