大人になってから、自分の育てられ方が“偏っていた”と感じることがあるかもしれない。それが自覚できて笑い話ですめばいいが、偏りに気づかず、自分の感情を見失っていることさえ認識できない場合もあり得る。毒ではなさそうに見える毒こそがじわじわと娘をむしばんでいくのかもしれない。
「優しくていい母」と評判だった「うちの母は優しくていいお母さんと、友だちにも言われるくらいの人でした。だから母が私を侵蝕しているなんて思ったこともなかった」
そう言うのはシオリさん(34歳)だ。小さいころから母には「あなたはいい子だから」と言われて育ってきた。
「よくご褒美もくれました。算数のテストが90点を超えたらケーキ、国語だったら私の好きな店でオムライス、というように。だから頑張って勉強して、父は反対したけど中学受験をして難関私立女子校に入って。母に言われた通りの道を歩いていたんです」
ふとおかしいなと思ったのは、エスカレーター式で高校に上がったころだった。その学校は高校までしかないので、大学受験をしなければならない。そのため、高校生になったころから母の「いい子だから」教育はさらに激しくなった。
「あからさまになってきたんです。試験でいい成績をとったらお金をもらえる。だけどふと思ったんですよね。これって父が稼いできたお金だと。母はそれを私の釣り餌にしている。頑張っていい成績をとったらお金が入ってくるってヘンでしょ、と」
そこで思い出されたのが小さい頃の教育だ。やはり成績がよければご褒美がもらえる。母の教育は常に交換条件だった。いい子だから、いい成績をとったからのご褒美。存在するだけで愛されているわけではないと漠然と不安を覚えた。
「じゃあ、私の成績が落ちたらどうなるのか。そう考えたら、勉強するのがバカバカしくなりました。反抗期もあって一時期、学校をサボってばかりいたんです」
学校から母に連絡があり、母はいきなりシオリさんにすがりついた。どうしたの、何があったの、いじめられたのと矢継ぎ早に聞かれたが、彼女は答えなかった。
「サボらないで学校に行けば、あなたの欲しがっていたバッグを買ってあげるからって。『いつでも交換条件なんだね、こうしたらこうしてあげる、いい子でいたら何か買ってあげるって』と言ったら、母は『えっ』と絶句して。
餌付けされた動物園の動物みたいな気分だと追い打ちをかけると、そんなつもりはないと泣き出しました」
母に確固たる教育方針などなかったのだとよくわかった。それなら無条件で愛されたかったとも思ったという。
愛する方法がわからない母は無条件で愛する方法がわからなかったのかもしれないとシオリさんは言う。彼女は私立高校で出席日数が足りずに挫折して中退、その後、高卒認定試験を受けて大学に進学した。母はもう何も言わなかった。だからといって愛されているとは思えなかった。母に見捨てられたのだとシオリさんは感じた。
「だから大学時代は友だちのアパートを転々としていました。大学2年からは彼氏ができたのでそこに入り浸って……。たまに帰宅しても母は腫れ物に触るような扱いで、目を合わせようともしなかった」
たまたまアルバイトをして得たお金で、母の好きなケーキを買って帰ったことがある。母と歩み寄ろうと考えたのだ。だが母は「悪いからいいわ」と拒絶した。いらないと言わずに、悪いからいいわというのが母のありようなのだとシオリさんは実感した。
「しかも、帰ってきてくれたからこれあげると母が差し出したのは、母が大事にしていたダイヤのネックレスでした。物でしか人とつながれない人なんだと思うと、やけに寂しかった。私はひとりっ子だから、同じ立場のきょうだいもいない。
あとから知ったのですが、母は、私が祖父母だと思っていた人の養女だったんです。おそらく子どものころから周りの大人に気を遣いながら生きてきたんじゃないでしょうか。周りの友だちにも自分が好かれるために物をあげたりしていたのかもしれない。そういえば母が友だちの話をするのを聞いたことがないなとも思いました」
そしてシオリさんは就職し、堂々とひとり暮らしを始めた。仕事を通じて知り合った男性を本気で好きにもなった。26歳のころだ。
「学生時代の軽い気持ちの恋愛ではなく、この人と出会うために産まれてきたんだと思えるような相手だったんです。付き合うことにはなったんだけど、私、彼にどうやって好かれたらいいかわからなかった。それで彼の部屋に行ってせっせと料理をしたり家事をしたりしたんですよ。
そうしたら彼が『僕は別にシオリに家事をしてほしいわけじゃない』って。じゃあ、どうしたらいいの、どうしたら関係が深まるのと聞くと、『普通にしていればいいんだよ』と。その普通がわからないんですよ。
交換条件で育っているから、私も何かして彼の役に立たなければいけないと思い込んで尽くしてしまう。でも尽くすのは苦しい。そのうち、自分が自分でいられない気持ちになって別れてしまいました」
恋愛ができない。人を好きだという気持ちを育てていくことができない。シオリさんは落ち込んだ。
「これも母の悪影響というか弊害だと思いました。人を好きになるのはどういうことか、好きになったらどうすればいいのか。一から訓練しないといけないと思い、カウンセリングを受けました。今でも不器用ですけど、ようやく感情を言葉にしたり愛情表現をしたりする大切さがわかってきたところです」
母とは今もほとんど連絡をとっていないが、いつか自分が母を受け入れられる日がくれば実家に帰ってみようと思っているという。