22歳夫が5カ月の息子を絞殺、妻と義母はハンマーで撲殺…家族3人を惨殺した死刑囚がそれでも被害者遺族に同情された理由

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「6人も殺していれば死刑は仕方ない」睡眠中の妻と子ども5人を包丁で惨殺…死刑囚の夫が獄中で語った“凄惨事件”の真相 から続く
死刑容認派が8割を超える日本。多くの国々が世界の潮流として、死刑廃止を決めてきた中で、日本がその実現に向かわない理由とは。そしてその潮流に乗る必要がそもそもあるのか――。
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ここでは、死刑囚や未決囚、加害者家族、被害者遺族の声から死刑の意味に迫ったノンフィクション作家・宮下洋一氏の著書『死刑のある国で生きる』(新潮社)より一部を抜粋してお届けする。(全2回の2回目/1回目から続く)
写真はイメージです iStock.com
◆◆◆
2010年3月1日早朝、福岡県豊前市出身で当時22歳だった奥本章寛が、宮崎県宮崎市花ヶ島町の自宅で、妻のくみ子(当時24歳)、息子の雄登(同5カ月)、同居していた義母の貴子(同50歳)の3人を殺害した。
奥本は、まだ赤ん坊だった息子の雄登の首を絞め、浴槽で溺死させ、くみ子に対しては包丁で首を刺した後、ハンマーで頭を複数回叩いて殺害。義母の貴子も同様の手口で撲殺した。
奥本は、勤め先だった建設会社の資材置き場に雄登を埋めた。自宅に戻ると、警察に通報し、第三者による他殺を装った。しかし、事情聴取で供述に矛盾が出てきたことから、通報した本人が疑われた。翌日未明、雄登の遺体が発見され、奥本は逮捕された。後に、妻と義母の殺害で再逮捕された。
奥本に前科はなく、真面目で評判の青年だった。保育園から高校卒業まで剣道一筋で、剣道部の主将も務めてきた。「玉竜旗」と呼ばれる勝ち抜き戦の伝統大会で、「5人抜き」の偉業を達成し、新聞に取り上げられたこともあった。18歳になると、憧れの航空自衛隊に入隊した。
宮崎県児湯郡の新田原基地に勤務していた頃、奥本は、くみ子に出会った。結婚して子供を授かると、自衛隊を除隊し、建設会社の土木作業員になった。だが、生活を支えるだけの十分な収入がなかった。奥本夫婦と同居していた義母は、奥本に対し、日々、暴言を吐き、時には暴力を振るうこともあった。
その当時の家庭内事情について、奥本は実家の両親と祖母、そして2人の弟には一度も話さなかった。
奥本が逮捕されてから半年。彼を子供時代から知る浄土真宗本願寺派「宝寿寺」の住職、矢鳴哲雄(65歳)が先頭に立ち、地元住民を集め、減刑嘆願書を宮崎地裁に送った。署名は、後に6000筆を超え、「奥本章寛さんを支える会」へと発展していく。
裁判員裁判の初公判が開かれたのは、2010年11月17日だった。8日後の25日に第6回公判があり、被害者遺族の1人で、貴子の息子でくみ子の弟である石田健一(仮名)が、意見陳述で「極刑を望む」と断言した。約2週間後の12月7日、第一審の宮崎地裁(高原正良裁判長)は、奥本章寛に死刑を言い渡した。
2009年5月から始まった裁判員制度で死刑判決が下されたのは、この事件で3件目となった。被告人弁護を担当した黒原智宏弁護士は、控訴した。その大きな要因は、検察側に都合の良い単純化された捜査資料などによって、裁判員がわずか6回の公判で死刑を決めたことだった。
裁判員制度が始まる前までは、死刑相当の事件の場合、通常は一審で2年から3年はかかっていたが、奥本の判決は、事件から9カ月で決着がついた。その理由として考えられるのは、死刑反対派の市民を事前に排除した上で6人の裁判員が選ばれたことだと、黒原弁護士は指摘する。そして、裁判員裁判の後、検察側から驚くべき言葉を耳にしたという。
「この事件はテストケースだったというのです。罪が重いとか重くないとかにかかわらず、死刑求刑にするんだと。それで裁判員の反応を見るんだということで求刑された事件なのです」
本当だろうか。にわかには信じられない話だった。
奥本は、二審に向け、2人の臨床心理士による鑑定を受けていた。鑑定結果によると、殺害理由は、恨みによるものでなく、自己防衛反応だった。義母の精神・肉体的暴行から生じたストレスで、視野狭窄をもたらしたと診断された。しかし、この鑑定結果は加味されず、2012年3月22日、福岡高裁宮崎支部は、一審の控訴を棄却。弁護側は上告した。
最高裁判決が下るまでの2年間に、意外な動きがあった。先ほどの石田健一が、彼の母と姉を殺した奥本被告との面会を繰り返すようになったのだ。そして石田は、ついに最高裁に上申書を送った。その中で、彼はこう訴えている。
〈今すぐ死刑と決めないでほしい。命は大事であり、それは奥本の命も同じこと。もう一度、一審に差し戻して、慎重に審理をやり直してほしい……〉
死刑反対とは述べていないものの、石田は、同年代で同じ航空自衛官でもあった奥本の気持ちに同情する部分があった。ある人には、「母ちゃんも姉ちゃんもひどかった」と明かしている。母親と姉が殺害され、憎悪の念を抱きつつも、奥本を死刑にしてほしくない。石田は、そう願っていたようなのだ。
しかし、そのような遺族からの訴えも、司法の場に反映されることはなかった。2014年10月16日、最高裁判所は、上告を棄却。この段階で死刑が確定し、約1カ月後、奥本は福岡拘置所へ移送された。
死刑囚となった奥本は、逮捕されてから数日後、家族に一枚の手紙を宛てている。まだ20代前半だった奥本という男の内面を知る上で欠かせない手紙だ。原文のまま紹介したい。
〈お父さん、お母さん、じいちゃん、ばあちゃん、啓介(次男・仮名)、亮介(三男・同)本当にごめんなさい。俺、本当にバカなことしたと毎日後悔しよる。本当にごめんなさい。
義母と生活してなければ、こんなことになってなかったかもしれん。義母は、自分に都合のいいようにしかせんかった。とても気分屋でわがままやった。俺でも、そんな義母とうまくやっていこうと頑張ろうとしたんだよ。
でも宮崎の家には、俺の居場所はなかった。家に帰ってもゆっくりできないし、ストレスがたまるだけやった。仕事にいってるほうが幸せやった。義母から毎日のようになじられ、俺の親の文句を言われ続けてきた。お父さんとお母さんは、俺らのためにいろいろしてくれたのに、感謝のかけらもなかった。くみ子も義母にながされ、俺の味方をしてくれんかった。毎日が苦しくて、とても悔しかった。本当に地獄やった〉
この後、手紙では、〈3人を殺していい理由にはならないと警察に捕ってから気付いたんだ〉と後悔の念を綴る。しかし同時に、警察にすべてを話し、〈すごい楽になった〉とも書いている。そして、こう続く。
〈俺もうみんなに迷惑をかけないようにしようと思ったけど結局ダメやった。最後はとんだ大迷惑をかけるハメになってしまった。本当にごめんなさい。
お父さん、お母さん、ばあちゃん、じいちゃんと啓介と亮介の体調とか仕事のこととかとても心配してます。(中略)一番ばあちゃんが心配です。俺は本当に元気だからね〉
〈警察官の人達もみんないい人でみんなとてもやさしかった。俺の取調官の人は、とてもいい人やったよ。俺を笑わせたりもしてくれた。取調中の合間にいろんな雑談もしてくれた。いい人達やった〉
奥本は、一体どれほど惨めな仕打ちを受けてきたのか。この文章から読み取れる他人思いの男が、どうして家族を殺したのか。私は事件が起きた宮崎市に行くことにした。
同情される殺人犯 2021年12月21日午後、ブーゲンビリア空港の愛称を持つ宮崎空港に到着すると、周辺には椰子の木が何本も連なっているのが見えた。私が拠点にするスペインで言うならば、温暖なマジョルカ島の空港に似た空気と景色だった。 近くでレンタカーを借りた。宮崎、大分、福岡3県の都市部から農村地帯に至るまで、くまなく巡ることになる。車なくしては、今回の取材も難しそうだった。 宮崎駅前のホテルにチェックインすると、私はすぐに事件が起きた市内の花ケ島町に車を走らせた。この手の取材は、日が暮れる前に行なわなくてはならない。暗闇の中、玄関前に立つ人間を信用する者はそういないだろう。しかも唐突に11年前の殺人事件について尋ねれば、不審者扱いされるだけである。 現場をピンポイントで押さえていなかった私は、花ケ島の住宅街を歩く住民に話しかけることから始めた。70代の女性に声をかけた。当時の事件が、記憶にあるか尋ねてみると、女性は、すぐに思い出したようだった。「義理の母親がきつい人だったという話は、近所ではよく聞きましたけどね。内情は知らんけど、犯人に同情できる余地があるように思いますよね」 現場がどこなのか、女性に問うと、「花ケ島は大きいから。もっと上のほうやわ。こっちは南で、確か北の方やなかったかしら」と言った。パチンコ店の近くだというヒントをもらい、私は、北へ向かった。夫婦間での刑罰に対する考え方 今度は現場に近いはずだ。車を降り、パチンコ店の近くにあった飲食店の夫婦に当時の出来事について、印象を訊いてみることにした。2人は、同じく70代で、40年近く花ケ島に住んでいるという。男性は、この事件で思うことが多かったようだ。真っ先に口にしたのは、「彼(奥本)がかわいそう」という言葉だった。「家庭内の問題があって、惨めだった気持ちに輪をかけられたとですよ。普通の夫婦喧嘩だったらいいけど、そこに義母が入ってきて嫁と一緒にやられた。男だったらプライドを傷つけられるというのがあるとですよ」 かなり男性寄りの視点で述べているようにも聞こえたが、そうした家庭内の問題に加え、近所の女性たちの間では、「収入が低かった」という噂も広がっていたという。だが、この男性は、「すぐに良い金はもらえないとですよ」と指摘。「それに今の人たちは、良いものを買いたがる」と、若者たちの生活思考を咎めた。 この意見に耳をそば立てていた夫人は、「そうは言っても、3人も殺しているわけだからねぇ」と夫を見ずにボソッと呟いた。夫婦であっても、刑罰に対する考え方は異なるものだ。専門知識を持たなくても、死刑囚の肩を持つ一般人がいる 奥本が日々のストレスから、我慢の限界に達したことは理解できる。しかし、相手に手を出すことは、道徳上、許されるはずがない。奥本は、深刻な精神疾患を患ってもいなかった。義母はおろか、妻までも殺す必要がどこにあったのか。ましてや、生まれたばかりの息子の首を絞めて溺死させ、土中に遺棄するなど、同情されるべき行為では到底ない。 事件現場のアパートは、すでに解体されており、「今は駐車場になっている」という。数百メートル先を曲がれば、その跡地が分かると男性は言った。私は、彼らの指示に従い、ようやく現場を見つけた。しかし、すでに日は暮れていた。一旦、立ち去ることにした。 それにしても、被害者に対する印象がずいぶん悪いものだと感じた。私はまだ、この事件の入り口に足を踏み入れたに過ぎない。だが、死刑囚である奥本章寛に同情する人々が、少なからずいることは確かなようだった。 精神鑑定医のような専門知識を持たなくても、死刑囚の肩を持つ一般人がいるのだ。地元で3人が殺されても、犯人を庇う人たちがいることに驚いた。(宮下 洋一)
2021年12月21日午後、ブーゲンビリア空港の愛称を持つ宮崎空港に到着すると、周辺には椰子の木が何本も連なっているのが見えた。私が拠点にするスペインで言うならば、温暖なマジョルカ島の空港に似た空気と景色だった。
近くでレンタカーを借りた。宮崎、大分、福岡3県の都市部から農村地帯に至るまで、くまなく巡ることになる。車なくしては、今回の取材も難しそうだった。
宮崎駅前のホテルにチェックインすると、私はすぐに事件が起きた市内の花ケ島町に車を走らせた。この手の取材は、日が暮れる前に行なわなくてはならない。暗闇の中、玄関前に立つ人間を信用する者はそういないだろう。しかも唐突に11年前の殺人事件について尋ねれば、不審者扱いされるだけである。
現場をピンポイントで押さえていなかった私は、花ケ島の住宅街を歩く住民に話しかけることから始めた。70代の女性に声をかけた。当時の事件が、記憶にあるか尋ねてみると、女性は、すぐに思い出したようだった。
「義理の母親がきつい人だったという話は、近所ではよく聞きましたけどね。内情は知らんけど、犯人に同情できる余地があるように思いますよね」
現場がどこなのか、女性に問うと、「花ケ島は大きいから。もっと上のほうやわ。こっちは南で、確か北の方やなかったかしら」と言った。パチンコ店の近くだというヒントをもらい、私は、北へ向かった。
今度は現場に近いはずだ。車を降り、パチンコ店の近くにあった飲食店の夫婦に当時の出来事について、印象を訊いてみることにした。2人は、同じく70代で、40年近く花ケ島に住んでいるという。男性は、この事件で思うことが多かったようだ。真っ先に口にしたのは、「彼(奥本)がかわいそう」という言葉だった。
「家庭内の問題があって、惨めだった気持ちに輪をかけられたとですよ。普通の夫婦喧嘩だったらいいけど、そこに義母が入ってきて嫁と一緒にやられた。男だったらプライドを傷つけられるというのがあるとですよ」
かなり男性寄りの視点で述べているようにも聞こえたが、そうした家庭内の問題に加え、近所の女性たちの間では、「収入が低かった」という噂も広がっていたという。だが、この男性は、「すぐに良い金はもらえないとですよ」と指摘。「それに今の人たちは、良いものを買いたがる」と、若者たちの生活思考を咎めた。
この意見に耳をそば立てていた夫人は、「そうは言っても、3人も殺しているわけだからねぇ」と夫を見ずにボソッと呟いた。夫婦であっても、刑罰に対する考え方は異なるものだ。
奥本が日々のストレスから、我慢の限界に達したことは理解できる。しかし、相手に手を出すことは、道徳上、許されるはずがない。奥本は、深刻な精神疾患を患ってもいなかった。義母はおろか、妻までも殺す必要がどこにあったのか。ましてや、生まれたばかりの息子の首を絞めて溺死させ、土中に遺棄するなど、同情されるべき行為では到底ない。
事件現場のアパートは、すでに解体されており、「今は駐車場になっている」という。数百メートル先を曲がれば、その跡地が分かると男性は言った。私は、彼らの指示に従い、ようやく現場を見つけた。しかし、すでに日は暮れていた。一旦、立ち去ることにした。
それにしても、被害者に対する印象がずいぶん悪いものだと感じた。私はまだ、この事件の入り口に足を踏み入れたに過ぎない。だが、死刑囚である奥本章寛に同情する人々が、少なからずいることは確かなようだった。
精神鑑定医のような専門知識を持たなくても、死刑囚の肩を持つ一般人がいるのだ。地元で3人が殺されても、犯人を庇う人たちがいることに驚いた。
(宮下 洋一)

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