【佐藤 隼秀】品出しでギックリ腰に…20代ドラッグストア勤務の薬剤師が見た「限界」と「独立」の夢

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高級ホテルやショッピングモールがひしめく都心エリア。筆者はその一角にそびえるタワーマンションに赴いた。豪奢なエントランスで筆者を出迎えたのは、秋山大地氏(30代・仮名)である。
秋山氏が住むマンションは、家賃50万円を超える部屋もあるという。上階に設けられたプライベートバーラウンジに案内され、彼の話に耳を傾けた。
彼の職業は「薬剤師」。現在、日本に30万人以上いるという薬剤師だが、秋山氏の年収は6000万円を超えているという。
photo by gettyimages
「6年ほど前まで、大手ドラッグストアチェーンの店長職をしており、年収は600万円ほどでした。店長職に就いても、仕事はレジ打ちなどの店舗作業が多く、給料も頭打ち。子供の頃から理系で人一倍勉強して、6年制の薬学部を出てもそこまでか、と正直思ってしまいました。それならば、いっそのこと独立してしまおうと。
いまは都内で調剤薬局を4店舗経営しています。現在は年収6000~7000万円ほどなので、店長時代から年収は10倍になったワケです」
秋山氏は、新卒4年目で独立。大学の同期で独立した人はほぼおらず、チャレンジングな選択だったと振り返る。
公務員の両親の家庭に育った秋山氏は、’07年に都内の上位薬学部に進学。学費は総額1300万円ほどかかり、そのうち400万円ほどを奨学金として借り入れた。
特につまづくことなく薬学部卒業を見込んだ秋山氏だが、そこで進路に迷う。
「僕が卒業した頃は、就職先をどこにするか、ヒエラルキーが明確にあったんですよ。いまと違って薬学部の数も少なく、学校のブランド格差も大きかった。だからこそ卒業後の進路にこだわる人も多く、薬学部での勉強や研究を活かした職に就くとハクが付いたんです。
いちばんの『成功者』は、外資系の製薬メーカーに就職を決めた人。薬学部以外の学生も参入してくるため競争率が高く、就職するのがかなり難しい。年収も高く、当時で新卒は平均年収600万円、30歳になると1000円万ほど、支店長とクラスだと3000万円ぐらいもらえるところもあります。
スーツを着てバリバリ営業したり、MR(医療情報担当者)になるのは薬学部にとって花形でした。
次にヒエラルキーが高いのは、病院勤務の薬剤師。大学卒業後も論文が読めたり博士号が取れたりと、専門的な勉強ができるので人気でした。ただ、給料が低いのがネックで、当時の初任給が平均400万円、主任レベルになれても年収500万円台なんですよ。一般のサラリーマンと同等で、生涯賃金2億円前後のイメージですね。
その下に調剤薬局、そしてドラッグストアと続くイメージです。調剤薬局は調剤や服薬をメインに携われるものの、新卒時の年収は平均450万円。ドラッグストア勤務は、平均500万円超えですが、品出しやレジ打ちなどの業務もしなければなりません。
まあそんなうっすらとした職業ヒエラルキーみたいな空気感があったんです。結局、私はメーカー就活がうまくいかなかったのと、病院勤務は合わず……。奨学金返済も頭にチラついていたので、迷った末に、大手ドラッグストアに就職するに至りました」
こうして2013年に、秋山氏の社会人生活が始まった。就職先では固定残業代もついており、夜間手当もプラスされて、初年度の年収は600万円ほどにまで膨らんだ。しかも当時は、業界全体で人手も少なく、2年目には店長を任されるスピード出世だった。
着実に奨学金を返済していく秋山氏だが、店長職に就いた直後から独立を意識するようになる。
「就職先の薬局は、調剤薬局が併設され処方箋も扱っているタイプの店舗でした。ただ、処方箋の調剤や服薬指導だけでなく、品出しやレジ打ちなど、パートがやるような店舗業務もかなり手伝わされ、体力的にもかなりキツかった。
特に夏場、2リットルのお茶や水が入った段ボールを何十個も運んだのは堪えました。肉体労働が得意でなくて、何度もぎっくり腰になりました。
メンタル的にもしんどかったですね。薬学部で6年間研究していたのに、社会人になってレジ打ちとか品出しでしたから。『なんで俺はこんなことやっているんだろう』とふと思って、お金と引き換えになにかを失ったような感覚になりました。大学の同期から『奨学金借りてまで研究して、レジ仕事?』なんて言われたこともあって、それは今でもトラウマです。
そのうえ給料面も不安でした。2年目に店長職になった時も、住民税が引かれて年収は600万円ほど。2年目で600万なら高待遇かと思いますが、そこから先がなかなか上がらないんです。
店長から何十店舗か管轄するエリアマネージャーに昇格すると、年収800~900万ほどになりますが、代わりに全国転勤は避けられない。転勤有りだと年収が50万上乗せされる給料体系でしたし、出世するには転勤がマストだったんです。
職場環境的にも待遇的にも、このまま何十年もドラッグストアに居続けるのはキツい。そう考えると働く気も失せてしまい、それなら引き際が早い方が良いと独立を考えるようになりました」
終わりの見えない不況で、新卒から安定した収入と仕事を手にしているのであれば十分のようにも思える。
それでも秋山氏にとっては、ドラッグストア勤務は望ましい労働環境ではなかったようだ。そこからどうやって独立を遂げ、「年収10倍」へいきなりステップアップしたのか。後編〈ドラッグストア勤務の薬剤師が「独立」を選び、年収6000万円の経営者になるまで〉に続く。

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