この5月、コンビニエンスストアで他人の証明書が発行された事例がいくつも見つかって以来、マイナンバーカードには味噌がつきっ放しである。健康保険証と一体化した「マイナ保険証」について、他人の情報にひもづけられていたケースが医療現場でいくつも確認されたり、個人向けサイト「マイナポータル」で、他人の年金記録を閲覧できたりと、トラブルの博覧会となった感がある。
【ちょっと見てられない画像、12枚】ご自慢の「4代目」とインスタライブでハシャぐ岸田夫妻。「初デートはどこ?」との質問に答えて、フリップで回答(岸田総理のInstagramより) それでも岸田文雄総理は、現行の健康保険証を廃止して「マイナ保険証」に一体化する方針を崩していない。また、政府は2026年にも、セキュリティを強化したあたらしいマイナンバーカードを導入する方針を固めている。
マイナンバーカード トラブルを解消して遅れている日本のデジタル化を進め、カードをあたらしい仕様にするのも重要だろう。ただし、同時にかならず実行してほしいのは、「マイナンバーカード」という呼び名の変更である。すべての日本人が所持すべきカードが横文字で表記されていることに、著しい違和感を覚えざるをえない。「マイナンバーカード」の正式名称は「個人番号カード」だが、なぜ一般に「マイナンバーカード」と呼ばれるのか。それは番号法(行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律)における「個人番号」の通称が「マイナンバー」と決められてしまったからである。民主党政権の負の遺産 個人番号の導入を公約したのは2009年、まだ野党だった民主党だった。その後、2012年に野田佳彦内閣で番号法案が閣議決定され、国会に提出されたが、衆議院解散によって廃案となっている。翌13年、第二次安倍晋三内閣であらためて閣議決定され、5月24日に参議院本会議で可決し成立。5月31日に公布された。 それに先立ち、民主党の菅直人内閣のときに政府の番号制度創設推進本部は、国民一人ひとりにあらたに付与する個人番号(当時は共通番号と呼ばれていた)の名称について、2011年2月24日から3月23日まで一般公募し、807件の応募のなかから「マイナンバー」が選ばれたのである。「マイナンバー」という名を応募したのは18人で、最多ではなかったそうだ。国語学者やコピーライターら民間有識者が「マイナンバー」のほか「iコード」「国民サービス番号」「日本国民番号」「マイコード」などの候補を選び、社会保障・税一体改革担当大臣を中心に関係各省の副大臣や政務官らが議論して、「マイナンバー」を推すことに決まったという。社会保障改革検討本部で最終決定され、11年6月30日に公表されている。 要するに、「マイナンバー」という呼称は、民主党政権の負の遺産だったのである。 それにしても、すべての日本国民に付与する番号の呼び名を、どうして英語由来のカタカナ表記にしてしまったのか。番号は外国人の中長期在留者や特別永住者にもあたえられるにせよ、日本国内でもちいる、おおむね日本人のための番号である。「個人番号」で十分だし、日本人一人ひとりのアイデンティティを示す番号には、日本人のアイデンティティとして誇るべき日本語を使うべきではなかったか。政府が安易に横文字を使う危険性 呼び名が「マイナンバー」に決まった当時、カタカナ表記になったのは、役所の堅いイメージを排除しようとした結果だろう、といわれた。もしも、日本語より英語由来の横文字のほうがやわらかいイメージだという判断が働いたのだとしたら、あまりに軽率だというほかない。 私は1883年(明治16年)に鹿鳴館を建設し、西洋の猿真似をしながら国賓や外国の大使らをもてなしたことを、日本の恥ずべき歴史だと考えている。欧米から尊敬されたいなら彼らの真似をするのではなく、彼らにないものを表現すべきだった。とはいえ、そこには不平等条約を解消したいという明確なねらいがあった。ところが、「マイナンバー」という呼び名を選択した背景には、なんとなくウケがよさそうな響きを選ぶというぼんやりした意識以外に、なにがあっただろうか。それにしては、負の影響が大きすぎる。 日本語による表記を政府が率先して放棄すれば、日本語(漢字)=堅い、カタカナまたはアルファベット=やわらかい、というイメージが、子供から高齢者まで老若男女を問わず浸透しかねない。とくに子供たちへの影響はあなどれない。 最近では、小学校で運動会を「スポーツ・フェスティバル」と呼ぶ例も耳にするが、子供のころからそうした呼び名に慣れると、文化としての言葉に対する意識の低下を招く。政府が「マイナンバー」という呼び名を使いつづけることで、そうした風潮が助長されているのである。 それでも百歩譲って、カタカナやアルファベットの使用が日本人の英語力向上や、グローバルな意識の醸成につながるなら、まだマシだろう。だが、「マイナンバー」という呼び名自体が和製英語で、英語では「アイデンティティ・ナンバー」もしくは「アイデンティフィケイション・ナンバー」である。しかも、英語圏ではありえない「マイナ」という略称を、政府が率先して使っている。国際社会の笑いものでしかない スイスに本部を置く国際語学教育機関「EFエデュケーション・ファースト」が2022年に行った調査によると、英語を母語としない112の国や地域のうち、日本人の英語力は前年の78位からさらに順位を落とし、80位だった。 トップから10位までは、2位のシンガポールを除いてすべてヨーロッパ諸国だが、ヨーロッパの言語はいずれも英語と構造が似ているうえ、語源を同じくする単語が多いので、当然の結果だろう。しかしアジア圏でも、フィリピンが22位、マレーシアが24位、韓国が36位、ベトナムが60位、中国が62位、ネパールが65位、モンゴルが72位など、日本を上回る国や地域が多い。 日本の国際化がいかに遅れているかがわかる。それにグローバルな意識をもった国民ほど一般に、自身のアイデンティティへの意識が高い。和製英語である「マイナンバー」やその略語の「マイナ」を政府が率先して使う国の国際的感覚に対しては、甚だしい危惧を抱かざるをえない。 伝統ある言葉を大切にせず、日本でしか通じない和製英語をもちいて嬉々としている状況は、どう考えても国際社会では笑いものにしかならない。ちなみに、前述の調査で日本人より英語力で上位につけた韓国では、日本の「マイナンバー」に当たる共通番号は「住民登録番号」といい、俗に「身分証」(シンブンチュン)と呼ばれる「住民登録証」を全員がもっている。また、中国における共通番号は「公民身分番号」(公民身號碼)という。いずれも自国の原語で表記されている。 言葉を核とした伝統を守りながら世界と伍していく――。グローバル化が進む世界のなか、多くの国が意識している姿勢である。岸田総理も日本を同じ方向に導きたいなら、「マイナンバー」、略称である「マイナ」、そして「マイナンバーカード」という呼称を、「個人番号」、「個人番号証」に大至急あらためるべきである。香原斗志(かはら・とし)音楽評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。デイリー新潮編集部
それでも岸田文雄総理は、現行の健康保険証を廃止して「マイナ保険証」に一体化する方針を崩していない。また、政府は2026年にも、セキュリティを強化したあたらしいマイナンバーカードを導入する方針を固めている。
トラブルを解消して遅れている日本のデジタル化を進め、カードをあたらしい仕様にするのも重要だろう。ただし、同時にかならず実行してほしいのは、「マイナンバーカード」という呼び名の変更である。すべての日本人が所持すべきカードが横文字で表記されていることに、著しい違和感を覚えざるをえない。
「マイナンバーカード」の正式名称は「個人番号カード」だが、なぜ一般に「マイナンバーカード」と呼ばれるのか。それは番号法(行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律)における「個人番号」の通称が「マイナンバー」と決められてしまったからである。
個人番号の導入を公約したのは2009年、まだ野党だった民主党だった。その後、2012年に野田佳彦内閣で番号法案が閣議決定され、国会に提出されたが、衆議院解散によって廃案となっている。翌13年、第二次安倍晋三内閣であらためて閣議決定され、5月24日に参議院本会議で可決し成立。5月31日に公布された。
それに先立ち、民主党の菅直人内閣のときに政府の番号制度創設推進本部は、国民一人ひとりにあらたに付与する個人番号(当時は共通番号と呼ばれていた)の名称について、2011年2月24日から3月23日まで一般公募し、807件の応募のなかから「マイナンバー」が選ばれたのである。
「マイナンバー」という名を応募したのは18人で、最多ではなかったそうだ。国語学者やコピーライターら民間有識者が「マイナンバー」のほか「iコード」「国民サービス番号」「日本国民番号」「マイコード」などの候補を選び、社会保障・税一体改革担当大臣を中心に関係各省の副大臣や政務官らが議論して、「マイナンバー」を推すことに決まったという。社会保障改革検討本部で最終決定され、11年6月30日に公表されている。
要するに、「マイナンバー」という呼称は、民主党政権の負の遺産だったのである。
それにしても、すべての日本国民に付与する番号の呼び名を、どうして英語由来のカタカナ表記にしてしまったのか。番号は外国人の中長期在留者や特別永住者にもあたえられるにせよ、日本国内でもちいる、おおむね日本人のための番号である。「個人番号」で十分だし、日本人一人ひとりのアイデンティティを示す番号には、日本人のアイデンティティとして誇るべき日本語を使うべきではなかったか。
呼び名が「マイナンバー」に決まった当時、カタカナ表記になったのは、役所の堅いイメージを排除しようとした結果だろう、といわれた。もしも、日本語より英語由来の横文字のほうがやわらかいイメージだという判断が働いたのだとしたら、あまりに軽率だというほかない。
私は1883年(明治16年)に鹿鳴館を建設し、西洋の猿真似をしながら国賓や外国の大使らをもてなしたことを、日本の恥ずべき歴史だと考えている。欧米から尊敬されたいなら彼らの真似をするのではなく、彼らにないものを表現すべきだった。とはいえ、そこには不平等条約を解消したいという明確なねらいがあった。ところが、「マイナンバー」という呼び名を選択した背景には、なんとなくウケがよさそうな響きを選ぶというぼんやりした意識以外に、なにがあっただろうか。それにしては、負の影響が大きすぎる。
日本語による表記を政府が率先して放棄すれば、日本語(漢字)=堅い、カタカナまたはアルファベット=やわらかい、というイメージが、子供から高齢者まで老若男女を問わず浸透しかねない。とくに子供たちへの影響はあなどれない。
最近では、小学校で運動会を「スポーツ・フェスティバル」と呼ぶ例も耳にするが、子供のころからそうした呼び名に慣れると、文化としての言葉に対する意識の低下を招く。政府が「マイナンバー」という呼び名を使いつづけることで、そうした風潮が助長されているのである。
それでも百歩譲って、カタカナやアルファベットの使用が日本人の英語力向上や、グローバルな意識の醸成につながるなら、まだマシだろう。だが、「マイナンバー」という呼び名自体が和製英語で、英語では「アイデンティティ・ナンバー」もしくは「アイデンティフィケイション・ナンバー」である。しかも、英語圏ではありえない「マイナ」という略称を、政府が率先して使っている。
スイスに本部を置く国際語学教育機関「EFエデュケーション・ファースト」が2022年に行った調査によると、英語を母語としない112の国や地域のうち、日本人の英語力は前年の78位からさらに順位を落とし、80位だった。
トップから10位までは、2位のシンガポールを除いてすべてヨーロッパ諸国だが、ヨーロッパの言語はいずれも英語と構造が似ているうえ、語源を同じくする単語が多いので、当然の結果だろう。しかしアジア圏でも、フィリピンが22位、マレーシアが24位、韓国が36位、ベトナムが60位、中国が62位、ネパールが65位、モンゴルが72位など、日本を上回る国や地域が多い。
日本の国際化がいかに遅れているかがわかる。それにグローバルな意識をもった国民ほど一般に、自身のアイデンティティへの意識が高い。和製英語である「マイナンバー」やその略語の「マイナ」を政府が率先して使う国の国際的感覚に対しては、甚だしい危惧を抱かざるをえない。
伝統ある言葉を大切にせず、日本でしか通じない和製英語をもちいて嬉々としている状況は、どう考えても国際社会では笑いものにしかならない。ちなみに、前述の調査で日本人より英語力で上位につけた韓国では、日本の「マイナンバー」に当たる共通番号は「住民登録番号」といい、俗に「身分証」(シンブンチュン)と呼ばれる「住民登録証」を全員がもっている。また、中国における共通番号は「公民身分番号」(公民身號碼)という。いずれも自国の原語で表記されている。
言葉を核とした伝統を守りながら世界と伍していく――。グローバル化が進む世界のなか、多くの国が意識している姿勢である。岸田総理も日本を同じ方向に導きたいなら、「マイナンバー」、略称である「マイナ」、そして「マイナンバーカード」という呼称を、「個人番号」、「個人番号証」に大至急あらためるべきである。
香原斗志(かはら・とし)音楽評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。
デイリー新潮編集部