中卒“元アイドル”が引退後、30代で社長秘書まで上り詰めた処世術

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ライブを中心に活動するアイドル。“アイドル戦国時代”と言われて久しい昨今でも、平日・休日問わずにさまざまなライブやイベントに出演している。こうしたアイドル活動に憧れ、夢を追いかける女性も多いことだろう。その一方、いつかは判断を迫られるのが「引退」だ。 13歳から10年以上にわたってアイドル活動を続けてきた高橋都希子さん(33歳)は、結婚を機に今の会社へ就職。現在は社員1000名を超えるIT企業「CLINKS株式会社」の広報部責任者及び社長秘書を務めている。
「アイドル上がりの会社員」としてセカンドキャリアを進み、社長秘書まで上り詰めた処世術について本人に聞いた。
◆高校ヘは進学せずにアイドルの道へ
高橋さんは幼少期から芸能の仕事に憧れを持っており、小学5年生の頃から演技や歌のスクールに通っていたという。中学校へ進学後、原宿の竹下通りを歩いているとスカウトされ、そこからアイドルとして芸能活動を始めることに。
「絶対に有名になりたいと思っていたのもあり、学業は二の次で、芸能活動に集中していました。中学3年生のときに、ちょうど最初に入ったアイドルグループが解散したんですが、知人から『アニメ主題歌でデビューできるグループに入らないか』と新たなアイドル活動のチャンスをもらって。これはやるしかないと思い、そのグループに入ったんです」
◆親が「高校に行かない」選択肢を後押し
当時としては画期的だったライブアイドルのグループに入った高橋さん。中学校を卒業後はアイドル活動一本でやっていくために、高校進学という道は選ばなかったそうだ。
「親も私が勉強できないのは知っていたので、『高校に行かないという選択肢でもいいよ』と背中を押してくれたんです。とにかくアイドルで有名になりたかったので、学校とアイドルを両立させていると、もし芽が出なかったときの保険をかけているような感じがして。それだったら、進学という道を断ち、アイドル活動に集中したほうがいいと考えていました」
◆アイドル活動で味わった「充実感と苦労」
ここから高橋さんのライブアイドル活動が本格化していく。ほぼ毎日ライブをこなし、週末は1日に3~4回のステージに立つ。ライブハウスや学園祭など、さまざまな場所で年間200~300回のライブを行い、一心不乱に取り組んだ。
「あまり大変だなと思ったことはなくて。若さもあったからだと思うんですけど、とにかくがむしゃらにやっていて、それが楽しかったんです。ローカルテレビの深夜バラエティ番組にレギュラー出演させてもらったり、番組の企画やグラビアDVDの撮影で海外へ行かせてもらったりと、かなり有意義な時間を過ごすことができました」
その一方で、「アイドル活動をやっていてツラいことはあった」と高橋さんは続ける。
「ライブアイドルはファンの方と距離感が近く、ライブが終わった後に物販やチェキ撮影の時間もあるんですが、チェキバック(チェキ撮影料金の一部がアイドルの収入の一部になる)でもらえる収入は微々たるもので、マクドナルドの朝の時間帯だけアルバイトに入り、ライブとバイトを掛け持ちしながら生計を立てていましたね。また、土日も出ずっぱりなので、友達と遊ぶ時間がなく、恋愛禁止のため、旅行もあまりできなかったのが辛かったところです」
◆ニューヨーク留学で学んだメンタル面の強さ
こうしたなかでも、高橋さんはライブアイドルを続け、ひたすら夢を追う日々を過ごす。だが、次第に「アイドル活動のマンネリ化」を感じるように……。

一度、芸能活動を休止し、エンタメの本場・ニューヨークで歌とダンスを勉強するべく、留学の道を選んだ。
「英語に関しては、留学の3か月前から少しだけ勉強を始めていましたが、ほとんどできない状態で留学し、現地で周りの人が話しているのを聞いて少しずつ学んでいきました。また、ルームシェアの生活など、自分にとってはどれも初めての経験で、すごく刺激的でした。異文化を知ることができ、自分の考え方も変わったのが海外生活を送っていた時期でした。嫌なことがあった際もくよくよしないマインドや、失敗を恐れずに積極的にチャレンジしていく姿勢は、この頃に身につきました」
◆キャンペーンガールの話が「枕営業」の誘い そして帰国後は、再びアイドル活動を始めた高橋さん。ニューヨーク仕込みの歌とダンスを生かし、別のダンスボーカルユニットに所属。以前と同様、ライブに明け暮れる毎日を過ごしながら、アイドル活動に没頭した。そんななか、危うい目に引っかかりそうになったこともあったそう。
「知人経由で『キャンペーンガールを探している』というプロデューサーを紹介され、実際にお会いしたんですが、それがまさかの詐欺だったのを後で知りました。当時は、無知だったこともあり、業界の中でもすごい人だと最初は勘違いしてしまった。
『キャンペーンガールの起用が決まったら稼げるし、好きなアパレルの購入費も会社の経費で落とせるよ』とうまく話に乗せられ、やる気満々だったんです。ところが、話を聞いていくと、『まずは一緒に寝ないと始まらない』と枕営業を持ちかけられ、そこでやっと不審に思い、断りました。まさか、自分がそんな目に遭うなんて考えたこともなかったですし、ショックな出来事だったと今でも覚えています」
◆アイドルを引退して半年後に結婚、就職
その後、高橋さんは2015年3月にアイドル活動を引退。プライベートでも2015年7月に入籍する。
「半年ほど、今後の方向性など話し合いを重ねて、結婚の道を選びました。結婚後は知人より今の会社を紹介をしてもらい、事務職として就職しました」
いわば、「アイドルのセカンドキャリア」として第二の人生を歩み始めた高橋さんだったが、最初は社会人としての振る舞いや仕事の仕方について戸惑う場面も多かったという。
「もともとPCをいじるのは好きで、デスクワークに抵抗感はなかったんですが、社会人としての礼儀やマナーを身につけるのに苦労しました。特に最初の頃は電話応対が苦手で、電話をかけたり、出たりするのも恥ずかしくてうまくできませんでした。会社に誰もいない時に一人で練習したりしていましたね。受付窓口での対応も知らなかったので、同席した取締役に教えてもらったりと、とにかく周りの人を見て覚えることを心がけていました」
◆社内No.1だと誇れるモノは…? そのほか、アイドル時代は「やってもらって当たり前」だったことも、社会人では自ら率先して動くようにしていったという。そのうち持ち前のコミュニケーション能力や積極性が評価され、徐々に社内のイベント企画や運営を担うようになる。
「いろんな社員の人から『イベント部長!』と言っていただけるようになり、人を楽しませたり明るくさせたりするコミュニケーション面においては、社内No.1だと誇れるものだと思っています。さらに、自身の経験を活かし、自社の魅力を対外的に伝えていく広報の仕事も任されるようになり、会社の風通しの良さや裁量権の大きさを感じていますね」

「事務仕事と違うのは、社外とのやりとりが増えたこと。応対の仕方や礼儀などにより一層気を遣うようになりました。さらに社長のスケジュール管理も大変で、一度、時間を間違えて設定してしまい、会議に誰も来なかったこともあって(苦笑)。私自身、社長から一番信頼される人になれるよう、まだまだ努力が必要だと感じています」
◆「会社で一番信頼される人になりたい」
10年以上やってきたアイドル活動に未練はなく、今は会社の成長に貢献するため、仕事に取り組んでいるという。直近では「TikTok採用に力を入れている」と語り、今後の目標について次のように話す。
「現在、会社では採用の強化を行っていて、毎月10~20名の社員が入社してくるような状態です。こうしたなかで、TikTokも採用媒体として活用できるように、アカウントを開設して、最初の3か月は毎日投稿していました。でも、徐々に1本あたりの企画が雑になったり、ネタ切れしてしまったりと、課題も多かった。今は丁寧に作って、どんな内容がバズるのか試行錯誤しながら考えているところです。これからも、アイドルという経験を活かし、会社に必要とされる自分になれるよう頑張っていきたい」
アイドルのセカンドキャリアを歩む高橋さんは、会社にうまく溶け込み、社会人生活を充実させている。表舞台に立っていた頃のかけがえのない経験が、IT企業に入っても生かされ、キャリアアップにつながっているのは興味深いものだった。
<取材・文・撮影/古田島大介>

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