HPV(ヒトパピローマウイルス)に関係するがんや疾病を予防する効果があると言われるHPVワクチン。日本では2010年度の終わりに13歳~16歳への公費助成が開始され、2013年4月からは小学校6年から高校1年相当の女子の定期接種が始まった。しかし、副反応報道などが過熱し、厚労省は、接種開始直後の2013年6月から積極的な勧奨を一時的に差し控えていた。その後、専門家による副反応の調査や各国での広がりや成果などをみて、厚労省は令和3(2021)年11月に、「HPVワクチンの積極的勧奨を差し控え」を終了した。
それどころか、今は女子のみならず、男子も接種の助成がされており、推奨されているというのだ。それはなぜで、どういう状況なのか。20歳の男子の母であるライターの太田奈緒子さんが男子のHPVワクチンや思春期医療、性教育など、若者の健康支援に力を入れている産婦人科医の重見大介医師にお話を聞いた。
【お詫びと訂正】
2026年3月4日公開の「男性の罹患率が高い中咽頭がんは増加傾向に…。男子HPVワクチン接種が世界で広がるこれだけの理由」の記事内で、男子のHPVワクチンワクチン接種助成に関する内容に、間違いがありました。「神奈川・大阪・福岡など、男子への助成を開始する自治体が増えている」(4ページ)となっておりますが、神奈川、福岡ではまだ開始されておりませんでした。記事内の記述を訂正いたしました。
正確な情報を掲載せねばならない中、間違った情報を掲載してしまい、大変申し訳ございません。また、ご指摘くださった方々にも感謝申し上げます。
筆者は息子を持っているが、この問題に関心はあった。しかし、“女の子の問題”として捉えていた。実際、HPVワクチンが子宮頸がんを防ぐワクチンであることは間違いないし、長年その文脈で語られてきた歴史もある。だからこそ、「情報が女子を持つ母親や女子に届いてほしい」と思い続けてきた。
ところが、包括的性教育について取材を重ねるうちに、少しずつ考え方が変わった。性は一方的に与えたり、奪うものではなく「男女がお互いに守り合える関係」 の中にある。HPVワクチンも“女の子を守るためのワクチン”ではなく、男子にとっても“自分自身と未来のパートナーを守るためのワクチン”なのだと思うようになっていた。
それなのに今回の取材で、私が住む豊島区では2022年度から男子へのHPVワクチン助成が始まっていたことを初めて知った。息子は2007年3月生まれで、制度開始当時は“ちょうど高校1年生相当”。つまり、本来なら助成の対象世代だったのだ。せっかく自分の住む自治体が国の動きよりも先進的な取り組みを行っていたのに、学校からもそんなお知らせはなかったし、男子の保護者間で話題になったことも、一度もなかった。定期接種が行われている女子家庭に比べて、圧倒的に男子家庭には情報が届きにくい。親世代も話題にも上がらないということは、多くの人が自分ごととして情報をキャッチアップしていない可能性が高い。
周囲に話を聞いても、女子を持つ母親ですら「もう少し考えてから……、と思っていたら接種時期を逃がしてしまった」という人が多く、男子の母親の多くは、「え? 女の子だけだよね」「子宮頸がんのワクチンでしょ?」という反応だった。この現状を踏まえて重見医師に話を伺ってみることにした。
重見医師は、SNSや講演活動を通じて科学的根拠に基づく情報発信を続け、HPVワクチンの啓発にも取り組んでおり、男子を含め日本のHPVワクチン接種の現状も把握している。まずは、諸外国に比べて日本の接種率が格段に低い理由について聞いた。
「日本では2013年4月に女子のHPVワクチンが定期接種化された直後、重篤な副反応がメディアで大きく報道されて社会不安が広がり、厚労省では開始後わずか2ヵ月後に世界でも異例の『積極的勧奨を差し控える』という判断を下しました。これによりスタート直後は70%あった接種率は1%未満に急落。
その後、『名古屋スタディ』と呼ばれる大規模調査により、多様な症状がHPVワクチン接種とは関連が見いだせないという結論を得たことや、WHO(世界保健機関)の安全声明に基づいて、2022年4月にようやく定期接種が再開され、無料期間を逃がした世代にもキャッチアップ(補完)接種が進められましたが、女子の接種率は現状でも30%台前半です。
接種率が高いオーストラリアや英国、スウェーデンなどでは学校での集団接種を行っているのに対し、日本では医療機関での個別接種なのも接種率が向上しない要因のひとつでしょう」(重見医師)
米国医学会発行の医学誌『JAMA Network Open』(2024)によると、日本の接種率が現在のペースで続いた場合、2028年時点でも女子の累積接種率は 43.16%にとどまるとされ、WHOが掲げる「15歳までに90%」の目標には遠く及ばない。
「それでも少しずつではありますが、HPVワクチンの重要性については社会に浸透しつつあり、地域差はややあるものの、女子の接種率は確実に上がってきています」(重見医師)
HPV(ヒトパピローマウイルス)は、子宮頸がんだけに関与するウイルスと思っている人も少なくないが、実際には男女共通のがんや性感染症の原因となる。以下に、子宮頸がん以外のHPV関連疾患をまとめた。
【中咽頭がん】
喉の奥にできるがんで、国内では年間4,000~5,000人が発症していると推計され、近年顕著な増加傾向にある。中咽頭がんは男性の発症率は女性よりも数倍多く、若い世代の患者も少なくない。
「中咽頭がんの主な原因は、たばこ・酒・HPVウイルスの3つですが、現在、喫煙率が下がり、酒の消費量も減少傾向にあることを考えると、HPV関連の中咽頭がんが増えている可能性が高いと考えられます」(重見医師)
【肛門がん・陰茎がん】
発症数は多くはないが、HPVとの関連は明確。治療が難しく、生活の質に大きな影響を与えるケースがある。
「どちらも早期発見できれば生存率は低くないのですが、肛門がんであればストーマ(人工肛門)を設置するケースもあります。陰茎がんの場合は、陰茎切除や排尿障害など、これまでどおりの生活を送ることが難しくなる場合も少なくありません。部位的にも罹患すると、大きな精神的負担を感じる方が多いようです。また、若い世代で発症すると言いにくさなどから治療が遅れることも考えられます」(重見医師)
【尖圭コンジローマ】
性器や肛門周囲にイボができ、痛みや出血を伴う。がんではないが、生活に大きな影響を与える病気。治療しても3~4人に1人は再発し、年単位で通院が必要になることもある。
「とくに若い世代ではイボが大きくなると、人目のある温泉施設などに行けない、パートナーに見られるのが恥ずかしくてセックスに応じられないなど、悩みは大きくなりがちです」(重見医師)
HPVが、男子のがんやその他の疾患の原因になること、それらはHPVワクチンで予防できることを知っている男子とその保護者はかなり少ないのではないか。可能なかぎりわが子の病気のリスクを排除し、健やかに暮らしてほしいと願うのは親心。男子のHPVワクチンは、接種を検討する意義がある。
しかし、SNSなどでは、HPVで罹患するリスクがある疾患をあげても「肛門がん・陰茎がんは希少がんなのに打つ意味があるのか」「打たなくても大丈夫な人がいるのになぜ打つのか」「子宮頸がんにしても検診や治療をすればいいのだから打たなくてもいい」という意見が散見される。
「罹患者が少なくても、ウイルスによる感染症だと誰もが罹らないとは言い切れません。罹患すれば肉体的にも精神的にも負担になるケースは少なくない。ウイルス由来なので罹患すれば若い世代でも、がんとして進行する可能性も。就職、結婚、子どもを持つといったライフプランが望んでいたものどおりにならない可能性もあります。
また、ウイルスなのでいつどこで感染するかはわかりません。麻疹の予防接種にしても、感染率は下がっていますが、万が一感染すれば重症化する可能性があるので、定期接種になっているわけです。それはHPVワクチンも同様です」(重見医師)
男子もHPVウイルスによる関連疾患があるにも拘らず、日本の男子接種率は1%未満と推測されている。「推測」と書いたのは、男子接種率の公的な調査“すら”行われていないためだ。
重見医師に男子の接種が全く進まない原因を聞いてみた。
「一番の理由は、男子はまだ定期接種の対象ではないこと。医療機関によってばらつきがありますが国による公的支援がなく、自費で接種する場合、4価で5~6万円程度、9価の場合は8~10万円前後程度かかります。対象年齢であれば男子も全額助成、半額助成など公費補助がある市区町村もありますが、まったく助成がない自治体もあってバラバラなのが現状です。
そして、学校での周知がほぼなく、女子の場合は婦人科などで接種が受けられますが、男子が接種しやすい医療機関がまだ少ないことも一因ですね。また、親世代がHPVワクチンを経験しておらず、自分の経験として子どもにHPVワクチンの重要性が語れない、HPVワクチンに関する基本的な知識がないために積極的に接種を勧める・情報を求めることができないというのも大きいと思います」(重見医師)
ただし、国の制度が追いつかない中で、先行して動き始めている自治体もある。東京都では私が住んでいる豊島区だけでなく、23区と15の市町が小学校6年生~高校1年生相当の男子を対象に全額助成(一部負担の自治体あり)を実施しているし、大阪など、男子への助成を開始する自治体が増えている。
そして遅ればせながら国も男子のHPVワクチン接種について、前向きな動きを見せている。
2024~2025年の厚労省審議会では、男子の定期接種化が正式に議題として扱われている。HPVワクチンの有効性・安全性は国内外の複数の大規模研究で確認されており、現在は費用対効果などの課題を議論中だ。また、32の医学会は連名で「男子の定期接種化を速やかに導入すべき」と要望書を提出している。世界から後れを取っているとはいえ、制度として着実に動き始めているのは確かだ。
HPVワクチンは、世界でも数少ない「がんを予防できるワクチン」のひとつだ。予防できるがんなら、できる限り防ぎたい──その思いに性差はない。
必要性が理解されても、実際に接種が進むかどうかは子どもとその親のマインドにも関わってくる。HPVは性行為で感染するウイルスなので、親子で話しづらい。そもそも包括的な性教育が不十分。男子の場合はとくに医療機関にアクセスしづらい、などなど。日本にはまだ多くの心理的ハードルがある。
HPVが性交渉と関連があるのは事実。でも、対象年齢となる小6の子ども自身が“自分ごと”として理解できる伝え方はあるのだろうか。その答えを重見医師とともに後編で探っていきたい。
重見大介医師
婦人科専門医/公衆衛生学修士/株式会社Kids Public 「産婦人科オンライン」代表。著書に男の子のための性教育本、『RESPECT 男の子が知っておきたいセックスのすべて』などがある。ニュースレターなどでも医療情報をわかりやすく発信している。
【後編】男子校で性教育を伝える産婦人科医が答える、男子にHPVワクチンが必要な理由と子どもたちへの伝え方