奈良の鹿「おじぎ行動」が減少していた コロナ禍で観光客との交流が減っていったことが原因か

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「山口県ののどかな集落で、住民がサルに襲われる事件が続出」「夜行性だったはずの都内のタヌキが昼間も活動」「人に動じないクマが頻出」そして奈良の鹿が……全国各地の野生動物たちに起きている異変は天変地異の前触れか──。
【写真】「奈良の鹿」は礼儀正しく道路を渡ることも「コロナが明けて、久しぶりの家族旅行で奈良へ。昔、奈良公園にいる鹿におせんべいをあげたとき、ペコリと一礼してくれたのがすごくかわいくて……。子供たちにも見せてあげたいなぁと思っていたんです」

しかし期待が一転、がっかりな結果になったとため息をつきながら話すのは、都内在住の会社員Nさん(42才・仮名)。「そんなしぐさはまったくしてくれなくて、差し出したおせんべいを夢中で食べるだけ。子供たちも“お母さん、おじぎしないよ”とガッカリしていました」(Nさん) かつて、観光客に近づき一礼することが“奈良の鹿おなじみのしぐさ”として広く知られ、テレビやネットでも「日本一礼儀正しい」といわれていた奈良公園の鹿たちに、何やら異変が起きている──。 奈良の鹿たちは本当におじぎをしなくなったのか。真偽を確かめるべく、本誌・女性セブン記者は奈良公園に向かった。 奈良公園は約660ヘクタールの広大な地域にまたがり、東大寺や興福寺、春日大社など、世界遺産に指定されている歴史的文化遺産とも隣接した自然豊かな人気スポットだ。 ここに生息するのは、1182頭の鹿たち(2022年7月時点)。メス鹿が747頭、オス鹿が204頭、そして子鹿が231頭と、メスの数が圧倒的に多い。これは鹿の社会が1頭のオスを中心に数頭のメスが集団を作る「一夫多妻」であり、オスよりもメスの方が5年ほど長生きするためだという。 平日の昼下がりにもかかわらず、公園内には多くの観光客がカメラをかまえたり、せんべいを手に鹿に近づいていったりと思い思いの時を過ごしており、その合間を縫うようにして園内のあちこちに鹿が姿を見せる。せんべいをねだる鹿もいるが、記者が見ている限り、「おじぎ」をする様子はあまり見られない。実際に記者がせんべいを手に鹿に近寄っていっても喜んで食べてはくれるものの、「ペコリ」は見ることができなかった。 鹿せんべい売り場の女性に話を聞くと、首を傾げながらこう答えてくれた。「たしかに最近はあんまり見ないですねぇ……。みんな突進するように近づいてきて少し怖いくらいです」 この異変は、観光客や地元住民の感覚だけではなく、奈良公園の鹿たちの行動は本当に変容していた。奈良女子大学が北海道大学と共同研究を行い、「おじぎの減少」を明らかにしたのだ。 同研究グループで実地調査を行った、奈良女子大大学院博士後期課程2年の上原春香さんが言う。「鹿せんべいを販売する売店のある奈良公園内の3区域で鹿1頭当たりのおじぎの回数を計数したところ、パンデミック前の2016年9月~2017年1月は10.2回でしたが、パンデミック期間中の2020年6月~2021年の6月は6.4回。62%に減少していたのです」 研究の指導を行った奈良女子大教授で動物生態学が専門の遊佐陽一さんによれば、“おじぎの回数”は観光客の増減と関連しているという。「この“おじぎ行動”は、奈良公園の鹿に特有のもので、せんべいを持った観光客と鹿の異種間コミュニケーション手段として、親から子へ伝播され、発達してきたものと考えられます。だから観光客が減って人との交流がなくなれば、鹿たちもおじぎという“伝統”を継承する必要がなくなり、減っていくのでしょう。実際、コロナ禍の間にも、Go Toトラベルなどによって観光客が増えた際はおじぎの回数も増えたことが明らかになっています」 遊佐さんによれば、パンデミック期間中は奈良公園の調査地を訪れる鹿の頭数自体も減少したという。「これも観光客が減り、鹿せんべいをもらえる機会が少なくなったことが理由だと考えられます。その期間、鹿たちはより自然な環境で植物を食べて生きていたのではないか」(遊佐さん)せんべい断ちで鹿の糞に異変 コロナ禍が動物の行動に影響を与えたケースは、奈良公園の鹿だけではない。 東京農工大の研究によると、タヌキやアライグマの食生活の時間帯も大きく変化しているという。コロナ禍以前は夜、真っ暗になった後に樹木から落ちた果実を取って食べていたが、コロナ禍を経て昼間にも果実を集めるようになったことがわかったのだ。 生物学者で早稲田大学名誉教授の池田清彦さんが言う。「これはおそらく、コロナ禍で外出自粛が行われたことによって昼間も人口密度が減った結果、人間たちに警戒する必要がなくなり、時間に関係なく食料を集められるようになり、その習慣が根づいたということでしょう。 動物たちの変化は、コロナによるわれわれの行動の変化に影響を受けたものだと考えられます」 動物と人間が共存する現代において、私たちの行動ひとつで彼らをとりまく環境は大きく変わるのだ。実際、コロナ禍の間、奈良の鹿たちにはもう1つ大きな変化があった。2020年6月に朝日新聞がこう報じている。《お腹の調子がよくなり、それまでゆるめだった糞が、黒くて丸い“黒豆”のように良好な状態になっている》。同記事はその理由を「鹿せんべい」の消費量が減ったことだと結論づけた。 一般財団法人「奈良の鹿愛護会」の板倉誉明さんは、鹿たちの食事事情についてこう説明する。「奈良公園の鹿は野生動物であり、主食は公園内の芝やドングリなどの木の実。観光客にねだる鹿せんべいは、鹿にとっては“おやつ”です。鹿せんべいの原料は糠と小麦粉のみで砂糖や保存料など、鹿の体に悪いものは含まれていませんが、コロナ前は訪日外国人が増えていたこともあり、“おやつの食べすぎ”になっていたのかもしれません」 記者が奈良公園を訪れたのはコロナが5類に移行して1か月半が経った6月の半ば。観光客の中には訪日外国人も多く、奈良公園の賑わいもコロナ禍前に戻りつつあった。「今後、観光客が戻ってきた結果、以前のようにおじぎを多くするようになるだろうと予想しており、これからも調査を続けたいと思っています」(上原さん) あなたがこの夏、訪れるときにはおじぎが“復活”しているかもしれない。ただし、その際には注意してほしいことがあると板倉さんは話す。「鹿せんべい以外の食べ物を与えるのは鹿がお腹を壊す原因になるので、絶対に与えないでください。 また、子鹿を見かけたときは、近寄らずにそっと離れてほしい。お母さん鹿は母性本能が強く、大切な子鹿を守るために命懸けで攻撃してくることがあるからです。お母さん鹿は子鹿をにおいで判別しているので、子鹿に触って人のにおいがつくと、子育てをしなくなってしまうこともある。そっと見守ってあげてください」 動物たちの生態や行動が変われば、環境はもちろん私たち人間社会にも大きな影響を与える。コロナという脅威がもたらした“異変”が鹿にとって、私たちにとって吉なのか凶なのか見守りたい。※女性セブン2023年7月13日号
「コロナが明けて、久しぶりの家族旅行で奈良へ。昔、奈良公園にいる鹿におせんべいをあげたとき、ペコリと一礼してくれたのがすごくかわいくて……。子供たちにも見せてあげたいなぁと思っていたんです」
しかし期待が一転、がっかりな結果になったとため息をつきながら話すのは、都内在住の会社員Nさん(42才・仮名)。
「そんなしぐさはまったくしてくれなくて、差し出したおせんべいを夢中で食べるだけ。子供たちも“お母さん、おじぎしないよ”とガッカリしていました」(Nさん)
かつて、観光客に近づき一礼することが“奈良の鹿おなじみのしぐさ”として広く知られ、テレビやネットでも「日本一礼儀正しい」といわれていた奈良公園の鹿たちに、何やら異変が起きている──。
奈良の鹿たちは本当におじぎをしなくなったのか。真偽を確かめるべく、本誌・女性セブン記者は奈良公園に向かった。
奈良公園は約660ヘクタールの広大な地域にまたがり、東大寺や興福寺、春日大社など、世界遺産に指定されている歴史的文化遺産とも隣接した自然豊かな人気スポットだ。
ここに生息するのは、1182頭の鹿たち(2022年7月時点)。メス鹿が747頭、オス鹿が204頭、そして子鹿が231頭と、メスの数が圧倒的に多い。これは鹿の社会が1頭のオスを中心に数頭のメスが集団を作る「一夫多妻」であり、オスよりもメスの方が5年ほど長生きするためだという。
平日の昼下がりにもかかわらず、公園内には多くの観光客がカメラをかまえたり、せんべいを手に鹿に近づいていったりと思い思いの時を過ごしており、その合間を縫うようにして園内のあちこちに鹿が姿を見せる。せんべいをねだる鹿もいるが、記者が見ている限り、「おじぎ」をする様子はあまり見られない。実際に記者がせんべいを手に鹿に近寄っていっても喜んで食べてはくれるものの、「ペコリ」は見ることができなかった。
鹿せんべい売り場の女性に話を聞くと、首を傾げながらこう答えてくれた。
「たしかに最近はあんまり見ないですねぇ……。みんな突進するように近づいてきて少し怖いくらいです」
この異変は、観光客や地元住民の感覚だけではなく、奈良公園の鹿たちの行動は本当に変容していた。奈良女子大学が北海道大学と共同研究を行い、「おじぎの減少」を明らかにしたのだ。
同研究グループで実地調査を行った、奈良女子大大学院博士後期課程2年の上原春香さんが言う。
「鹿せんべいを販売する売店のある奈良公園内の3区域で鹿1頭当たりのおじぎの回数を計数したところ、パンデミック前の2016年9月~2017年1月は10.2回でしたが、パンデミック期間中の2020年6月~2021年の6月は6.4回。62%に減少していたのです」
研究の指導を行った奈良女子大教授で動物生態学が専門の遊佐陽一さんによれば、“おじぎの回数”は観光客の増減と関連しているという。
「この“おじぎ行動”は、奈良公園の鹿に特有のもので、せんべいを持った観光客と鹿の異種間コミュニケーション手段として、親から子へ伝播され、発達してきたものと考えられます。だから観光客が減って人との交流がなくなれば、鹿たちもおじぎという“伝統”を継承する必要がなくなり、減っていくのでしょう。実際、コロナ禍の間にも、Go Toトラベルなどによって観光客が増えた際はおじぎの回数も増えたことが明らかになっています」
遊佐さんによれば、パンデミック期間中は奈良公園の調査地を訪れる鹿の頭数自体も減少したという。
「これも観光客が減り、鹿せんべいをもらえる機会が少なくなったことが理由だと考えられます。その期間、鹿たちはより自然な環境で植物を食べて生きていたのではないか」(遊佐さん)
コロナ禍が動物の行動に影響を与えたケースは、奈良公園の鹿だけではない。
東京農工大の研究によると、タヌキやアライグマの食生活の時間帯も大きく変化しているという。コロナ禍以前は夜、真っ暗になった後に樹木から落ちた果実を取って食べていたが、コロナ禍を経て昼間にも果実を集めるようになったことがわかったのだ。
生物学者で早稲田大学名誉教授の池田清彦さんが言う。
「これはおそらく、コロナ禍で外出自粛が行われたことによって昼間も人口密度が減った結果、人間たちに警戒する必要がなくなり、時間に関係なく食料を集められるようになり、その習慣が根づいたということでしょう。
動物たちの変化は、コロナによるわれわれの行動の変化に影響を受けたものだと考えられます」
動物と人間が共存する現代において、私たちの行動ひとつで彼らをとりまく環境は大きく変わるのだ。実際、コロナ禍の間、奈良の鹿たちにはもう1つ大きな変化があった。2020年6月に朝日新聞がこう報じている。《お腹の調子がよくなり、それまでゆるめだった糞が、黒くて丸い“黒豆”のように良好な状態になっている》。同記事はその理由を「鹿せんべい」の消費量が減ったことだと結論づけた。
一般財団法人「奈良の鹿愛護会」の板倉誉明さんは、鹿たちの食事事情についてこう説明する。
「奈良公園の鹿は野生動物であり、主食は公園内の芝やドングリなどの木の実。観光客にねだる鹿せんべいは、鹿にとっては“おやつ”です。鹿せんべいの原料は糠と小麦粉のみで砂糖や保存料など、鹿の体に悪いものは含まれていませんが、コロナ前は訪日外国人が増えていたこともあり、“おやつの食べすぎ”になっていたのかもしれません」
記者が奈良公園を訪れたのはコロナが5類に移行して1か月半が経った6月の半ば。観光客の中には訪日外国人も多く、奈良公園の賑わいもコロナ禍前に戻りつつあった。
「今後、観光客が戻ってきた結果、以前のようにおじぎを多くするようになるだろうと予想しており、これからも調査を続けたいと思っています」(上原さん)
あなたがこの夏、訪れるときにはおじぎが“復活”しているかもしれない。ただし、その際には注意してほしいことがあると板倉さんは話す。
「鹿せんべい以外の食べ物を与えるのは鹿がお腹を壊す原因になるので、絶対に与えないでください。
また、子鹿を見かけたときは、近寄らずにそっと離れてほしい。お母さん鹿は母性本能が強く、大切な子鹿を守るために命懸けで攻撃してくることがあるからです。お母さん鹿は子鹿をにおいで判別しているので、子鹿に触って人のにおいがつくと、子育てをしなくなってしまうこともある。そっと見守ってあげてください」
動物たちの生態や行動が変われば、環境はもちろん私たち人間社会にも大きな影響を与える。コロナという脅威がもたらした“異変”が鹿にとって、私たちにとって吉なのか凶なのか見守りたい。
※女性セブン2023年7月13日号

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