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“参院のドン”といわれた青木幹雄元官房長官が11日に老衰のため死去していたことが、12日に明らかになった。89歳だった。
故竹下登元首相の秘書から島根県議を経て、1986年に参院選で初当選。99年に小渕恵三内閣で官房長官に就任した。小渕氏が脳梗塞で倒れた際には、首相臨時代理として、森喜朗氏を後継に選んだ「5人組」の一人で、存在感を発揮した。
青木氏といえば、内閣支持率と政党支持率を足した数字が50%を下回ると政権は立ち行かなくなるとの“青木率”“青木の法則”を編み出し、歴代政権は退陣や解散総選挙の一つの指標としていた。
党参院幹事長、参院議員会長を歴任し、党内に影響力を持ち、2010年に引退した後も平成研究会(現茂木派)で発言力を持った。ただ、現派閥会長で、党幹事長を務める茂木敏充氏とは確執があったとされる。
自民党関係者は「一昨年に派閥会長だった竹下亘氏が亡くなった後、青木氏は小渕優子氏を会長に据えようと動いていたが、政治資金規正法違反事件からまだほとぼりが冷めていないとして、茂木氏が会長に就任した経緯がある。茂木氏からすれば、後ろ盾を失った小渕氏は脅威でなくなるとはいえ、派閥を一枚岩にすることができるかという課題が出てくる」と指摘する。
青木氏の死去を受け、小渕氏が「派閥運営について何か申し上げる立場にないが、引退後も青木先生の存在感は本当に大きかった」と話せば、茂木氏は「平成研として、一層結束を図り、さらなる発展に努めることで、青木先生の志や功績を受け継いでいきたい」と語り、同派の動向は、今後の政局も左右しそうだ。

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