〈「ダイエー消滅」の衝撃…かつては「ローソン」「アラモアナ」も保有していた“スーパー業界の絶対王者”が『イオン』に負けた根本原因〉から続く
小売りの王者だったダイエーが、関東から消滅する。
【貴重写真】徐々に姿を消しつつある「ダイエー」の創業店を見る
イオングループが首都圏と関西のスーパー子会社を再編することで、関東のダイエーはイオンフードスタイル(現マックスバリュ関東)が吸収。関西ではダイエーの名が残るものの、関東からは文字通り消滅してしまう。
かつてプロ野球チームだけでなく、いくつもの外食企業を傘下に収め、一時期はハワイ・アラモアナショッピングセンターを保有するほど栄華をきわめた小売業界の絶対王者が凋落したワケと、現在まで続くその衝撃の爪痕をまとめる。(全2回の2回目/最初から読む)
小金井店の過去写真(ダイエー情報 BOXより)
ダイエーが押さえて、その発展の源泉としてきた各地の駅前・中心市街地といった「一等地」がモータリゼーションによってその価値を落とす中、ロードサイドを徹底的に攻めていたのが、都会出身でなく後発でもあったイオンであった。こうして2000年代以降、スーパー業界の主導権はイオンに移っていく。
本業の立て直しを図ったダイエーは、結果としては地方中心市街地店舗が次々と不採算店となり、大半の地方店を閉店することとなった。閉店損失処理に追われ続けたダイエーに攻めの戦略を打つ余裕はもうなく、紆余曲折を経てイオンの傘下に下ることになったのである。
イオングループとなって以降も、ダイエーへの逆風は吹き続けた。
2000年代以降の専門店チェーンの台頭で、総合スーパーという業態自体が消費者から望まれなくなったのである。加えて1990年代から始まり、2000年代以降に本格化したのが、地方での軽自動車の普及による女性ドライバーの増加である。
一家に1台といった感じに普及していたクルマは、軽自動車によって1人1台時代が到来。さらに景気停滞による共働き世帯の急増もあって、地方のロードサイドには機動力をもった女性消費者が走り回るようになっていた。
若干端折るが、その結果として多くの買物客は「総合スーパー」を選ばず、女性を目当てに一斉に出店し始めた「専門店チェーン」を愛でたのである。このころ地方ロードサイドで急成長していた有名銘柄と言えば、ユニクロ、ニトリ、しまむら、ダイソー、西松屋、各地のドラッグストアといえばなんとなくわかっていただけるであろう。
ロードサイドで成長していたイオンは、専門店チェーンをテナントとして引き入れた大型ショッピングセンター・モールを次々に開発して総合スーパーを核店舗として生かすことにした。これ以降、総合スーパーのロードサイド単独店は次々とモールに敗れていくことになった。モールが増えていくほど総合スーパーは弱る一方で専門店チェーンが成長することになり今に至る、というのが総合スーパー衰退の経緯である。
長くなるのでこれ以上詳説はしないが、総合スーパーの非食品部門は専門店チェーン各社に敗れ去り、食品に特化して専門店テナントと共存するのが生きる道となった。これはダイエーに限った話ではなく、イトーヨーカ堂の生き残り戦略も「食品特化・アパレル撤退」だったことは記憶に新しい。
昨年には西友もディスカウント大手トライアルに買収されたが、その非食品売場はじきに「トライアル式」に切り替わる。少し前でも、PPIH傘下となったユニーのフロアが次々とドン・キホーテに転換されたり、イオンが残っていた総合スーパー単独店を食品+生活必需品+テナントの「そよら」に転換したりしているのも、全く同じ理由による。つまり個社の問題ではなく、総合スーパーは転換せねば生き残れなかったということである。
話をダイエーに戻すと、イオン傘下となったダイエーもこうした環境変化の影響から逃れることはできなかった。食品スーパーへの転換(移転新設、売場のテナント化など)に追われたこの10年だったようである。現在のダイエーの店舗の様子をみてみると、引っ越ししてコンパクトな食品スーパーに変わっていたり、2階以上をテナントに転換したり、前の店をつぶして新たに食品スーパーとして建て替えたり、ということをやっていたようだ。
ただ、その結果として、今のダイエーには総合スーパーの名残はもうほとんどないようだ。だからこそイオンはダイエーの店舗について、グループにおける首都圏食品スーパー連合軍であるUSMHへ合流させると決意できたのだろう。
インフレ転換後のスーパー業界は「価格転嫁の難しさ」、「冷凍冷蔵電気代高騰」、「人手不足と人件費高騰」の三重苦にあえぐ。特に中堅・中小スーパーの場合は収益力を奪われて続々と赤字の危機に陥っている。イオンを始めとする大手スーパーはここから一斉に攻勢をかけ、業界再編を進めていく時代が来ている。
その意味では、ダイエーは再構築の時期を終え、最終決戦への合流に間に合ったということになるだろう。イオンにとってかつて仰ぎ見たライバルだったダイエーもいまや、首都圏のトップシェア確立や関西攻略のための一部隊でしかない。もはや、ダイエーは最前線に立たされる外様大名のようなもので、そのブランドも出身地である関西のオールドファン向けに残しているくらいのものなのであろう。
環境変化に適合できなかったダイエーは、昭和→平成→令和のスピード感についていけず20年ちょっとの天下だった。より変化の速いこれから、過去の遺産に依存する企業は10年ももたないということなのであろう。
(中井 彰人)