「じいさんたち、どうなる…」困窮者の命綱で悲劇 8人死傷火災

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駅前のバスロータリーにある建物の1メートルほどの隙間(すきま)で小柄な男性(72)が段ボールを敷いて体を休めていた。雨を防ぐ屋根こそあるが、前日に降った雪は凍りついて残り、冷たい強風が肌を刺す。男性は上半身を覆うように道端で拾った黒い傘を広げ、その身を守っていた。
【写真】8人死傷・火災現場の集合住宅見回りや炊き出し…路上生活者を支援 「夜回り来ましたよー」。今季最強の寒波が日本列島を覆った25日午後9時。カトリック社会活動神戸センター(神戸市中央区)の施設長、木谷公士郎さん(55)がJR神戸駅(同区)近くで横たわっていた男性に呼びかけた。

毎月第1週を除く水曜午後8時ごろから約2時間、センターのボランティア数人が市内4カ所で路上生活者に食料を配り回る。毛布をめくり身を起こした男性は、温かいみそ汁の入った紙コップを手渡されると、少し回して手を温めてから、ゆっくりとすすった。「ああ、おいしいなあ」。吐く息は白かった。 18歳から和食料理人として働いていたが1995年の阪神大震災で仕事を失い、トラック運転手など職を転々とした。警備員だった2020年、新型コロナウイルスの影響でリストラされた。その後は湊川公園(同市兵庫区)で寝泊まりしたが、若者から嫌がらせを受け半年前に今の場所に移ったという。 気温は0・1度。「凍え死にそうや。声をかけてくれるのはうれしいね」。木谷さんは使い捨てカイロを渡すと「温かくして寝てくださいね」と言ってその場を離れた。 木谷さんは02年から夜回り活動をしている。04~05年ごろには湊川公園に約40人の路上生活者がいて、公園の隅々までテントが張られていたという。近くの新開地では手配師が日雇い労働者に仕事をあっせんすることが横行し、簡易宿泊所も多かった。それが今は、公園で寝泊まりするのは数人にとどまるという。 翌26日昼。木谷さんは市内の別の公園で、大鍋を置いた長机の前にいた。NPO法人「神戸の冬を支える会」などと連携し、毎週火・木・土曜に炊き出しをしている。この日のメニューはカレー。提供開始の約1時間前から20人が列をなし、約10分で計91人に振る舞った。 同市の男性(55)は新開地で除染作業員の募集を見つけて福島県に行ったが、体調を崩し退職。戻ってから6年ほど路上で生活した。今は生活保護を得て市営住宅に住む。「ホームレス時代の友達に会いに来た」。談笑しながらカレーをほおばった。 毎回、生活に困窮した約100人が訪れ、生活相談を受け付ける。社会福祉士で同NPO理事の觜本(はしもと)郁(かおる)さん(69)は「炊き出しは交流の場。『ひろみ荘』の人も来る」と明かした。多くの人を救った「ひろみ荘」 ひろみ荘――。8人が死傷する火災があった神戸市兵庫区の3階建て集合住宅「第2ひろみ荘」のことだ。湊川公園もJR神戸駅も数百メートルの距離にある。火災は22日未明に発生。77~86歳の男性4人が死亡し、60代の男性2人が意識不明の重体、40代と70代の男性2人が重傷となった。死亡した86歳男性の部屋にあった電気コードが劣化してショートし、出火したとみられている。 不動産登記によると、築約60年の鉄筋コンクリート3階建てで、当初は店舗兼共同住宅だった。現在の所有者が02年の取得後に改修し、火災発生時は31室に30人が暮らしていた。 觜本さんは「一時は入居者のほとんどを支える会が紹介していた。一般の賃貸物件に路上生活者の入居は難しい。ひろみ荘は受け入れてくれた」と言う。「どれだけの人が救われたのか。手が差し伸べられなかったら、失われた命もあったかもしれない」 26日夕、規制線が張られた第2ひろみ荘の1階玄関前。40代の女性2人が白い花を手向け、手を合わせていた。火災で亡くなった山口勝弘さん(77)の介護サービスを担当していた。体が不自由で寝たきり。1日3食の補助や買い物を支えた。月1回は浴槽を運び込み入浴も介助した。「気持ちええ」とこぼした時の幸せそうな顔が忘れられない。「安らかに眠ってほしい」 トイレや台所が共同で居室は3~4畳程度。家賃は電気・水道代込みで3万~4万円ほど。焼け出された住人男性(53)は「テレビや冷蔵庫も備え付けで条件が良かった」と話した。住人たちは近くの別の集合住宅に身を寄せるなどして日々をしのいでいる。 管理人の男性は、火災に「責任を感じる」と涙ぐんだ。「人を助けたいと思っていたが死なせてしまった。好きなじいさんもおって、世話にもなった。もうやめようと思ってんねんけど、じいさんたちが離れたがらないからやめられへん」。そう語った。【中田敦子、大野航太郎、喜田奈那】
見回りや炊き出し…路上生活者を支援
「夜回り来ましたよー」。今季最強の寒波が日本列島を覆った25日午後9時。カトリック社会活動神戸センター(神戸市中央区)の施設長、木谷公士郎さん(55)がJR神戸駅(同区)近くで横たわっていた男性に呼びかけた。
毎月第1週を除く水曜午後8時ごろから約2時間、センターのボランティア数人が市内4カ所で路上生活者に食料を配り回る。毛布をめくり身を起こした男性は、温かいみそ汁の入った紙コップを手渡されると、少し回して手を温めてから、ゆっくりとすすった。「ああ、おいしいなあ」。吐く息は白かった。
18歳から和食料理人として働いていたが1995年の阪神大震災で仕事を失い、トラック運転手など職を転々とした。警備員だった2020年、新型コロナウイルスの影響でリストラされた。その後は湊川公園(同市兵庫区)で寝泊まりしたが、若者から嫌がらせを受け半年前に今の場所に移ったという。
気温は0・1度。「凍え死にそうや。声をかけてくれるのはうれしいね」。木谷さんは使い捨てカイロを渡すと「温かくして寝てくださいね」と言ってその場を離れた。
木谷さんは02年から夜回り活動をしている。04~05年ごろには湊川公園に約40人の路上生活者がいて、公園の隅々までテントが張られていたという。近くの新開地では手配師が日雇い労働者に仕事をあっせんすることが横行し、簡易宿泊所も多かった。それが今は、公園で寝泊まりするのは数人にとどまるという。
翌26日昼。木谷さんは市内の別の公園で、大鍋を置いた長机の前にいた。NPO法人「神戸の冬を支える会」などと連携し、毎週火・木・土曜に炊き出しをしている。この日のメニューはカレー。提供開始の約1時間前から20人が列をなし、約10分で計91人に振る舞った。
同市の男性(55)は新開地で除染作業員の募集を見つけて福島県に行ったが、体調を崩し退職。戻ってから6年ほど路上で生活した。今は生活保護を得て市営住宅に住む。「ホームレス時代の友達に会いに来た」。談笑しながらカレーをほおばった。
毎回、生活に困窮した約100人が訪れ、生活相談を受け付ける。社会福祉士で同NPO理事の觜本(はしもと)郁(かおる)さん(69)は「炊き出しは交流の場。『ひろみ荘』の人も来る」と明かした。
多くの人を救った「ひろみ荘」
ひろみ荘――。8人が死傷する火災があった神戸市兵庫区の3階建て集合住宅「第2ひろみ荘」のことだ。湊川公園もJR神戸駅も数百メートルの距離にある。火災は22日未明に発生。77~86歳の男性4人が死亡し、60代の男性2人が意識不明の重体、40代と70代の男性2人が重傷となった。死亡した86歳男性の部屋にあった電気コードが劣化してショートし、出火したとみられている。
不動産登記によると、築約60年の鉄筋コンクリート3階建てで、当初は店舗兼共同住宅だった。現在の所有者が02年の取得後に改修し、火災発生時は31室に30人が暮らしていた。
觜本さんは「一時は入居者のほとんどを支える会が紹介していた。一般の賃貸物件に路上生活者の入居は難しい。ひろみ荘は受け入れてくれた」と言う。「どれだけの人が救われたのか。手が差し伸べられなかったら、失われた命もあったかもしれない」
26日夕、規制線が張られた第2ひろみ荘の1階玄関前。40代の女性2人が白い花を手向け、手を合わせていた。火災で亡くなった山口勝弘さん(77)の介護サービスを担当していた。体が不自由で寝たきり。1日3食の補助や買い物を支えた。月1回は浴槽を運び込み入浴も介助した。「気持ちええ」とこぼした時の幸せそうな顔が忘れられない。「安らかに眠ってほしい」
トイレや台所が共同で居室は3~4畳程度。家賃は電気・水道代込みで3万~4万円ほど。焼け出された住人男性(53)は「テレビや冷蔵庫も備え付けで条件が良かった」と話した。住人たちは近くの別の集合住宅に身を寄せるなどして日々をしのいでいる。
管理人の男性は、火災に「責任を感じる」と涙ぐんだ。「人を助けたいと思っていたが死なせてしまった。好きなじいさんもおって、世話にもなった。もうやめようと思ってんねんけど、じいさんたちが離れたがらないからやめられへん」。そう語った。【中田敦子、大野航太郎、喜田奈那】

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