【奥村シンゴ】義母にまさかの1億5000万円以上の借金が…「あなたも返済して」と迫られた主婦の決断

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ヤングケアラー(若者介護者)の存在が、クローズアップされるようなった昨今。その火付け役となったのが、『おばあちゃんは、ぼくが介護します。』の著者で、自身もヤングケアラーとしての経験を持つ、奥村シンゴさんだ。
そんな奥村さんが今回取り上げるのは、30代から舅と姑の介護に追われ、さらには姑の借金の返済に協力させられたという女性の事例。彼女はなぜそのような生活を送ることになったのか、誰を頼ればよかったのか。順を追って奥村さんが解説する。
まゆみさん(仮名=以下同)は、大阪府在住40代後半の女性。大学卒業後、看護師として勤務し5年ほどした27歳の時、3つ年上の会社員の旦那と結婚。
夫が経済的に安定していたのと優しさに惹かれた。また、姑が看護師と聞かされ親近感がわいたのも結婚する大きな決め手になった。旦那には舅と姑がいたが、旦那が新居を購入しまゆみさんと2人で生活を始めることになる。
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舅は、長年大学教授として活躍し月70万円弱の収入を得ていたので、世間一般でいえば高額所得者に該当するだろう。しかし、まゆみさんは結婚してすぐ旦那の家庭が色々訳ありなことに気づきはじめる。「お義母さんは職業は看護師さんと言っていたのに、夜の時間のみ働きに行くんです。夜勤帯のみの看護師さんはあまり聞きませんし……。後々、わかったのですがお義母さんは看護師ではなく水商売で働いていたんです」(まゆみさん)まゆみさんは結婚前、姑の職業が看護師と聞かされていたのでなぜそんな嘘をつくのだろうと不思議だった。さらに、姑は家を購入するのが好きで1980年代前半、大阪府枚方市に3000万の分譲住宅を購入したのだと旦那から聞かされた。「お義母さんは住宅を購入後すぐ、不動産屋さんと仲良くなり、買った家を売却すれば儲かる仕組みを知ったようです」(まゆみさん)1980年代~1990年代はじめといえば、バブル絶頂期で空前の不動産ブームが到来し物価が短期間で高騰し高級住宅が飛ぶように売れた時代。姑は不動産屋の友達に勧められ大阪府枚方市の住宅をわずか3年で売却。その後、1980年代後半から1990年代はじめにかけて大阪府箕面市、兵庫県神戸市、兵庫県西宮市と次々と購入し3年単位で売却を繰り返した。「当時は日本全体がバブル絶頂期で姑は1憶5000万の売却益が懐に入ってきたそうです。その時はかなり派手な生活を送っていたみたいです」(まゆみさん)姑はバブルの波にのり大金を手中におさめたが、景気の悪化に伴い風向きが変わり始める。姑がバブル崩壊で1憶4600万の借金生活に転落姑の不動産収益は1990年代初頭のバブル崩壊に伴う土地価格の下落や不景気に伴い悪化に転じるが、それでも懲りずに兵庫県神戸市、大阪府豊中市、兵庫県西宮市と購入と売却を繰り返した。姑は兵庫県神戸市を購入した1990年代後半から赤字になり、気がつけば1憶5000万の売却益から2憶9600万の負債、つまり1憶4600万の借金が残った。姑は予想外の結果に困り果て、舅に「私が悪かった。借金返済に協力して」とお願いした。舅は「だから言っただろ。兵庫県神戸市の住宅に住んでおけばよかったんだ」と激怒したものの借金返済には協力。そして、舅はまゆみさんの旦那にも「借金返済に協力してくれよ。俺一人では返しきれないよ」と泣きついてきた。旦那は「俺も自分の生活と老後で精一杯。単身赴任でお金もかかるんだよ。そもそも、おふくろがいい年齢して無駄使いするのが悪いんだ」と協力を断固拒否した。 姑が原因で家計が火だるまのまさにこの時期、2000年代前半に、まゆみさんは結婚したことになる。「私は結婚前、姑が多額の借金トラブルに見舞われていたなんて知りませんでしたので驚きましたね」(まゆみさん)しかも舅はなんとまゆみさんに姑の借金を一緒に返してきてくれと頼んできたのだ。まゆみさんは、「自己破産か任意調停してください。私が借金を返す必要はありませんので」と舅の頼みを断った。しかし、舅は「私の職業柄、破産処理が知れたら大恥をかく。大学にいづらくなるし、下手すれば仕事がなくなるかもしれない」と自身の保身に精一杯……。さらに姑は、まゆみさんに「借金を返すの断ったら海に沈めてぶち殺すぞ。水商売で怖い人達と付き合いあるからな」と脅迫してきた。まゆみさんは、すぐさま夫に姑に脅されたのと借金の返済方法を相談。「おふくろが脅迫してきた? お前の言い方が悪かったんじゃないか。俺はおふくろの借金の件は一切関わりたくない。これ以上その話はしないでくれ」とつっぱねられた。夫婦であれば親の借金の解決に向けて努力するのが普通ではないだろうか。ましてや、まゆみさんは母子家庭で若い頃に母親をガンで亡くした一人っ子で、相談する家族もいない。姑の脅迫や旦那の無理解が原因でまゆみさんは精神的に憔悴し、舅と協力し姑の借金を返すのをしぶしぶ決意したのだった。* * *生みの親であれ義理の親であれ、子どもが必ず面倒を見ないといけないわけではない。まゆみさんのケースでは、完全に縁を切るというわけではなくとも、家庭裁判所に相談し、親族間のトラブルを解決するという方法も取り得た。トラブルの渦中にいると、そのことで頭がいっぱいになってしまうのも無理はないが、知っていれば防げることもある。まゆみさんはどのように動けばよかったのか、気になる義理の親との関係はーー。など後編記事〈「義母の借金2400万円」をかわりに返済、義両親の介護にも苦しんだ40代主婦ケアラーの告白〉で詳しくお伝えする。
舅は、長年大学教授として活躍し月70万円弱の収入を得ていたので、世間一般でいえば高額所得者に該当するだろう。
しかし、まゆみさんは結婚してすぐ旦那の家庭が色々訳ありなことに気づきはじめる。
「お義母さんは職業は看護師さんと言っていたのに、夜の時間のみ働きに行くんです。夜勤帯のみの看護師さんはあまり聞きませんし……。後々、わかったのですがお義母さんは看護師ではなく水商売で働いていたんです」(まゆみさん)
まゆみさんは結婚前、姑の職業が看護師と聞かされていたのでなぜそんな嘘をつくのだろうと不思議だった。
さらに、姑は家を購入するのが好きで1980年代前半、大阪府枚方市に3000万の分譲住宅を購入したのだと旦那から聞かされた。
「お義母さんは住宅を購入後すぐ、不動産屋さんと仲良くなり、買った家を売却すれば儲かる仕組みを知ったようです」(まゆみさん)
1980年代~1990年代はじめといえば、バブル絶頂期で空前の不動産ブームが到来し物価が短期間で高騰し高級住宅が飛ぶように売れた時代。
姑は不動産屋の友達に勧められ大阪府枚方市の住宅をわずか3年で売却。その後、1980年代後半から1990年代はじめにかけて大阪府箕面市、兵庫県神戸市、兵庫県西宮市と次々と購入し3年単位で売却を繰り返した。
「当時は日本全体がバブル絶頂期で姑は1憶5000万の売却益が懐に入ってきたそうです。その時はかなり派手な生活を送っていたみたいです」(まゆみさん)
姑はバブルの波にのり大金を手中におさめたが、景気の悪化に伴い風向きが変わり始める。
姑の不動産収益は1990年代初頭のバブル崩壊に伴う土地価格の下落や不景気に伴い悪化に転じるが、それでも懲りずに兵庫県神戸市、大阪府豊中市、兵庫県西宮市と購入と売却を繰り返した。
姑は兵庫県神戸市を購入した1990年代後半から赤字になり、気がつけば1憶5000万の売却益から2憶9600万の負債、つまり1憶4600万の借金が残った。
姑は予想外の結果に困り果て、舅に「私が悪かった。借金返済に協力して」とお願いした。舅は「だから言っただろ。兵庫県神戸市の住宅に住んでおけばよかったんだ」と激怒したものの借金返済には協力。
そして、舅はまゆみさんの旦那にも「借金返済に協力してくれよ。俺一人では返しきれないよ」と泣きついてきた。旦那は「俺も自分の生活と老後で精一杯。単身赴任でお金もかかるんだよ。そもそも、おふくろがいい年齢して無駄使いするのが悪いんだ」と協力を断固拒否した。
姑が原因で家計が火だるまのまさにこの時期、2000年代前半に、まゆみさんは結婚したことになる。「私は結婚前、姑が多額の借金トラブルに見舞われていたなんて知りませんでしたので驚きましたね」(まゆみさん)しかも舅はなんとまゆみさんに姑の借金を一緒に返してきてくれと頼んできたのだ。まゆみさんは、「自己破産か任意調停してください。私が借金を返す必要はありませんので」と舅の頼みを断った。しかし、舅は「私の職業柄、破産処理が知れたら大恥をかく。大学にいづらくなるし、下手すれば仕事がなくなるかもしれない」と自身の保身に精一杯……。さらに姑は、まゆみさんに「借金を返すの断ったら海に沈めてぶち殺すぞ。水商売で怖い人達と付き合いあるからな」と脅迫してきた。まゆみさんは、すぐさま夫に姑に脅されたのと借金の返済方法を相談。「おふくろが脅迫してきた? お前の言い方が悪かったんじゃないか。俺はおふくろの借金の件は一切関わりたくない。これ以上その話はしないでくれ」とつっぱねられた。夫婦であれば親の借金の解決に向けて努力するのが普通ではないだろうか。ましてや、まゆみさんは母子家庭で若い頃に母親をガンで亡くした一人っ子で、相談する家族もいない。姑の脅迫や旦那の無理解が原因でまゆみさんは精神的に憔悴し、舅と協力し姑の借金を返すのをしぶしぶ決意したのだった。* * *生みの親であれ義理の親であれ、子どもが必ず面倒を見ないといけないわけではない。まゆみさんのケースでは、完全に縁を切るというわけではなくとも、家庭裁判所に相談し、親族間のトラブルを解決するという方法も取り得た。トラブルの渦中にいると、そのことで頭がいっぱいになってしまうのも無理はないが、知っていれば防げることもある。まゆみさんはどのように動けばよかったのか、気になる義理の親との関係はーー。など後編記事〈「義母の借金2400万円」をかわりに返済、義両親の介護にも苦しんだ40代主婦ケアラーの告白〉で詳しくお伝えする。
姑が原因で家計が火だるまのまさにこの時期、2000年代前半に、まゆみさんは結婚したことになる。
「私は結婚前、姑が多額の借金トラブルに見舞われていたなんて知りませんでしたので驚きましたね」(まゆみさん)
しかも舅はなんとまゆみさんに姑の借金を一緒に返してきてくれと頼んできたのだ。まゆみさんは、「自己破産か任意調停してください。私が借金を返す必要はありませんので」と舅の頼みを断った。しかし、舅は「私の職業柄、破産処理が知れたら大恥をかく。大学にいづらくなるし、下手すれば仕事がなくなるかもしれない」と自身の保身に精一杯……。
さらに姑は、まゆみさんに「借金を返すの断ったら海に沈めてぶち殺すぞ。水商売で怖い人達と付き合いあるからな」と脅迫してきた。
まゆみさんは、すぐさま夫に姑に脅されたのと借金の返済方法を相談。「おふくろが脅迫してきた? お前の言い方が悪かったんじゃないか。俺はおふくろの借金の件は一切関わりたくない。これ以上その話はしないでくれ」とつっぱねられた。
夫婦であれば親の借金の解決に向けて努力するのが普通ではないだろうか。ましてや、まゆみさんは母子家庭で若い頃に母親をガンで亡くした一人っ子で、相談する家族もいない。
姑の脅迫や旦那の無理解が原因でまゆみさんは精神的に憔悴し、舅と協力し姑の借金を返すのをしぶしぶ決意したのだった。
* * *
生みの親であれ義理の親であれ、子どもが必ず面倒を見ないといけないわけではない。まゆみさんのケースでは、完全に縁を切るというわけではなくとも、家庭裁判所に相談し、親族間のトラブルを解決するという方法も取り得た。
トラブルの渦中にいると、そのことで頭がいっぱいになってしまうのも無理はないが、知っていれば防げることもある。
まゆみさんはどのように動けばよかったのか、気になる義理の親との関係はーー。など後編記事〈「義母の借金2400万円」をかわりに返済、義両親の介護にも苦しんだ40代主婦ケアラーの告白〉で詳しくお伝えする。

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