《沖縄・辺野古沖転覆》「あの日は波が高かった」「危なくて漁師は近寄らない」17歳生徒と船長が死亡…なぜ同志社国際高校の生徒は“反基地活動家”の船に乗ったのか?

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沖縄県の辺野古沖で2隻の船が転覆した。乗っていたのは京都から来た18人の高校生。船の名前は「平和丸」と「不屈」、反米軍基地団体の“抗議船”だった。活動家たちに問う、なぜ若い命が奪われねばならなかったのか。
【画像】亡くなった船長の金井さん
その浜は静寂に包まれていた。“辺野古ブルー”と称される、絵具を溶かしたようなエメラルド色の海を見晴らし、近くの男性漁師は目を細めて言った。
「今日は穏やかだね。あの日? 波が高かったよ」
3月16日午前10時過ぎのことだ。その海は白くさざめき立ち、2人の命をあっという間に飲み込んだ。
「事故が起きたのは、沖縄県名護市の辺野古沖。研修旅行中の同志社国際高校の2年生18人が分乗した小型船2隻が相次いで転覆したのです。先導していた『不屈』が、浅瀬のリーフ(サンゴ礁)付近で高波を受けて転覆した。救助に向かおうと接近した後続の『平和丸』も約2分後に転覆。『不屈』の船長、金井創さん(71)と、『平和丸』に乗っていた女子高校生の武石知華さん(17)が死亡しました」(地元記者)
気象庁は当時、波浪注意報を出していた。浅瀬のリーフ周辺は、特に波が高くなりやすいのだという。
2隻の船が転覆した
「この時期は海がよく荒れますよ。本土で言う『春一番』が吹くんです。さらにリーフのところなんて危なくて漁師は近寄りませんよ」
地元、名護漁協トップの安里政利組合長はそう話す。
「第十一管区海上保安本部は20日、業務上過失致死傷などの疑いで、船を運航していた団体の関係先を家宅捜索した」(前出・記者)

その団体の運営実態が問題だ。
「船を運航していたのは、辺野古の新米軍基地建設に抗議する『ヘリ基地反対協議会』(以下、「反対協」)という市民団体。『不屈』と『平和丸』は、基地建設に反対する“活動家”らが海上からの抗議活動に用いてきた『抗議船』だったのです」(同前)
「不屈」は、共産党副委員長などを務めた瀬長亀次郎元衆院議員が好んだ言葉だという。2015年5月3日付東京新聞は、亡くなった金井さんが「不屈」の船長になるに至った経緯を特集し、次のような言葉を紹介している。
〈名前に「号」も「丸」も付けなかった。「海上保安庁がこちらを呼ぶ時『不屈の皆さん』と言わせたかった」〉

同じ記事によれば、抗議カヌーが工事現場周辺に設けられた立入禁止の「臨時制限区域」に侵入して海保に拘束された際、金井さんが「不屈」でその現場に急行。停船を要求した海保の船と衝突したこともあったという。そしてこんな記述も。
〈時には自らも、臨時制限区域に入る。日米地位協定の実施に伴う刑事特別法(刑特法)で処罰される可能性もある〉
前出の安里組合長が言う。
「彼らがどれくらい辺野古の海に詳しいかは知りません。我々としては、反対活動は自由にやってもらっていいし、喧嘩するつもりもない。ただ、『海上ではやるな』と。それだけです」
金井さんはそもそも沖縄県ではなく北海道岩内町の出身だ。
「早稲田大を経て日本キリスト教団富士見町教会(東京)の副牧師などを務めた。辺野古の抗議活動に参加するようになったのがきっかけで沖縄に縁ができた。06年からは、沖縄県南城市の日本キリスト教団佐敷教会で牧師をしていました」(金井さんの知人)
金井さんは24年、衆院沖縄一区に共産党から出馬した赤嶺政賢氏に応援メッセージを寄せている。
「金井氏は平和教育にも人一倍熱心で、19年にはコーディネーターとして参画した平和学習の取り組みが沖縄県の『第1回ちゅらうちなー草の根平和貢献賞』を受賞。表彰式では玉城デニー知事と写真撮影をしています」(同前)
今回事故に巻き込まれた同志社国際高校との接点はどのように生まれたのか。
《この続きでは、●「1日も早く…」転覆船長は共産党候補者だった、●漁協トップは「近寄らない海」、団体幹部5人を直撃など反基地団体の正体について詳しく報じている。記事の全文は現在配信中の「週刊文春 電子版」で読むことできる》
(「週刊文春」編集部/週刊文春 2026年4月2日号)

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