ブラック企業の上司から命じられ人妻を誘惑したばかりに…40歳夫が「公認の不倫」で恐怖を感じるまで

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妻公認の「不倫」をしている男性がいるという。世の中は案外広いので、「夫の不倫を公認する妻」もいるかもしれないが、公認されている夫はどういう気持ちなのだろう。それはもはや妻に監視、支配された恋愛ではないのかと思うが、彼自身はどう考えているのだろうか。そんな思いで会ったのは、徳田勇弥さん(40歳・仮名=以下同)だ。中肉中背、メガネの奥の瞳が優しげな男性だった。
【写真を見る】「夫が19歳女子大生と外泊報道」で離婚した女優、離婚の際「僕の財産は全部捧げる」と財産贈与した歌手など【「熟年離婚」した芸能人11人】 東京都内で生まれ育った勇弥さんは、「ごく普通のサラリーマンの父と、パートで働く母」との間に産まれた長男。2歳年上の姉がいる。この姉が子どものころから才気煥発、しかもスポーツも万能で小学校では目立つ存在だった。勇弥さんも同じ小学校、中学校に通ったが、いつも「え、あの徳田さんの弟?」と言われ続けた。

大学卒業後に入社した”ブラック企業”でとんでもない業務を命じられて…「ずっとそう言われていると、いじけるとか拗ねるとかを通り越して『あの姉の弟です』と自らを卑下することで存在感を示そうとするようになるんですよ。姉は本当に優秀で、たいして勉強もしていなかったのに高校も大学も国立に進学、公費で留学もして、その後の人生もキャリアを追求しつづけています。結婚して子どももふたりいるし、義兄も優秀、しかもふたりとも性格もいい。もはや羨ましいとさえ思わないくらい(笑)」 両親が姉の優秀さは認めながらも、弟にも配慮してくれたおかげなのか、勇弥さんは「自分は自分」と思いながら大きくなることができた。それは「両親の功績」だと彼は笑う。「僕自身は本当にぼんくらというかなんというか。浪人したあげく、ようやく私立大学にひっかかって、卒業後は広告関係の中小企業に就職しました。ところがこの会社がブラックもいいところで、忙しいのはかまわないけど環境や人間関係が最悪だった。営業成績が上がらないからと社員全員の前で土下座させられたこともありました」任された仕事は「誘惑」 それでも仕事に食らいついていかなければと勇弥さんはがんばっていた。2年目に入ったころ、部長に「おまえに大事な仕事を頼みたい」と言われて張り切った。ところがその仕事というのは、「とある女性を誘惑すること」だった。このことは今でも彼の生々しい「傷」となっている。後悔してもしきれないと彼はうつむいた。「その女性を誘惑することが大事な仕事につながると言われ、彼女がいる場所に行って誘惑しました。恋愛経験は豊富ではなかったけど、これが大事な仕事だし、うまくいけば大きな報酬が待っていると言われていたので、がんばらなければと思っていたんです」 彼女が相当年上なのがひっかかったが、それでも勇弥さんは必死で誘惑し、会って3度目で陥落させた。証拠写真を撮ってこいと言われていたので、ホテルに入るところ、彼女がシャワーを浴びているところ、行為の最中などに隠し撮りをしたりふざけたふりをして携帯で撮ったりした。それを部長に報告すると「よくやった」と褒められた。今後、何か起こることも考えられるから携帯を変えろ、費用は会社から出すと言われ、素直に電話の機種を変更、番号も変えた。「ところがそれ、仕事ではなかったんです。実はその女性は、部長の奥さんだった。部長は自分が浮気していて離婚したいために、妻が不倫したことにしようと考えた。そうすれば慰謝料を払わなくてすむから、と。僕がそれを知ったのは、部長が離婚して社内の女性と再婚してから。僕の中で何かがキレました。会社を辞めると言ったら『口止め料だ』とそこそこ多額の“退職金”をもらいましたが、それから気持ちが落ち込んで1年ほど何もする気が起こらなかった」「大人は腹黒い」とひきこもりに 24歳だった彼は、会社は怖い、大人は腹黒いと感じてひきこもった。就職してすぐにひとり暮らしを始めたので、小さなアパートにずっとこもっていた。3ヶ月たって、ようやく徒歩10分の図書館に行けるようになった。だが、学生時代の友人にも顔を合わせることができなかったという。「会社を辞めたことも負い目だったけど、自分が人としてしてはいけないことをしてしまったのが大きかったですね。自分を一生許せないと思った」 だが一生、そうやってこもっているわけにはいかないこともわかっていた。1年たってようやく彼は近くの飲食店でアルバイトを始めた。体力が衰えていたのだろう、最初は数時間働いて帰宅すると、そのまま倒れるように寝こんでしまった。だんだん慣れていき、毎日働けるようになったのは半年過ぎてからだ。何もかも忘れたいと必死で働いた。彼の接客が気に入ったからとリピーター客が増えていった。「その飲食店の大元である企業の本部の人がやってきて本部で働かないかと言われて……。自分を必要としてくれる人がいるのがうれしかったから、即、決断しました。前の会社を辞めてから2年、ようやく再就職できました」押し切られる形で結婚 再就職先で出会ったのが4歳年上の茉利さんだった。彼女は勇弥さんの指導社員で、その役目以上に親切にしてくれた。前の会社と違って風通しがいい社風で若い社員も多く、勇弥さんは生き返ったような気持ちになった。「僕の仕事はエリアマネージャーの補佐でした。仕事はいくらでもあった。思い切り仕事をして帰りに同僚と一杯やって帰る。そんなごく普通の生活が楽しかった」 そんな中で茉利さんとの距離もどんどん近くなっていった。彼女はあたかも自分が勇弥さんとつきあっているかのように振る舞う。周りはふたりが恋人同士なのだと推測している。勇弥さんはそう感じていた。うっとうしかったが振り切ることもできず、夜中に家にまで押しかけられてついに関係を持った。「彼女のことが嫌いなわけではなかった。でも20代の男性らしく、対等な立場同士でごく普通の恋愛がしたかったんです。社内に気になる女性もいたし。だけど茉利からは逃れられない。そんな予感もありました」 ぐいぐい来られると断れない性格なのだ。相手が指導社員ということもあって断固とした態度はとりづらかった。これも今ならパワハラなのかもしれないが、当時はそういう認識はなかったと勇弥さんは言う。 結局、彼は28歳のときに茉利さんに押し切られる形で結婚した。同時に茉利さんは昇進して部署を異動したため、フロアも変わり、職場でふたりが顔を合わせることは激減した。「婚姻届を出してしばらくしてから、職場の人や友人たちを招いてパーティをしました。僕はそれだけですませたかったんですが、茉利はどうしても親戚関係も紹介したいと言う。うちはほとんど親戚づきあいがないから両親と姉だけ、茉利のほうは父親のきょうだいが多いとかで、20人近くいました。茉利の父親の知り合いが経営する中華料理屋さんを借り切っておこなわれました。そこはもう茉利の父が仕切っていた感じですが……」 勇弥さんはふと言葉を切った。そして「世の中、狭いですよね」とつぶやいた。後編【妻の「いいわよ知っているから」に不倫夫の恐怖 踊らされていた?彼女の“血筋”がちらつく夫婦生活の行方】へつづく亀山早苗(かめやま・さなえ)フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。デイリー新潮編集部
東京都内で生まれ育った勇弥さんは、「ごく普通のサラリーマンの父と、パートで働く母」との間に産まれた長男。2歳年上の姉がいる。この姉が子どものころから才気煥発、しかもスポーツも万能で小学校では目立つ存在だった。勇弥さんも同じ小学校、中学校に通ったが、いつも「え、あの徳田さんの弟?」と言われ続けた。
「ずっとそう言われていると、いじけるとか拗ねるとかを通り越して『あの姉の弟です』と自らを卑下することで存在感を示そうとするようになるんですよ。姉は本当に優秀で、たいして勉強もしていなかったのに高校も大学も国立に進学、公費で留学もして、その後の人生もキャリアを追求しつづけています。結婚して子どももふたりいるし、義兄も優秀、しかもふたりとも性格もいい。もはや羨ましいとさえ思わないくらい(笑)」
両親が姉の優秀さは認めながらも、弟にも配慮してくれたおかげなのか、勇弥さんは「自分は自分」と思いながら大きくなることができた。それは「両親の功績」だと彼は笑う。
「僕自身は本当にぼんくらというかなんというか。浪人したあげく、ようやく私立大学にひっかかって、卒業後は広告関係の中小企業に就職しました。ところがこの会社がブラックもいいところで、忙しいのはかまわないけど環境や人間関係が最悪だった。営業成績が上がらないからと社員全員の前で土下座させられたこともありました」
それでも仕事に食らいついていかなければと勇弥さんはがんばっていた。2年目に入ったころ、部長に「おまえに大事な仕事を頼みたい」と言われて張り切った。ところがその仕事というのは、「とある女性を誘惑すること」だった。このことは今でも彼の生々しい「傷」となっている。後悔してもしきれないと彼はうつむいた。
「その女性を誘惑することが大事な仕事につながると言われ、彼女がいる場所に行って誘惑しました。恋愛経験は豊富ではなかったけど、これが大事な仕事だし、うまくいけば大きな報酬が待っていると言われていたので、がんばらなければと思っていたんです」
彼女が相当年上なのがひっかかったが、それでも勇弥さんは必死で誘惑し、会って3度目で陥落させた。証拠写真を撮ってこいと言われていたので、ホテルに入るところ、彼女がシャワーを浴びているところ、行為の最中などに隠し撮りをしたりふざけたふりをして携帯で撮ったりした。それを部長に報告すると「よくやった」と褒められた。今後、何か起こることも考えられるから携帯を変えろ、費用は会社から出すと言われ、素直に電話の機種を変更、番号も変えた。
「ところがそれ、仕事ではなかったんです。実はその女性は、部長の奥さんだった。部長は自分が浮気していて離婚したいために、妻が不倫したことにしようと考えた。そうすれば慰謝料を払わなくてすむから、と。僕がそれを知ったのは、部長が離婚して社内の女性と再婚してから。僕の中で何かがキレました。会社を辞めると言ったら『口止め料だ』とそこそこ多額の“退職金”をもらいましたが、それから気持ちが落ち込んで1年ほど何もする気が起こらなかった」
24歳だった彼は、会社は怖い、大人は腹黒いと感じてひきこもった。就職してすぐにひとり暮らしを始めたので、小さなアパートにずっとこもっていた。3ヶ月たって、ようやく徒歩10分の図書館に行けるようになった。だが、学生時代の友人にも顔を合わせることができなかったという。
「会社を辞めたことも負い目だったけど、自分が人としてしてはいけないことをしてしまったのが大きかったですね。自分を一生許せないと思った」
だが一生、そうやってこもっているわけにはいかないこともわかっていた。1年たってようやく彼は近くの飲食店でアルバイトを始めた。体力が衰えていたのだろう、最初は数時間働いて帰宅すると、そのまま倒れるように寝こんでしまった。だんだん慣れていき、毎日働けるようになったのは半年過ぎてからだ。何もかも忘れたいと必死で働いた。彼の接客が気に入ったからとリピーター客が増えていった。
「その飲食店の大元である企業の本部の人がやってきて本部で働かないかと言われて……。自分を必要としてくれる人がいるのがうれしかったから、即、決断しました。前の会社を辞めてから2年、ようやく再就職できました」
再就職先で出会ったのが4歳年上の茉利さんだった。彼女は勇弥さんの指導社員で、その役目以上に親切にしてくれた。前の会社と違って風通しがいい社風で若い社員も多く、勇弥さんは生き返ったような気持ちになった。
「僕の仕事はエリアマネージャーの補佐でした。仕事はいくらでもあった。思い切り仕事をして帰りに同僚と一杯やって帰る。そんなごく普通の生活が楽しかった」
そんな中で茉利さんとの距離もどんどん近くなっていった。彼女はあたかも自分が勇弥さんとつきあっているかのように振る舞う。周りはふたりが恋人同士なのだと推測している。勇弥さんはそう感じていた。うっとうしかったが振り切ることもできず、夜中に家にまで押しかけられてついに関係を持った。
「彼女のことが嫌いなわけではなかった。でも20代の男性らしく、対等な立場同士でごく普通の恋愛がしたかったんです。社内に気になる女性もいたし。だけど茉利からは逃れられない。そんな予感もありました」
ぐいぐい来られると断れない性格なのだ。相手が指導社員ということもあって断固とした態度はとりづらかった。これも今ならパワハラなのかもしれないが、当時はそういう認識はなかったと勇弥さんは言う。
結局、彼は28歳のときに茉利さんに押し切られる形で結婚した。同時に茉利さんは昇進して部署を異動したため、フロアも変わり、職場でふたりが顔を合わせることは激減した。
「婚姻届を出してしばらくしてから、職場の人や友人たちを招いてパーティをしました。僕はそれだけですませたかったんですが、茉利はどうしても親戚関係も紹介したいと言う。うちはほとんど親戚づきあいがないから両親と姉だけ、茉利のほうは父親のきょうだいが多いとかで、20人近くいました。茉利の父親の知り合いが経営する中華料理屋さんを借り切っておこなわれました。そこはもう茉利の父が仕切っていた感じですが……」
勇弥さんはふと言葉を切った。そして「世の中、狭いですよね」とつぶやいた。
後編【妻の「いいわよ知っているから」に不倫夫の恐怖 踊らされていた?彼女の“血筋”がちらつく夫婦生活の行方】へつづく
亀山早苗(かめやま・さなえ)フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。
デイリー新潮編集部

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