50歳で初産した女性が語る「超高齢妊娠」までの長い道のり「つわりで寝込んでいたら、義母に更年期だと思われて…」

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50歳で初産を経験した沢えりかさん。もともと日本でフリーアナウンサーとして活躍していた沢さんは2014年、46歳のときに「最短距離で子どもを作るため」に渡米し、49歳で国際結婚。見事50歳で出産をし、現在は夫の連れ子を含む2人の子どもを育てている。
【画像】50歳で初産…出産直後から沢さんファミリーを見る(全8枚)「子どもが欲しい」というまっすぐな思いを50代で実現させた沢さんに、日本とアメリカでの不妊治療の違いについて聞いた。(全2回の1回目/続きを読む)

沢えりかさん(本人提供)◆◆◆――沢さんは49歳のときにアメリカで結婚、50歳で出産されたということで、いわゆる“高齢出産”ですよね。沢えりかさん(以降、沢) 妊娠を親族にも伝えていなかったとき、つわりがひどくて義理の両親の家で寝てたら、「もしかしてアレね。つらいわよね」と義母にニヤニヤしながら言われて。バレちゃったかと思ったら、「メノポーズ(menopause)でしょ」。義母は私が更年期になったと思ったんです(笑)。10年以上の妊活を経て、待望の妊娠――突然、妊娠がわかったのでしょうか?沢 いえいえ。不妊治療して、体外授精で子作りしました。結婚する以前からずっと子どもを授かりたくて、サプリを飲んだり、体を冷やさないよう夏でも腹巻きや靴下を欠かさず、十何年も妊娠のために努力してたんです。お酒だけは飲んでましたけど(笑)。――待望の妊娠だったんですね。30代くらいからお子さんを望んでいたということかと思いますが、当時は日本で不妊治療を?沢 日本では婚姻関係にないと体外受精ができないので、未婚だった私は当時付き合っていた恋人との自然妊娠を目指して、毎月クリニックに排卵誘発剤を打ちにいく、というのを繰り返していました。 ただ、先生によって不妊治療に対する知識の差が大きく、いつも血眼で情報収集している自分のほうがよっぽど詳しかったこともあって。――日本とアメリカで不妊治療のスタンスは違いますか。沢 大前提として、日本はアメリカに比べて体に負担の少ない治療法を選んでいるようで、その分、治療がゆっくりなんですよね。たとえば排卵誘発剤にしても、強い薬を使っているアメリカでは、私の場合ですが、日本に比べて採卵数がすごく多かったです。 アメリカの先生は「絶対妊娠させる」という意気込みがすごくて、体へのケアよりも成功率を大事にしていると感じます。46歳で渡米、年齢的なタイムリミットが…――不妊治療というと時間的に急ぎたい年齢の方も多いでしょうから、そういった意味でアメリカでの治療を選ぶ方もいると。沢 母体をいたわりながら妊活できるのは日本でしょうし、今は不妊治療が保険適用になったりもしているんですよね。アメリカはスピード感という点ではいい選択肢だと思いますが、治療費は高額です。年齢的なタイムリミットがあった私にはアメリカでの治療が向いていましたが、どちらも一長一短なので、やはりそこは考えるべきところでしょうね。――沢さんが渡米したのは2014年だそうですが、もしかして子どもを授かるためにアメリカへ?沢 そうですね。それも大きな目的の一つでしたが、もともと『ビバリーヒルズ高校白書』を10代の頃に見て以来、いつかアメリカ留学してみたいという気持ちがあったんです。46歳で留学したんですけど、2年以内によきパートナーに巡り合えなかったら、精子ドナーを使って妊娠して日本に帰ろうと考えていました。 私、日本ではずっとアナウンサーとして働いていて、仕事は好きでしたが、残りの人生を考えたとき、自分は子どもがほしい、という思いが一番強かったんです。で、最後の力を振り絞ってここに来た、という感じです(笑)。医師から「若くて優秀な卵子」を勧められたことも――アメリカの不妊治療で他に驚いた点は?沢 ニューヨークの不妊治療専門病院の中でも最も妊娠率の高いと言われる評判のクリニックに行ったのですが、開口一番言われたのが、「なんで自分たちの卵子と精子を使うの?」(笑)。「このラックに並んでいる、若くて優秀な精子と卵子を使ったほうがよっぽど安心よ」と、その後も何回か先生に勧められました。――不妊治療先進国という感じがします。精子・卵子ドナーが選択肢として当たり前なんですね。沢 精子バンクのサイトにはその人の子どものときの写真と人種、身長や出身大学、髪の色、目の色などがデータとして全部書いてあって、微妙に値段が違います。見ているだけで興味深いですよ。 アメリカだと、血縁ってほとんど皆さん気にしないんですよね。離婚率が高いのでステップファミリーも普通ですし、養子も多い。黒人の子供に、白人のお母さんがいたり、お腹が大きくならないままいつの間にか赤ちゃんがいたり、ナニーが子どもを見ていることも多いので、人種や年齢、性別、離婚歴なんかで家族のかたちを規定しないというか、「家庭ごとにいろいろなのは当たり前」という空気があります。 私自身も、アメリカ人の夫の連れ子も育てているので、ステップファミリーです。「50で出産なんて、子どもがかわいそう」という声――日本だとまだまだそこまでオープンな雰囲気はないですね。沢 私の場合、日本で不妊治療をしているときのほうがストレスが大きかったんですけど、何故かなと考えてみると、日本にいると人目が気になっちゃうんですかね。 アメリカでは年齢も聞かれないので、私が50代で出産したことを職場の人たちは知らなくて。だから、ただ「おめでとう!」ってだけ。 逆に、日本の知り合いには一切、妊娠を伝えませんでした。高齢出産なので母体も子どもも無事でいられるかまったくわからなかったし、色々言われるかなと思って、産後2、3ヶ月経ってから報告しました。――高齢出産について、日本では厳しい声があると思いますか。沢 アメリカに行く少し前、妊活中の私に「50で出産なんて、生まれた子どもがかわいそう」と言った友人がいました。そんな風に思っていたのかとびっくりしました。 でも、その人が私の人生をずっとサポートしてくれるわけじゃないですから、やっぱり自分がやりたいことをやるのが一番大事なことじゃないかと思い至って。案の定、そのお友だちは去っていってしまったので、自分の心に従ってやりたいことをやって良かったなと思います。妊娠がわかった瞬間の心境は――その結果、見事に不妊治療が成功して妊娠されたわけですが、体外受精は何回かトライされて?沢 1回目の体外授精で妊娠できたんです。――10年以上待ち望んだ妊娠が判明した瞬間のお気持ちは。沢 もう、なんでしょうね。人生の色が、景色の色が変わるぐらいうれしかったですね。――ご自分で、検査薬で判定を?沢 体外受精した日から毎日、毎日、毎日、毎日、やってました。この十何年で何本買ったんでしょうね。環境に悪いんじゃないかってぐらい買いましたよ(笑)。 ただ、たぶんダメだろうって思う日はペラペラの紙製の検査薬を使って、勝負に出るときだけちゃんとしたプラスチックの検査薬にして使い分けていました(笑)。――陽性になった妊娠検査薬は記念になりますね。沢 陽性に変わった瞬間は本当に嬉しすぎて。写真まで撮ってずっと眺めてたりとかね。でも、待望していた分、不安も大きくて、陽性を示す線の色が薄くなって消えちゃうんじゃないかとか、いろいろ思いましたね。 妊娠中はずっと緊張してて、このままキープさせて、キープ、キープ、キープ……と祈るような気持ちでした。――それはやはり高齢妊婦ゆえの不安ですか。沢 不妊治療の病院は高齢の人が多いので「高齢」とすら言われなかったんですけど、いざ妊娠して総合病院の産科にうつると、もう「高齢妊婦」ですらなく、「HIGH RISK」と書かれた黄色いラベルをペタッと貼られて「ハイリスク患者」になったんです。「50で出産なんて、子どもがかわいそう」という声も…超高齢出産した女性(55)が感じた「高齢育児のメリット」とは へ続く(小泉 なつみ)
「子どもが欲しい」というまっすぐな思いを50代で実現させた沢さんに、日本とアメリカでの不妊治療の違いについて聞いた。(全2回の1回目/続きを読む)
沢えりかさん(本人提供)
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――沢さんは49歳のときにアメリカで結婚、50歳で出産されたということで、いわゆる“高齢出産”ですよね。
沢えりかさん(以降、沢) 妊娠を親族にも伝えていなかったとき、つわりがひどくて義理の両親の家で寝てたら、「もしかしてアレね。つらいわよね」と義母にニヤニヤしながら言われて。バレちゃったかと思ったら、「メノポーズ(menopause)でしょ」。義母は私が更年期になったと思ったんです(笑)。
――突然、妊娠がわかったのでしょうか?
沢 いえいえ。不妊治療して、体外授精で子作りしました。結婚する以前からずっと子どもを授かりたくて、サプリを飲んだり、体を冷やさないよう夏でも腹巻きや靴下を欠かさず、十何年も妊娠のために努力してたんです。お酒だけは飲んでましたけど(笑)。
――待望の妊娠だったんですね。30代くらいからお子さんを望んでいたということかと思いますが、当時は日本で不妊治療を?
沢 日本では婚姻関係にないと体外受精ができないので、未婚だった私は当時付き合っていた恋人との自然妊娠を目指して、毎月クリニックに排卵誘発剤を打ちにいく、というのを繰り返していました。
ただ、先生によって不妊治療に対する知識の差が大きく、いつも血眼で情報収集している自分のほうがよっぽど詳しかったこともあって。
――日本とアメリカで不妊治療のスタンスは違いますか。
沢 大前提として、日本はアメリカに比べて体に負担の少ない治療法を選んでいるようで、その分、治療がゆっくりなんですよね。たとえば排卵誘発剤にしても、強い薬を使っているアメリカでは、私の場合ですが、日本に比べて採卵数がすごく多かったです。
アメリカの先生は「絶対妊娠させる」という意気込みがすごくて、体へのケアよりも成功率を大事にしていると感じます。
――不妊治療というと時間的に急ぎたい年齢の方も多いでしょうから、そういった意味でアメリカでの治療を選ぶ方もいると。
沢 母体をいたわりながら妊活できるのは日本でしょうし、今は不妊治療が保険適用になったりもしているんですよね。アメリカはスピード感という点ではいい選択肢だと思いますが、治療費は高額です。年齢的なタイムリミットがあった私にはアメリカでの治療が向いていましたが、どちらも一長一短なので、やはりそこは考えるべきところでしょうね。
――沢さんが渡米したのは2014年だそうですが、もしかして子どもを授かるためにアメリカへ?沢 そうですね。それも大きな目的の一つでしたが、もともと『ビバリーヒルズ高校白書』を10代の頃に見て以来、いつかアメリカ留学してみたいという気持ちがあったんです。46歳で留学したんですけど、2年以内によきパートナーに巡り合えなかったら、精子ドナーを使って妊娠して日本に帰ろうと考えていました。 私、日本ではずっとアナウンサーとして働いていて、仕事は好きでしたが、残りの人生を考えたとき、自分は子どもがほしい、という思いが一番強かったんです。で、最後の力を振り絞ってここに来た、という感じです(笑)。医師から「若くて優秀な卵子」を勧められたことも――アメリカの不妊治療で他に驚いた点は?沢 ニューヨークの不妊治療専門病院の中でも最も妊娠率の高いと言われる評判のクリニックに行ったのですが、開口一番言われたのが、「なんで自分たちの卵子と精子を使うの?」(笑)。「このラックに並んでいる、若くて優秀な精子と卵子を使ったほうがよっぽど安心よ」と、その後も何回か先生に勧められました。――不妊治療先進国という感じがします。精子・卵子ドナーが選択肢として当たり前なんですね。沢 精子バンクのサイトにはその人の子どものときの写真と人種、身長や出身大学、髪の色、目の色などがデータとして全部書いてあって、微妙に値段が違います。見ているだけで興味深いですよ。 アメリカだと、血縁ってほとんど皆さん気にしないんですよね。離婚率が高いのでステップファミリーも普通ですし、養子も多い。黒人の子供に、白人のお母さんがいたり、お腹が大きくならないままいつの間にか赤ちゃんがいたり、ナニーが子どもを見ていることも多いので、人種や年齢、性別、離婚歴なんかで家族のかたちを規定しないというか、「家庭ごとにいろいろなのは当たり前」という空気があります。 私自身も、アメリカ人の夫の連れ子も育てているので、ステップファミリーです。「50で出産なんて、子どもがかわいそう」という声――日本だとまだまだそこまでオープンな雰囲気はないですね。沢 私の場合、日本で不妊治療をしているときのほうがストレスが大きかったんですけど、何故かなと考えてみると、日本にいると人目が気になっちゃうんですかね。 アメリカでは年齢も聞かれないので、私が50代で出産したことを職場の人たちは知らなくて。だから、ただ「おめでとう!」ってだけ。 逆に、日本の知り合いには一切、妊娠を伝えませんでした。高齢出産なので母体も子どもも無事でいられるかまったくわからなかったし、色々言われるかなと思って、産後2、3ヶ月経ってから報告しました。――高齢出産について、日本では厳しい声があると思いますか。沢 アメリカに行く少し前、妊活中の私に「50で出産なんて、生まれた子どもがかわいそう」と言った友人がいました。そんな風に思っていたのかとびっくりしました。 でも、その人が私の人生をずっとサポートしてくれるわけじゃないですから、やっぱり自分がやりたいことをやるのが一番大事なことじゃないかと思い至って。案の定、そのお友だちは去っていってしまったので、自分の心に従ってやりたいことをやって良かったなと思います。妊娠がわかった瞬間の心境は――その結果、見事に不妊治療が成功して妊娠されたわけですが、体外受精は何回かトライされて?沢 1回目の体外授精で妊娠できたんです。――10年以上待ち望んだ妊娠が判明した瞬間のお気持ちは。沢 もう、なんでしょうね。人生の色が、景色の色が変わるぐらいうれしかったですね。――ご自分で、検査薬で判定を?沢 体外受精した日から毎日、毎日、毎日、毎日、やってました。この十何年で何本買ったんでしょうね。環境に悪いんじゃないかってぐらい買いましたよ(笑)。 ただ、たぶんダメだろうって思う日はペラペラの紙製の検査薬を使って、勝負に出るときだけちゃんとしたプラスチックの検査薬にして使い分けていました(笑)。――陽性になった妊娠検査薬は記念になりますね。沢 陽性に変わった瞬間は本当に嬉しすぎて。写真まで撮ってずっと眺めてたりとかね。でも、待望していた分、不安も大きくて、陽性を示す線の色が薄くなって消えちゃうんじゃないかとか、いろいろ思いましたね。 妊娠中はずっと緊張してて、このままキープさせて、キープ、キープ、キープ……と祈るような気持ちでした。――それはやはり高齢妊婦ゆえの不安ですか。沢 不妊治療の病院は高齢の人が多いので「高齢」とすら言われなかったんですけど、いざ妊娠して総合病院の産科にうつると、もう「高齢妊婦」ですらなく、「HIGH RISK」と書かれた黄色いラベルをペタッと貼られて「ハイリスク患者」になったんです。「50で出産なんて、子どもがかわいそう」という声も…超高齢出産した女性(55)が感じた「高齢育児のメリット」とは へ続く(小泉 なつみ)
――沢さんが渡米したのは2014年だそうですが、もしかして子どもを授かるためにアメリカへ?
沢 そうですね。それも大きな目的の一つでしたが、もともと『ビバリーヒルズ高校白書』を10代の頃に見て以来、いつかアメリカ留学してみたいという気持ちがあったんです。46歳で留学したんですけど、2年以内によきパートナーに巡り合えなかったら、精子ドナーを使って妊娠して日本に帰ろうと考えていました。
私、日本ではずっとアナウンサーとして働いていて、仕事は好きでしたが、残りの人生を考えたとき、自分は子どもがほしい、という思いが一番強かったんです。で、最後の力を振り絞ってここに来た、という感じです(笑)。
――アメリカの不妊治療で他に驚いた点は?
沢 ニューヨークの不妊治療専門病院の中でも最も妊娠率の高いと言われる評判のクリニックに行ったのですが、開口一番言われたのが、「なんで自分たちの卵子と精子を使うの?」(笑)。「このラックに並んでいる、若くて優秀な精子と卵子を使ったほうがよっぽど安心よ」と、その後も何回か先生に勧められました。
――不妊治療先進国という感じがします。精子・卵子ドナーが選択肢として当たり前なんですね。
沢 精子バンクのサイトにはその人の子どものときの写真と人種、身長や出身大学、髪の色、目の色などがデータとして全部書いてあって、微妙に値段が違います。見ているだけで興味深いですよ。
アメリカだと、血縁ってほとんど皆さん気にしないんですよね。離婚率が高いのでステップファミリーも普通ですし、養子も多い。黒人の子供に、白人のお母さんがいたり、お腹が大きくならないままいつの間にか赤ちゃんがいたり、ナニーが子どもを見ていることも多いので、人種や年齢、性別、離婚歴なんかで家族のかたちを規定しないというか、「家庭ごとにいろいろなのは当たり前」という空気があります。
私自身も、アメリカ人の夫の連れ子も育てているので、ステップファミリーです。
「50で出産なんて、子どもがかわいそう」という声――日本だとまだまだそこまでオープンな雰囲気はないですね。沢 私の場合、日本で不妊治療をしているときのほうがストレスが大きかったんですけど、何故かなと考えてみると、日本にいると人目が気になっちゃうんですかね。 アメリカでは年齢も聞かれないので、私が50代で出産したことを職場の人たちは知らなくて。だから、ただ「おめでとう!」ってだけ。 逆に、日本の知り合いには一切、妊娠を伝えませんでした。高齢出産なので母体も子どもも無事でいられるかまったくわからなかったし、色々言われるかなと思って、産後2、3ヶ月経ってから報告しました。――高齢出産について、日本では厳しい声があると思いますか。沢 アメリカに行く少し前、妊活中の私に「50で出産なんて、生まれた子どもがかわいそう」と言った友人がいました。そんな風に思っていたのかとびっくりしました。 でも、その人が私の人生をずっとサポートしてくれるわけじゃないですから、やっぱり自分がやりたいことをやるのが一番大事なことじゃないかと思い至って。案の定、そのお友だちは去っていってしまったので、自分の心に従ってやりたいことをやって良かったなと思います。妊娠がわかった瞬間の心境は――その結果、見事に不妊治療が成功して妊娠されたわけですが、体外受精は何回かトライされて?沢 1回目の体外授精で妊娠できたんです。――10年以上待ち望んだ妊娠が判明した瞬間のお気持ちは。沢 もう、なんでしょうね。人生の色が、景色の色が変わるぐらいうれしかったですね。――ご自分で、検査薬で判定を?沢 体外受精した日から毎日、毎日、毎日、毎日、やってました。この十何年で何本買ったんでしょうね。環境に悪いんじゃないかってぐらい買いましたよ(笑)。 ただ、たぶんダメだろうって思う日はペラペラの紙製の検査薬を使って、勝負に出るときだけちゃんとしたプラスチックの検査薬にして使い分けていました(笑)。――陽性になった妊娠検査薬は記念になりますね。沢 陽性に変わった瞬間は本当に嬉しすぎて。写真まで撮ってずっと眺めてたりとかね。でも、待望していた分、不安も大きくて、陽性を示す線の色が薄くなって消えちゃうんじゃないかとか、いろいろ思いましたね。 妊娠中はずっと緊張してて、このままキープさせて、キープ、キープ、キープ……と祈るような気持ちでした。――それはやはり高齢妊婦ゆえの不安ですか。沢 不妊治療の病院は高齢の人が多いので「高齢」とすら言われなかったんですけど、いざ妊娠して総合病院の産科にうつると、もう「高齢妊婦」ですらなく、「HIGH RISK」と書かれた黄色いラベルをペタッと貼られて「ハイリスク患者」になったんです。「50で出産なんて、子どもがかわいそう」という声も…超高齢出産した女性(55)が感じた「高齢育児のメリット」とは へ続く(小泉 なつみ)
――日本だとまだまだそこまでオープンな雰囲気はないですね。
沢 私の場合、日本で不妊治療をしているときのほうがストレスが大きかったんですけど、何故かなと考えてみると、日本にいると人目が気になっちゃうんですかね。
アメリカでは年齢も聞かれないので、私が50代で出産したことを職場の人たちは知らなくて。だから、ただ「おめでとう!」ってだけ。
逆に、日本の知り合いには一切、妊娠を伝えませんでした。高齢出産なので母体も子どもも無事でいられるかまったくわからなかったし、色々言われるかなと思って、産後2、3ヶ月経ってから報告しました。
――高齢出産について、日本では厳しい声があると思いますか。
沢 アメリカに行く少し前、妊活中の私に「50で出産なんて、生まれた子どもがかわいそう」と言った友人がいました。そんな風に思っていたのかとびっくりしました。
でも、その人が私の人生をずっとサポートしてくれるわけじゃないですから、やっぱり自分がやりたいことをやるのが一番大事なことじゃないかと思い至って。案の定、そのお友だちは去っていってしまったので、自分の心に従ってやりたいことをやって良かったなと思います。
――その結果、見事に不妊治療が成功して妊娠されたわけですが、体外受精は何回かトライされて?
沢 1回目の体外授精で妊娠できたんです。
――10年以上待ち望んだ妊娠が判明した瞬間のお気持ちは。
沢 もう、なんでしょうね。人生の色が、景色の色が変わるぐらいうれしかったですね。
――ご自分で、検査薬で判定を?
沢 体外受精した日から毎日、毎日、毎日、毎日、やってました。この十何年で何本買ったんでしょうね。環境に悪いんじゃないかってぐらい買いましたよ(笑)。
ただ、たぶんダメだろうって思う日はペラペラの紙製の検査薬を使って、勝負に出るときだけちゃんとしたプラスチックの検査薬にして使い分けていました(笑)。
――陽性になった妊娠検査薬は記念になりますね。沢 陽性に変わった瞬間は本当に嬉しすぎて。写真まで撮ってずっと眺めてたりとかね。でも、待望していた分、不安も大きくて、陽性を示す線の色が薄くなって消えちゃうんじゃないかとか、いろいろ思いましたね。 妊娠中はずっと緊張してて、このままキープさせて、キープ、キープ、キープ……と祈るような気持ちでした。――それはやはり高齢妊婦ゆえの不安ですか。沢 不妊治療の病院は高齢の人が多いので「高齢」とすら言われなかったんですけど、いざ妊娠して総合病院の産科にうつると、もう「高齢妊婦」ですらなく、「HIGH RISK」と書かれた黄色いラベルをペタッと貼られて「ハイリスク患者」になったんです。「50で出産なんて、子どもがかわいそう」という声も…超高齢出産した女性(55)が感じた「高齢育児のメリット」とは へ続く(小泉 なつみ)
――陽性になった妊娠検査薬は記念になりますね。
沢 陽性に変わった瞬間は本当に嬉しすぎて。写真まで撮ってずっと眺めてたりとかね。でも、待望していた分、不安も大きくて、陽性を示す線の色が薄くなって消えちゃうんじゃないかとか、いろいろ思いましたね。
妊娠中はずっと緊張してて、このままキープさせて、キープ、キープ、キープ……と祈るような気持ちでした。
――それはやはり高齢妊婦ゆえの不安ですか。
沢 不妊治療の病院は高齢の人が多いので「高齢」とすら言われなかったんですけど、いざ妊娠して総合病院の産科にうつると、もう「高齢妊婦」ですらなく、「HIGH RISK」と書かれた黄色いラベルをペタッと貼られて「ハイリスク患者」になったんです。
「50で出産なんて、子どもがかわいそう」という声も…超高齢出産した女性(55)が感じた「高齢育児のメリット」とは へ続く
(小泉 なつみ)

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