東京都公安委員会は3月12日付の官報で、指定暴力団・松葉会の「主たる事務所」が東京都台東区西浅草から茨城県鹿嶋市に変更したと公表した。西浅草の一角でかつて4階建てのビルがたち、周囲で物騒な出来事も相次いだ場所が、現在は更地となっている。
【写真を見る】松葉会の関孝司氏、浅草の事務所が更地に…指定暴力団・松葉会本部の現在。
「ヤクザ事務所の近くに住む」とは、どういった生活なのか。周囲の住民らを取材した。【前後編の前編】
「松葉会は、戦後の混乱期に浅草周辺のテキ屋などが集まってきたのが始まりです。その後、組織として拡大し、1994年に指定暴力団に指定された。往時の勢いはありませんが、現在も1都7県に300人弱の構成員がいるとされます。
2023年11月、この西浅草の本部事務所の土地の所有者が、明け渡しを求めて提訴しました。1995年に民間企業と賃借契約を締結後、4階建てのビルが建てられ松葉会本部となっていましたが、所有者は『反社会的勢力に使用されることを想定して貸したわけでなく、契約の解除事由になる』と訴えました。弁護団は『周辺住民や観光客への危険を除去するため、所有者が立ち上がった』と勇気ある行動を支えました。
2024年11月には東京地裁が土地の明け渡しを命じる判決を出し、今回の移転につながりました」(全国紙社会部記者)
そんな松葉会の本部があったのは西浅草の住宅地。近隣の建物がひしめくなかに屹立した4階建ての本部は、”異物”としてその存在感を示していたという。
近隣住民によると、裁判のほかにも、松葉会の退去を求める署名活動が行われていたというが、その内実は警察主導だったという。この住民が匿名を条件に取材に応じた。
「松葉会が出て行ったのは、住民の生活の不安を脅かすため、という名目もありましたが、実際のところ、追い出し活動自体は警察が主導になって署名活動をしていたんですよ。でも、近隣住民は『報復が怖いから』とほとんど署名が集まらなかったと聞いています」
この近隣住民は、この30年で様々なことがあったと振り返る。
「私の記憶だと本部が建てられたのは、1990年代後半だと思います。まだ建設している時に、大工さんが休憩中に私にこう話しかけてきたんです。『今、凄いところの床の間を作っているんだよ』って。施主が誰かわかっていたってことよね。印象的でした」
かつては今では考えられないような光景も日常茶飯事だったという。
「ここでは月に1回、傘下の組長たちの会合が行われていたんです。目の前の道路の両側に100メートルくらい組関係者の車が停まっていました。黒塗りの高級車がズラーっと並んでね。車内にはスーツを着た強面の人が乗っているから、怖いし、威圧感もすごかった。周囲にはお店があるんだけど、そこのお客さんも近寄ることができませんでした。駐車場に勝手に車を停められていたお店もあったみたい。でも通報もせず、我慢するしかなかったと聞いています」
実際にこの本部事務所では、事件も発生している。
2020年1月25日朝、山口組の2次団体組長が松葉会本部に火炎瓶を投げつけた。シャッターの一部が焦げた程度でけが人は出なかったが周囲は騒然としたという。
「これは約1週間前に、松葉会系の組員がこの2次団体の事務所にトラックで突っ込んだ事件の報復でした。当時、この2次団体が足立区に進出してきてトラブルになっていたんです」(前出・全国紙社会部記者)
前出の近隣住民も、事件直後の”厳戒態勢”はよく覚えているという。
「火炎瓶事件があってから数週間後に、入り口に防犯カメラを2台つけて、扉も外側を防弾ガラスにした二重扉になっていました。この時期には、近くのスナックの前にある路上パーキングに24時間体制で3か月間も警察車両がずっと停まっていて、私たちも外出するたびに中の方から見られていました。あまりにも不快だから声をかけたら、『松葉会への報復の可能性があるので本部を警戒しているんです』と教えてくれました。この3か月は私らが見張られているような感じがして、本当に居心地が悪かったですよ」
また、松葉会系の組員が事件を起こすと、本部事務所が家宅捜索を受けることもしばしばあった。
「家宅捜索の朝は、武装して盾を持った人を含めて50から60人くらいの警察官が組事務所前に早くから並んでいて、異様な空気でしたよ。結局、そんな日はお店のオープンが出来なかったということもありました」
このほかにも本部事務所では、男性の手首が吹き飛ぶという耳を疑うような残酷な事件も発生していたのだ──。
(後編に続く)