伝説の“レディース総長”が令和の時代にバズるワケ。SNS総再生回数は1700万回超え

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こんにちは。伝説のレディース暴走族雑誌『ティーンズロード』3代目編集長をやっていた倉科典仁と申します。ティーンズロードは1989年に創刊され、90年代には社会現象に。現在は休刊となっておりますが、そんな本誌に10年以上携わっていました。◆カリスマ的な人気を誇った伝説のレディース総長「かおり」
今回お話するのはティーンズロードでカリスマ的な存在だった「北関東硬派連盟貴族院女族」元2代目総長のかおりさんについて。
全国各地の様々なレディース総長に会ってきた私ですが、彼女はその中でも5本の指に入るほど、良い意味でも、悪い意味でも、「逸材」だったと記憶してます。
当時の彼女は17歳。初めて会ったのは30年以上前のことです。彼女が総長をやっていた女族(じょぞく)から編集部に「取材してもらえませんか?」という連絡が来たので、私たちは栃木県の某所に向かいました。
そこにいたのがかおりさんなのですが、最初からインパクトが強く、切れ長の目と17歳にしてはどことなく色っぽい雰囲気が印象的でした。後に聞いた話では「16歳からスナックの雇われママをしていた」そうなので、大人っぽい感じがしたのかもしれません(と、軽く話しておりますが、本来は“16歳でスナックの雇われママ”自体がありえないことなのですが……)。
◆家庭環境から不良の道へ…
そんな彼女は喋り方がどことなくカタコトだったので「もしかして他の国の人?」と聞くと「私、台湾人なんです」。やはりそうだったのかと納得し、なぜ日本でレディースの総長になったのかインタビューしました。
「生まれたのは台湾の台北市。早くに両親が離婚して、母親が出稼ぎのため日本に行ったんだけど、私も小学5年生のときに日本に来た。でも結局は母親の仕事の事情もあって、一緒に住むことができなくて……。親と一緒に住んだ記憶なんてほとんどなくて、そうこうしてるうちに学校で台湾人ということでイジメにあって、ブチ切れたり、シンナーや万引きをやるようになって、同じような子たちとツルんでいるうちにレディース作ろうって話になったわけ」
まあ、たしかに話を聞くと、家庭環境が彼女を不良の道へ行かせてしまったんだろうと思いました。しかし、彼女はタダの非行少女とは根性の入り方が違うというか、とにかく喧嘩するのが大好きらしく、それもターゲットは女ではなく男。チャラい男を見つけると喧嘩を売ってボコボコにしていたらしいのです。
「女に喧嘩を売ってもたいてい向こうが引いちゃうから喧嘩にならないんだよねー」と彼女。
彼女は喧嘩で勝つために、電信柱を殴ってこぶしを鍛えたり、足のすね(弁慶の泣き所)をビール瓶で叩いて鍛えたり……。また、常に100円ライターをポケットに忍ばせ(握りながら殴ると自分の指が骨折しないらしい)、バッグの中には大きな石を入れていたそうです(顔面を目掛けてフルスイングするとか……)。
◆「総長になってからがいちばん真面目」
とはいえ、かおりさんも女性です。だれかれ構わず喧嘩を売っていると、時には相手が暴力団でボコボコにされてしまったり、拉致されて襲われそうになったりと、命の危機を何回も感じたことがあったようです。
かおりさんは、当時のことをこう振り返ります。

◆あまりの人気に「鬼風刃」としてCDデビュー
彼女がティーンズロードに出るようになってからファンレターや似顔絵など、多くの読者から応援の手紙が届くようになりました。みるみるうちに人気が上がっていったのです。 あまりの人気に女族を引退してからもティーンズロードでは「かおりちゃんの相談コーナー」や「ファッションインタビュー」、当時やっていた「ティーンズロードビデオ」でもレディースチームを取材する際のリポーターとして活躍してもらったほどです。
ある日、某レコード会社から「本物のレディースたちでCDデビューを企画しているので協力してくれないか?」と編集長だった私のもとへオファーが届きました。
私はかおりさんを含め、当時読者人気の高かったレディース総長、副総長に声をかけました。そして、5人組の本物のレディース音楽ユニットが誕生したわけです。
チーム名は「鬼風刃(きふうじん)」と名付けられ、芸能活動が始まりました。各種メディアのインタビュー取材、テレビ出演、レコーディングなど、彼女たちにとってはまさに別世界です。生放送中に他の出演者とあわや喧嘩になりそうになったこともありました。
ただ、メンバーの中では、かおりさんは早くから水商売もしていたせいか、人当たりがよく、大人たちとのやりとりが達者だったような気がしました。
初の単独ライブは渋谷「ON AIR EAST」。当時、それぞれのメンバーの地元の暴走族仲間が渋谷まで応援に駆けつけたので、喧嘩にならないかヒヤヒヤしながら見守っていたのを覚えています。「鬼風刃」はシングルCD2枚、アルバム1枚をリリースしましたが、残念ながら2年で解散してしまいました。
◆SNS総再生回数「1700万回」を超える大バズり
かおりさんはその後の人生も実に波乱万丈です。ここで紹介するにはあまりにも長くなりすぎるので割愛させていただきますが、7月13日に上梓する自叙伝『「いつ死んでもいい」本気で思ってた…』(大洋図書)に詳しく書かれています。現在、彼女はお子さん2人のお母さんであり、なんとお孫さんまで今年誕生して幸せな人生を送っています。
さて、ここからが本題(?)なのですが、今回彼女を紹介した理由としては、驚くべきことが今起こっているわけです。
私は『実話ナックルズ』という雑誌のYouTubeチャンネル「ナックルズTV」をプロデュースしているのですが、そこでかおりさんのインタビューを行ったところ、その動画が70万回再生、ショート動画では360万回再生を超えています。10代の子がメインで見ているTikTokに至っては約400万再生。SNS総再生回数としては1700万回再生を超えており、いわゆる「大バズり」しているのです。
これにはYouTubeの編集スタッフもびっくり。当然、ティーンズロードに出ていた頃のかおりさんを今の若者たちが知っているはずもないので「令和の時代になぜ彼女がウケているんだろう?」と首をひねる状態でした。
◆“ヤンキー”が令和の時代にウケるワケ
この時代(令和)は、あらゆる物事がデジタル化しています。コロナの影響もあり、人と人とのコミュニケーションが難しくなり、人間関係がドライになってきているような気がしています。 一方、『クローズZERO』『今日からオレは!!』『東京リベンジャーズ』など、ヤンキーをテーマにしたアニメやドラマ、映画が若い世代に人気を博していますが、もしかすると、ヤンキー作品に見られるような「仲間のために」「本物の友情」「心の居場所」などを、どこかで求めていることの裏返しなのではないかと。
どれだけデジタル化が進もうと、今も昔も我々が人間である以上、これらを探していることは間違いないと私は思うのです。
<文/倉科典仁(大洋図書)>
―[ヤンキーの流儀 ~知られざる「女性暴走族」の世界~]―

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