1日に3~4個の石しか積めない日も…「熊本城修復工事」完全復旧が15年遅れの訳&現在の状況は?

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2016年の熊本地震で大きな被害を受けた熊本城。当初は20年で完全復旧できると見込んでいたが、11月、熊本市は15年遅れの2052年度(今から30年後)になると発表した。見通しが甘かったのか?
「そう思われるかもしれません。けれど、かつてこのような大規模な石垣崩落などの被害はなく、参考になる情報がありませんでした。
そこで、規模は異なるのですが東日本で被災した城郭などを参考に、20年と想定したわけですけど、想定以上に被害が大きく、また、石垣の安全性を評価する手法もなく、一から始めなければならないことも多く、当初考えたとおりに進まない。
そこで5年たった2022年、計画を見直したところ、完全復旧は地震から35年後の2052年になるだろうということになりました」
こう言うのは熊本城総合事務所副所長の岩佐康弘氏。
想定どおり進まない要因はいろいろあると言う。その一つは、石垣の被災状況がさまざまなこと。崩れ落ちたところもあれば、石垣の内側から押されてポコッと膨らんでいるところもある。櫓が載っている石垣もあれば、そうでない石垣もある。石垣によって、どのような修復方法にするのか、違ってくるというのだ。
「加藤清正公が築城したときの石垣と、その息子忠広公が作った石垣では勾配の角度が急になるなど技術革新が行われている。時代によって石の積み方も違っている。
熊本城は国の特別史跡に指定されているので、文化財としての価値を守るためには積まれた当時の形を当時の技術をもって再現しなければなりません。そういうことを一つずつ丁寧に行っています」(岩佐氏)
崩れた石垣には一つずつ番号がふられ、ジグソーパズルのように組み合わせていく。全部の石に番号をふり終わったら、あとは積み上げていくだけと思っていたが、
「全然違います」(岩佐氏)
一笑に付されてしまった。
「積み上げる場所が合っていたとしても石はすべて形が違うし、支え合うためには不規則な形をした石のどこが接点となっていたのかを見極めながら積み上げていかなければなりません。多いときでは10個以上乗せられることがありますが、少ないときでは1日に3つか4つしか乗せられないこともあるんです」(岩佐氏)
1日に3~4個! これでは35年かかっても無理はないのかもしれない。
さらに現場の方の頭を悩ませているのが、安全性を担保することだ。
「崩れた石垣をそのまま積んでも、また崩れるかもしれません。安全性が保たれて、文化財の価値を損なわないという、多少矛盾したことが求められるので、それもたいへんです」
とは、熊本城調査研究センター所長の網田龍生氏。熊本城総合事務所土木整備班技術参事の立石裕樹氏も、
「土木的観点から現在の技術を使えば堅牢なものにすることはできますが、そこに文化財的要素が加わると、さらに一工夫今までの知識を超えたものを考えなくてはならない。日々、勉強です」
たとえば石垣を安定させるためにネットをかぶせるという方法がある。
「それも文化財としての価値の保全視点から、やたらに補強を入れられない。本当に必要なところだけ最小限の補強をするというのが大原則となっています」(岩佐氏)
安全かどうかは構造計算をして割り出していくが、机上の計算だけに頼らず、とくに重要なところは8分の1の模型を作り、地震の振動を与えるという実証実験を行ってから、実際に積み直しをスタートさせた石垣もあったと言う。
被災から5年経っても、まだ修復方法が決まらない石垣もある。宇土櫓(うとやぐら)が載る石垣だ。この石垣は地震の影響で、ボコッと膨らんだ部分ができてしまったのだとか。
「全部崩して積み直すという方法がありますが、いったん崩してしまうと文化財的価値が下がってしまう。ならば、膨らんでいるところを押さえて、それ以上崩れないようにできないのか。そのためには石垣の外側にもう一つ石垣を作る『ハバキ石垣』という方法が昔から行われています。
ところが、宇土櫓の石垣は20m以上あり、それを押さえようとすると外側に作る石垣も大きなものになってしまう。しかも、安定させるためにはコンクリートで作らなければいけない。そうすると、重量が重くなる。
地盤は大丈夫なのかとボーリングをして調べてみると、思ったよりも弱い。そこに大きな構造物を作ったら沈んでしまう。ハバキ石垣を作ったら、今ある石垣にも大きな影響を与えてしまう可能性が十分ある。
そこで文化財の専門家、土木の専門家、建築の専門家など外部の学識経験者で構成する委員会において、技術的な検証を行うことになっています」(岩佐氏)
聞いているだけでも疲れてしまう。このような検討が必要な石垣がまだまだあるのであれば20年では終わらないだろう。
「宇土櫓の下には空堀があります。ハバキ石垣の検討のため、発掘調査をしたところ、堀の下5mくらいまで宇土櫓の石垣が埋没していました。石垣そのものは5m下の固い地盤を基礎として構築されており、江戸時代の堆積土やそれ以降に盛土されたことによって、現在の堀の形状を成していることが判明しました。
そのようなこともあって、20mもの高さがある石垣が崩壊しなかったのかもしれません。」(立石氏)
当時は、人力でこれだけの石垣を積み上げていったというのもすごいが、地盤のことまで考えて作っていたというのもすごい。昔の人も、構造計算とか、やっていたのだろうか。
それにしても35年というのは長い。たくさん人を入れて、同時に何か所も進めることはできないのか?
「石垣の崩れ方はそれぞれ違う。一つできたら次はまったく別の考え方でアプローチを求められたりします。この苦労は今後も続いていくだろうと思います」(岩佐氏)
たとえ同じ修復方法が使えるとしても、熊本城の構造を考えると何か所も同時に進めることはできないと言う。
「熊本城は攻めにくい城と言われています。というのは、中に入るルートが非常に少ない。しかも複雑に折れ曲がっている。どこからでも入れる城ではないんです。
そのため数か所で同時に工事を行うと中に入れない。奥から順々に工事するしかない。そういうところも復旧工事のやりにくさになっています」(網田氏)
復旧工事には構造や地盤を調査する設計関係をはじめ、測量、土木、造園、石工、文化財の専門家など、さまざまな分野の人々が必要だ。35年かかるとなれば、当然後継者も考えていかなければいけない。熊本市では今後、事業者や教育関係などと連携して、石工などの専門家が地域で育っていく環境づくりについても検討をはじめるという。
「復興に携わる専門家を育成していくためには、熊本城の復旧過程やそこでの仕事の魅力を発信していって、多くの人に知ってもらうことも大事だと考えています。
地道な取り組みになりますが、人づくりにとって興味を持つことは初めの一歩で、こういったところから取り組んでいって、地域で石工などの技能者が育つ、そんな環境づくりをやっていきたいと考えています」(岩佐氏)
2052年・・・今から30年後…。そのころは「平均寿命を超えているので、完成を見られるかどうか」と笑いながら、岩佐氏は、
「これだけ崩れたものに立ち向かっている姿を見ること自体、感動です。間違いなく、ゴールに向かって進んでいるわけですから、苦しさもありますが、楽しさもあります」
「市役所に直接復旧工事に期待する声を寄せる方も多く、改めて市民、県民の方の熊本城に対する思いに触れることができました。とても力になっています」(網田氏)
取材・文:中川いづみ

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