「世界のトヨタ」立役者・豊田章一郎さん 死去に各地で哀悼の声「特別な存在」「笑顔がまぶたに」

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トヨタ自動車名誉会長の豊田章一郎さんが14日亡くなりました。97歳でした。半世紀にわたってトヨタの経営に携わり、「世界のトヨタ」を築き上げた功績に、各地で悼む声が相次ぎました。
豊田章一郎さんは、自動織機を発明した豊田佐吉氏の孫で、トヨタ創業者の喜一郎氏の長男です。 1952年に当時のトヨタ自動車工業に取締役として入社、82年のトヨタ自動車発足に伴い、初代社長に就任しました。 社長就任後は、アメリカのケンタッキー州に工場建設を決めたほか、カナダでも現地生産を進めるなど、積極的に海外生産に取り組みました。 「一日も早く現地に溶け込んで、ケンタッキー州・アメリカの市民になろうと努力しております。こちらの方々も温かく受け入れていただいて、いい環境ができつつあると思っています」(トヨタ自動車 豊田章一郎 社長(当時))
89年には「レクサス」の販売をスタート、高級車市場にも参入しました。 92年に社長を退いた後も、会長などを務め、存在感を発揮。 また、94年から98年までは経団連の会長として、日本経済のけん引役も務めました。 訃報を受け、岸田総理は14日、次のように話しました。 「トヨタを世界一の自動車メーカーに育て上げられ、日本の自動車産業をリードされました。あわせて、経団連の会長として日本経済をけん引された、心からご冥福をお祈り申し上げたいと思います」(岸田文雄 総理)
2005年の愛知万博では、招致段階から組織のトップとして指揮をとりました。 愛知万博当時に知事だった神田真秋さんは「特別な存在だった」といいます。 「万博という一緒に仕事をする機会があったのでね、何年間と。前面をトップランナーとして走っていくというよりも、一歩下がってでもきちんと良い方向に行くように準備をされる方だったなと思います」(愛知万博時代の知事 神田真秋さん)
2006年に、中高一貫・全寮制の男子校として愛知県蒲郡市に設立された「海陽学園」の初代理事長を務めるなど、地元の活動にも熱心に取り組んでいました。 温厚な人柄でも知られた章一郎さん、交流のあったこの地方の人たちからも悼む声が相次ぎました。 「さまざまに思い出がございますが、豊田章一郎名誉会長の笑顔がまぶたにやきついて離れません。特に私は西三河の生まれ育ちなので、トヨタ自動車・グループは地域そのものであります」(愛知県 大村秀章 知事 14日) 「自宅へ一度来ないかと、クラシックな部屋だったけど、ご飯ごちそうになったりとか。世界の巨人ですけど、どえらいフレンドリーで温かい人だったと。サンキューベリーマッチということでしょうか」(名古屋市 河村たかし 市長 15日) トヨタ自動車によりますと、葬儀は近親者のみで行い、喪主は長男でトヨタ自動車社長の章男氏が務めます。 後日、お別れの会を開く予定だということです。 (2月15日 15:40~放送メ~テレ『アップ!』より)

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