「そんな性癖なかったはずなのに…」認知症になって7年の夫が娘の洋服をピチピチに着てしまう“本当の理由” から続く
“超高齢社会”の日本で暮らしていても、「認知症なんて、まだまだ自分や家族には関係ない」と考えている人は少なくないかもしれない。しかし、老いは誰にでも平等にやってくる。そして、それは突然やってくることもあるのだ。もし大切な人が認知症になってしまったら、あなたはその事実を受け入れることができるだろうか。
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ここでは、理学療法士の川畑智氏が、認知症ケアの現場で経験した様々なエピソードを綴った『さようならがくるまえに 認知症ケアの現場から』(光文社)より一部を抜粋。川畑氏が30代のときに出会った認知症の男性、石川さんのエピソードを紹介する。(全2回の1回目/2回目に続く)
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◆◆◆
1年のうちで一番センチメンタルになる季節は冬だと思う。
多くの人が、人の温もりを求めてしまうのではないだろうか。
中でも年の瀬というのは、あっという間に過ぎ去っていき、物寂しさに拍車をかける。もちろん楽しいイベントに参加したり、新年への期待に胸を膨らませたりする人もいるだろう。しかし、そう思えるのは恵まれた環境にいるからにすぎないということを、私はある事件をきっかけに気づかされた。
私が30代のころに働いていたとある入居施設。この施設が、他とは少し違っているのではないかということに気づいた。
ここでは、昼夜を問わず上下階につながる階段へ向かう扉が施錠され、我々スタッフしか開けることはできず、入居者は他の階へ行けない仕組みになっている。いちいち面倒だなという思いもあったが、それ以上に、ここまで厳重にして逆に問題は生じないのだろうかという疑問の方が強かった。きっと徘徊や離設行為を危惧してのことだろうが、ちょっとやり過ぎではないだろうか。
この施設に、石川さんという男性が入居していた。
「ごめんな。父さん」と、会うなりそう切り出してきた息子に、石川さんは少し戸惑った。
「このまま父さんを家に連れて帰って、みんなでお正月を迎えようっていう話になっていたけど、やっぱり明日は親戚連中が大勢押し寄せてくるから、誰も父さんの相手をできそうになか。だけん、今日は子どもたちを連れて来たけん、それで我慢してくれんかな」と、とても申し訳なさそうな顔をしている息子の様子を見ると、石川さんはもう何も言えなくなってしまった。
今日は大晦日。石川さんは、自宅に帰るために息子が迎えに来てくれるのを、ここ数日指折り数えて楽しみに待っていた。
大晦日はみんなで年越しそばを食べ、元日は近所の小さな神社に初詣に行ったり、お節やお雑煮を食べたりする。そんなありきたりな日本のお正月の風景が、今の石川さんにとっては、希望以外のなにものでもなかった。それだけに石川さんのショックは大きかった。
荷造りしていたカバンを開け、孫へのお年玉を取り出す しかし、ここでわがままを言って息子を困らせたくない、せっかくこうやって孫たちの顔を見せに来てくれたのだから、今は目の前の楽しい時間を過ごそう、そう自分自身に言い聞かせた。「なら、今日お年玉を先に渡さんといかんね」と、大事に用意していたポチ袋を取り出すために、荷造りしておいたカバンを開けようとしたその瞬間、心に何かが覆いかぶさってきたような気がした。 しかし、横に立つ息子に悟られまいと、石川さんはそのことに気づかないふりをした。一番下の孫は来年から小学生。まだお年玉の意味があまり分かっていなかったようだが、嬉しそうにしっかりと受け取ってくれて、石川さんは安堵した。 久しぶりにゆっくり可愛い孫たちと話をすることができた。それは石川さんにとって、とても穏やかな時間だった。しかし、その時間が楽しければ楽しいほど、その後にやってくる反動は大きい。「じーじ、ばいばーい!」と、大きく手をふってくれた孫たちに気づかれまいと必死に涙を我慢して、笑顔で見送った。閉まる自動扉をぼんやりと眺めながら、しばらく石川さんはロビーから動くことができなかった。大晦日の夕方、辺りが刻一刻と暗くなるにつれ、石川さんの心を覆った黒い影が、徐々に大きくなっていった。 この老人ホームでは、体調が良ければ、自宅でお正月を過ごすことが許可されている。周りの仲間たちは、みな家族に迎えに来てもらって楽しそうに帰って行くのに、どうして自分は荷解きをしなければいけないのだろうか、としょんぼりしている石川さんの様子に、スタッフは誰も気づくことができなかった。そして事件は起きた。4階の廊下の窓から自分で飛び降り… どさっ。12時を過ぎ、元日を静かに迎えた施設で、突然大きな音が響き渡った。夜勤の職員が慌てて外に飛び出すと、石川さんが血を流して地面に倒れていたのだ。すぐさま警察が駆けつけ、実況見分が始まった。もはやお正月どころではない。辺り一帯は騒然となった。石川さんは亡くなったのだという。「それで、当時の警察の見立てはどうだったんですか?」と、職員の山田さんの話に聞き入っていた私が、ここでようやく口を挟んだ。2年前にこの施設で起きた悲しい事件について、休憩中に先輩が教えてくれたのだ。「4階の廊下の窓から自分で飛び降りたみたいだから、自死という扱いになったんだよ」と、先輩はとても残念そうに語った。 本当に石川さんは自死だったのだろうか。生きていても家族に自由に会えないのなら、せめて今行動を起こすことで、自分の意志を貫き通そうとしたのかもしれない。命を落としてでも家に帰りたい、家族に会いたいという意志を。家族に会えない孤独感や焦燥感で一時的に混乱状態に陥った可能性が「だけどね、石川さんはただ飛び降りたんじゃなくて、植物の生け垣があるところを狙って飛び降りたみたいなんだ」と、山田さんはぼんやりと窓の外を眺めながらつぶやいた。「それって、本当にただ1階に下りて家に帰りたかっただけなんじゃないですか?」と言いながら、私は胸の奥が熱くなるのを感じた。 だとしたらこんなにも辛く悲しい事件はない。こんな結末を誰一人として望んではいない。石川さんの願いは、ただお正月を家族とともに迎えたいという、ささやかなものだったのだから。 大晦日の夜、家に帰りたくなったが、外に出ようと思っても、エレベーターはおろか階段すら使えない。 石川さんは、そこまで認知症の症状は強くなかったそうだが、家族に会えない孤独感や、4階に閉じ込められてしまった焦燥感で、一時的に混乱状態に陥った可能性があった。きっと息子さんも、あのとき無理をしてでも連れて帰っていたら、という自責の念に囚われてしまっただろう。石川さんのように悲しい思いをする人を、生み出してはいけない ただでさえ忙しい12月の最終日、石川さんの心が暗い影に覆われていったことに、限られた人数のスタッフが気づくのは厳しかったと思う。 なぜなら、忙しくなると「みる」のレベルが低くなってしまい、どうしてもぼんやりとみてしまうからだ。私は「みる」という行為には、いくつかのレベルがあると考える。認知症の方のケアをする場合、通常の見るではなくて、まずは足を運んで観る。そこでその方の様子を視て考え、そこから診たり看たりするレベルに到達するのだ。 例えば、喫茶店に入ったとき、目の前の人との会話に盛り上がり、他の席のことは、なんだかオブジェのように感じたことはないだろうか。認知症の方が問題を起こしてないからいい、という考えで接してしまうと、それは人ではなく物を見ていることと同じだ。廊下でぼんやり立っている人に、会釈もせずにその前を通り過ぎてしまったり、呼びかけられても、自分じゃないだろうと見て見ぬふりをしたりするスタッフがいる。 一方で、スタッフに気づいてほしくて、大きな声を出して呼びかけると、そんな大きな声を出さないでと窘められてしまう。これでは、ますますコミュニケーションの溝が大きくなるばかりだ。どんな行動をとっても、自分はいないものとして扱われる。そうなると、本人の存在意義はみるみる失われる。そしてやがて頭の働きが低下していくのだ。 慣れとは人の感覚を麻痺させる。誰もが初めは違和感を感じていたはずの施設のやり方に、3ヶ月もすれば慣れてしまう。おかしいなと思っていても、日常的にやり過ごしていると、それはいつしか普通になってしまう。 私は「みる」の解像度を上げていき、皆さんのささやかな望みに気づき寄り添うことを1つずつ実現していきたい。 もう石川さんのように悲しい思いをする人を、生み出してはいけないのだ。(川畑 智/Webオリジナル(外部転載))
しかし、ここでわがままを言って息子を困らせたくない、せっかくこうやって孫たちの顔を見せに来てくれたのだから、今は目の前の楽しい時間を過ごそう、そう自分自身に言い聞かせた。
「なら、今日お年玉を先に渡さんといかんね」と、大事に用意していたポチ袋を取り出すために、荷造りしておいたカバンを開けようとしたその瞬間、心に何かが覆いかぶさってきたような気がした。
しかし、横に立つ息子に悟られまいと、石川さんはそのことに気づかないふりをした。一番下の孫は来年から小学生。まだお年玉の意味があまり分かっていなかったようだが、嬉しそうにしっかりと受け取ってくれて、石川さんは安堵した。
久しぶりにゆっくり可愛い孫たちと話をすることができた。それは石川さんにとって、とても穏やかな時間だった。しかし、その時間が楽しければ楽しいほど、その後にやってくる反動は大きい。
「じーじ、ばいばーい!」と、大きく手をふってくれた孫たちに気づかれまいと必死に涙を我慢して、笑顔で見送った。閉まる自動扉をぼんやりと眺めながら、しばらく石川さんはロビーから動くことができなかった。大晦日の夕方、辺りが刻一刻と暗くなるにつれ、石川さんの心を覆った黒い影が、徐々に大きくなっていった。
この老人ホームでは、体調が良ければ、自宅でお正月を過ごすことが許可されている。周りの仲間たちは、みな家族に迎えに来てもらって楽しそうに帰って行くのに、どうして自分は荷解きをしなければいけないのだろうか、としょんぼりしている石川さんの様子に、スタッフは誰も気づくことができなかった。そして事件は起きた。
どさっ。12時を過ぎ、元日を静かに迎えた施設で、突然大きな音が響き渡った。夜勤の職員が慌てて外に飛び出すと、石川さんが血を流して地面に倒れていたのだ。すぐさま警察が駆けつけ、実況見分が始まった。もはやお正月どころではない。辺り一帯は騒然となった。石川さんは亡くなったのだという。
「それで、当時の警察の見立てはどうだったんですか?」と、職員の山田さんの話に聞き入っていた私が、ここでようやく口を挟んだ。2年前にこの施設で起きた悲しい事件について、休憩中に先輩が教えてくれたのだ。
「4階の廊下の窓から自分で飛び降りたみたいだから、自死という扱いになったんだよ」と、先輩はとても残念そうに語った。
本当に石川さんは自死だったのだろうか。生きていても家族に自由に会えないのなら、せめて今行動を起こすことで、自分の意志を貫き通そうとしたのかもしれない。命を落としてでも家に帰りたい、家族に会いたいという意志を。
「だけどね、石川さんはただ飛び降りたんじゃなくて、植物の生け垣があるところを狙って飛び降りたみたいなんだ」と、山田さんはぼんやりと窓の外を眺めながらつぶやいた。
「それって、本当にただ1階に下りて家に帰りたかっただけなんじゃないですか?」と言いながら、私は胸の奥が熱くなるのを感じた。
だとしたらこんなにも辛く悲しい事件はない。こんな結末を誰一人として望んではいない。石川さんの願いは、ただお正月を家族とともに迎えたいという、ささやかなものだったのだから。
大晦日の夜、家に帰りたくなったが、外に出ようと思っても、エレベーターはおろか階段すら使えない。
石川さんは、そこまで認知症の症状は強くなかったそうだが、家族に会えない孤独感や、4階に閉じ込められてしまった焦燥感で、一時的に混乱状態に陥った可能性があった。きっと息子さんも、あのとき無理をしてでも連れて帰っていたら、という自責の念に囚われてしまっただろう。
ただでさえ忙しい12月の最終日、石川さんの心が暗い影に覆われていったことに、限られた人数のスタッフが気づくのは厳しかったと思う。
なぜなら、忙しくなると「みる」のレベルが低くなってしまい、どうしてもぼんやりとみてしまうからだ。私は「みる」という行為には、いくつかのレベルがあると考える。認知症の方のケアをする場合、通常の見るではなくて、まずは足を運んで観る。そこでその方の様子を視て考え、そこから診たり看たりするレベルに到達するのだ。
例えば、喫茶店に入ったとき、目の前の人との会話に盛り上がり、他の席のことは、なんだかオブジェのように感じたことはないだろうか。認知症の方が問題を起こしてないからいい、という考えで接してしまうと、それは人ではなく物を見ていることと同じだ。廊下でぼんやり立っている人に、会釈もせずにその前を通り過ぎてしまったり、呼びかけられても、自分じゃないだろうと見て見ぬふりをしたりするスタッフがいる。
一方で、スタッフに気づいてほしくて、大きな声を出して呼びかけると、そんな大きな声を出さないでと窘められてしまう。これでは、ますますコミュニケーションの溝が大きくなるばかりだ。どんな行動をとっても、自分はいないものとして扱われる。そうなると、本人の存在意義はみるみる失われる。そしてやがて頭の働きが低下していくのだ。
慣れとは人の感覚を麻痺させる。誰もが初めは違和感を感じていたはずの施設のやり方に、3ヶ月もすれば慣れてしまう。おかしいなと思っていても、日常的にやり過ごしていると、それはいつしか普通になってしまう。
私は「みる」の解像度を上げていき、皆さんのささやかな望みに気づき寄り添うことを1つずつ実現していきたい。
もう石川さんのように悲しい思いをする人を、生み出してはいけないのだ。
(川畑 智/Webオリジナル(外部転載))