歌舞伎町刺殺事件の現場は通称“ヤクザマンション” 住人だったライターが見た「玄関や廊下で乱闘」「バルコニーから組員が降ってきた」

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歌舞伎町のマンションの一室で起きた殺人事件。その現場は、暴力団界隈では広く知られた通称“ヤクザマンション”だった。かつて実際にここに部屋を借り住んでいたという暴力団取材の第一人者、フリーライターの鈴木智彦氏がレポートする。
【写真】“ヤクザマンション”から見た景色そして外観 * * * 5月29日午前2時50分頃、新宿区歌舞伎町2丁目にあるマンションの部屋から、「友人が刺された」と119番通報があった。現場はマンションの7階で住吉会系組織の拠点のひとつだった。

すぐに警察官や救急隊が駆けつけた。部屋の玄関先で昏倒していた28歳の組員は近くの病院に運ばれた。が、数か所の刺し傷があり出血もひどかったようで、搬送先の病院で死亡した。 容疑者はすぐに現場近くで発見された。54歳の元暴力団員で返り血を浴び、異様な風体だったという。刃物の鞘を所持していたが、凶器となるナイフ類は持っていなかった。職務質問すると「事件には関わりがない」と答えたらしい。そんな抗弁が通用するはずがない。その後、警視庁は殺人の疑いで容疑者を逮捕した。二人には面識があり、個人的なトラブルになっていたらしい。処分者である容疑者が歌舞伎町で飲んでいたのを被害者に咎められ、古巣のため待機場所が分かっているので訪問、玄関先で口論となり複数回刺したとみられているが、取り調べが進んでおらず、当人の具体的な供述は伝わっていない。 暴力団関係者の起こした殺人事件でも、組織対組織の抗争とは違い、報復の可能性は考えにくい。騒動はすぐに鎮静化するとみられる。通常ならショッキングな殺人事件の発生でマンション住民も動揺するだろうが、なにせ現場は日本中にその名を轟かせる通称“ヤクザマンション”だ。たとえ隣人でも気にしないだろう。ただし、マンション内で殺人事件が起き、派手に流血すると、清掃時に大量の消毒液を使うので数日は刺激臭が漂う。知り合いの住民に電話をしてみたところ、「そんなの死体が腐った古漬けのような匂いよりずっとマシ。気になるはずない」との返答だった。 暴力団関係者の入居が多いマンションは歌舞伎町を始め、池袋、赤坂、渋谷など他の盛り場にも存在する。しかし、暴力団社会で「ヤクザマンション」といえば、今回の事件現場を指すと考えてよい。あまりに有名なので、フィクションのモデルにもなった。『殺し屋1』(山本英夫作のコミックス。のち映画化)はこのヤクザマンションを、歌舞伎町と暴力団を象徴する舞台装置に使い、三棟建てのマンションが迷宮のように繋がる内部、管理人室に貼られたポスターまで正確に描写した。 暴力団専門誌『実話時代』編集部を退社してフリーライターになった私が、ヤクザマンションの6階の部屋を借りたのは1999年である。当時、ヤクザマンションには警察が把握しているだけで36団体(二次、三次、四次団体を合わせて)もの暴力団組織が入居していた。住吉会、稲川会、東亜会(現・東声会)といった博徒系・愚連隊系組織、極東会をはじめとする多くのテキヤ組織に加え、日本最大の暴力団である山口組系列傘下事務所も数件あった。その他、非指定暴力団もおり、管理事務所の名簿を見ると、まるで暴力団カタログだった。 新宿・歌舞伎町の、それもヤクザマンションに好んで住もうという人間は限られる。実際、300戸近い物件のうち、およそ7割が暴力団関係者というのが当時の警察の見解だった。暴力団が楽に稼げる商売だった時代は終焉し、いまは反社会勢力とまでいわれる時代である。「多少マシになったはずだが、重層的な又貸しで、他のマンションに入居するよりははるかに簡単だ。ここはヤクザの聖地みたいなもんでそう変わらないはず。それにヤクザがいなくなって、替わりに入ってくる住民だって普通のファミリーじゃないだろう」(前出の住民) マンションが分譲されたのは、昭和55年(1980年)だった。分譲から間もなくして、深夜のエレベーターで若い女性が黒人の不良にレイプされ、エレベーターに監視カメラが設置された。それからほどなくして、今度は女性の半裸死体がみつかった。フリーの売春婦を買ったヤクザが支払いを渋り、「あんたも男を売る稼業なら金くらい払え」と罵られ、激高した挙げ句に殺害。死体を当マンションの階段に捨てたのだ。このときは通りがかったタクシー運転手が、たまたま「下半身が裸のマネキンらしきモノ」を運ぶ光景を目撃しており、すぐに逮捕された。防犯カメラは24時間フル稼働で敷地内部の様子を録画しており、これまで数回、凶悪事件の決定的証拠となっている。今回の事件でも詳細を記録しているだろう。 暴力団の事務所や拠点は、8階から下のワンルームエリアに多くあった。ヤクザマンション内にあるごく少数の一般家庭は9階から上のファミリータイプにあって、このエリアにも有名かつ大所帯の武闘派暴力団が入居していた。神戸山口組の井上邦雄組長も訪問 なにしろ聖地だから、歌舞伎町でのトラブルや関東一円の抗争事件のみならず、全国どこで事件が起きても歌舞伎町のヤクザマンションが騒がしくなる。 2015年8月、兵庫県神戸市に本部を置く山口組が分裂すると、私はヤクザマンションに住む知り合いに毎日電話をかけた。離脱し、神戸山口組を旗揚げした山健組の井上邦雄組長が周囲を巻き込み、自陣営の友好団体を増やそうと必ず上京してくる。ならば必ず歌舞伎町のヤクザマンションを訪問するだろうと推測した。予想は見事に的中した。 ヤクザマンションに入居していた数年間、殺人事件はなかったものの、発砲事件や爆弾騒ぎ、ガサ入れなどは毎月のようにあった。玄関や廊下で乱闘事件にも出くわしたし、上層階の事務所バルコニーから、睡眠薬で昏倒したヤクザも降ってきた。 記事の訂正を断ったことから、襲撃されたこともある。今回の事件と同じく、来客でドアを開けたら侵入されたのだ。幸い刺されなかったが、パソコンがぶち壊され、私の顔面もまた破壊された。被害届を出して大阪に逃亡している間に話が付いた。久しぶりにヤクザマンションに戻ると、仲のよかった稲川会の親分がお茶に呼んでくれ、黒光りする巨大な仏様の横でお祓いをしてくれた。その親分も私が退去した後、ヤクザマンションから飛び降りて死んでしまった。 何度も血に染まり、数多くの命を呑み込んできたヤクザマンション……今回のような事件が発生するたび、歌舞伎町の住人たちはこう囁く。「ああ、またか。ヤクザマンションなら仕方ない」 この場所では事件が日常だ。歌舞伎町の裏側にある暴力のランドマークは、これからもしばらくの間、ヤクザの聖地として存在し続けるだろう。
* * * 5月29日午前2時50分頃、新宿区歌舞伎町2丁目にあるマンションの部屋から、「友人が刺された」と119番通報があった。現場はマンションの7階で住吉会系組織の拠点のひとつだった。
すぐに警察官や救急隊が駆けつけた。部屋の玄関先で昏倒していた28歳の組員は近くの病院に運ばれた。が、数か所の刺し傷があり出血もひどかったようで、搬送先の病院で死亡した。
容疑者はすぐに現場近くで発見された。54歳の元暴力団員で返り血を浴び、異様な風体だったという。刃物の鞘を所持していたが、凶器となるナイフ類は持っていなかった。職務質問すると「事件には関わりがない」と答えたらしい。そんな抗弁が通用するはずがない。その後、警視庁は殺人の疑いで容疑者を逮捕した。二人には面識があり、個人的なトラブルになっていたらしい。処分者である容疑者が歌舞伎町で飲んでいたのを被害者に咎められ、古巣のため待機場所が分かっているので訪問、玄関先で口論となり複数回刺したとみられているが、取り調べが進んでおらず、当人の具体的な供述は伝わっていない。
暴力団関係者の起こした殺人事件でも、組織対組織の抗争とは違い、報復の可能性は考えにくい。騒動はすぐに鎮静化するとみられる。通常ならショッキングな殺人事件の発生でマンション住民も動揺するだろうが、なにせ現場は日本中にその名を轟かせる通称“ヤクザマンション”だ。たとえ隣人でも気にしないだろう。ただし、マンション内で殺人事件が起き、派手に流血すると、清掃時に大量の消毒液を使うので数日は刺激臭が漂う。知り合いの住民に電話をしてみたところ、「そんなの死体が腐った古漬けのような匂いよりずっとマシ。気になるはずない」との返答だった。
暴力団関係者の入居が多いマンションは歌舞伎町を始め、池袋、赤坂、渋谷など他の盛り場にも存在する。しかし、暴力団社会で「ヤクザマンション」といえば、今回の事件現場を指すと考えてよい。あまりに有名なので、フィクションのモデルにもなった。『殺し屋1』(山本英夫作のコミックス。のち映画化)はこのヤクザマンションを、歌舞伎町と暴力団を象徴する舞台装置に使い、三棟建てのマンションが迷宮のように繋がる内部、管理人室に貼られたポスターまで正確に描写した。
暴力団専門誌『実話時代』編集部を退社してフリーライターになった私が、ヤクザマンションの6階の部屋を借りたのは1999年である。当時、ヤクザマンションには警察が把握しているだけで36団体(二次、三次、四次団体を合わせて)もの暴力団組織が入居していた。住吉会、稲川会、東亜会(現・東声会)といった博徒系・愚連隊系組織、極東会をはじめとする多くのテキヤ組織に加え、日本最大の暴力団である山口組系列傘下事務所も数件あった。その他、非指定暴力団もおり、管理事務所の名簿を見ると、まるで暴力団カタログだった。
新宿・歌舞伎町の、それもヤクザマンションに好んで住もうという人間は限られる。実際、300戸近い物件のうち、およそ7割が暴力団関係者というのが当時の警察の見解だった。暴力団が楽に稼げる商売だった時代は終焉し、いまは反社会勢力とまでいわれる時代である。
「多少マシになったはずだが、重層的な又貸しで、他のマンションに入居するよりははるかに簡単だ。ここはヤクザの聖地みたいなもんでそう変わらないはず。それにヤクザがいなくなって、替わりに入ってくる住民だって普通のファミリーじゃないだろう」(前出の住民)
マンションが分譲されたのは、昭和55年(1980年)だった。分譲から間もなくして、深夜のエレベーターで若い女性が黒人の不良にレイプされ、エレベーターに監視カメラが設置された。それからほどなくして、今度は女性の半裸死体がみつかった。フリーの売春婦を買ったヤクザが支払いを渋り、「あんたも男を売る稼業なら金くらい払え」と罵られ、激高した挙げ句に殺害。死体を当マンションの階段に捨てたのだ。このときは通りがかったタクシー運転手が、たまたま「下半身が裸のマネキンらしきモノ」を運ぶ光景を目撃しており、すぐに逮捕された。防犯カメラは24時間フル稼働で敷地内部の様子を録画しており、これまで数回、凶悪事件の決定的証拠となっている。今回の事件でも詳細を記録しているだろう。
暴力団の事務所や拠点は、8階から下のワンルームエリアに多くあった。ヤクザマンション内にあるごく少数の一般家庭は9階から上のファミリータイプにあって、このエリアにも有名かつ大所帯の武闘派暴力団が入居していた。
なにしろ聖地だから、歌舞伎町でのトラブルや関東一円の抗争事件のみならず、全国どこで事件が起きても歌舞伎町のヤクザマンションが騒がしくなる。
2015年8月、兵庫県神戸市に本部を置く山口組が分裂すると、私はヤクザマンションに住む知り合いに毎日電話をかけた。離脱し、神戸山口組を旗揚げした山健組の井上邦雄組長が周囲を巻き込み、自陣営の友好団体を増やそうと必ず上京してくる。ならば必ず歌舞伎町のヤクザマンションを訪問するだろうと推測した。予想は見事に的中した。
ヤクザマンションに入居していた数年間、殺人事件はなかったものの、発砲事件や爆弾騒ぎ、ガサ入れなどは毎月のようにあった。玄関や廊下で乱闘事件にも出くわしたし、上層階の事務所バルコニーから、睡眠薬で昏倒したヤクザも降ってきた。
記事の訂正を断ったことから、襲撃されたこともある。今回の事件と同じく、来客でドアを開けたら侵入されたのだ。幸い刺されなかったが、パソコンがぶち壊され、私の顔面もまた破壊された。被害届を出して大阪に逃亡している間に話が付いた。久しぶりにヤクザマンションに戻ると、仲のよかった稲川会の親分がお茶に呼んでくれ、黒光りする巨大な仏様の横でお祓いをしてくれた。その親分も私が退去した後、ヤクザマンションから飛び降りて死んでしまった。
何度も血に染まり、数多くの命を呑み込んできたヤクザマンション……今回のような事件が発生するたび、歌舞伎町の住人たちはこう囁く。
「ああ、またか。ヤクザマンションなら仕方ない」
この場所では事件が日常だ。歌舞伎町の裏側にある暴力のランドマークは、これからもしばらくの間、ヤクザの聖地として存在し続けるだろう。

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