「ついに理想の少年を見つけた」誘拐した中1男子をノコギリで切断、ホルマリン漬けに…26歳・犯人男の“恐るべき犯行理由”(昭和32年の事件)

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〈ついに理想の少年を見つけた。住所、名前を聞いた。必ず連れ出そう必ず〉
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1957年(昭和32年)に起きた凶悪犯罪「中1男児誘拐ホルマリン漬け事件」。当時26歳の小児性愛者の男の凶行をなぜ誰も止められなかったのか? 事件の発端を、鉄人社の新刊『高度経済成長期の日本で起きた37の怖い事件』より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/続きを読む)
写真はイメージ getty
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1957年(昭和32年)4月2日19時ごろ、東京都中野区大和町に住む12歳の中学1年生、巣山和利くんが近所の銭湯「若松湯」に出かけた。当時はまだ家庭に風呂は普及しておらず、銭湯を利用するのが一般的だった。が、夜遅くなっても彼が帰宅することはなく、母親は心配し周辺を探したものの、警察に連絡することはなかった。
和利くんの父親が二枚目プロレスラーとして人気を博していた清美川梅之(1917-1980)で、スキャンダルになるのを恐れたのだ。もっとも、当時両親は離婚しており、和利くんは母親と2人暮らし。彼が行方不明になった日、清美川は海外に遠征中だった。
失踪から2日後の4月4日、母親のもとに1枚のハガキが届く。

〈子供を戻してほしかったら、4日午後4時までに東武東上線鶴ヶ島駅に15万円(現在の貨幣価値で約300万円)持ってこい〉
身代金を要求するハガキを受けた母親は1人で対応しきれず、ここでようやく最寄りの野方警察署に通報。
犯人の指示どおり15万円を用意し、鶴ヶ島駅に向かう。駅には身代金受け渡し時に犯人を確保するため多くの警察官が配備されていた。しかし、いくら待てども、このとき母親に近づいてくる者は誰もいなかった。
警察は改めて和利くんが誘拐されたものとみて本格的に捜査を開始。聞き込みにより、彼の友人から「4月2日の夜に和利くんが25歳くらいの男と一緒に若松湯から出てくるのを見た」という重要な目撃証言を得る。警察は俄然色めき立った。が、それ以上の情報が何もなかったことから容疑者の特定には至らず、捜査は早くも行き詰まってしまう。
事態が急変するのは行方不明発覚から1週間後の4月9日。この日、精神科・神経科専門病院の都立桜ヶ丘保養院(現・桜ヶ丘記念病院。東京都多摩市)の医師から警察に仰天の電話が入る。何でも、入院患者の自宅から遺体が見つかったというのだ。
医師の話によれば、プロの囲碁棋士である林有太郎(1900-1983)の長男・邦太郎(当時26歳)が3日前の6日から入院していたのだが、診療中に「子供を殴った。血が出た。鉈で切った。ノコギリで切った。ホルマリンに漬けた。かわいいかわいい」と口走ったそうだ。
意味不明ながら、どこか不穏なものを感じた医師は9日朝に中野区の邦太郎宅を訪問。両親と一緒に彼の自室4畳半を確認したところ、畳の上に大量の血痕が見つかり、床の一部が異様に盛り上がっていることに気づく。そこで医師が畳をはがし床下を調べると、なんと金魚鉢と水槽にバラバラになった少年の遺体が詰め込まれていた。
〈12匹の飼い猫をみな殺し、誘拐した少年にわいせつしてたのに…《中1男児誘拐ホルマリン漬け事件》“問題だらけの犯人男”を誰も止められなかった謎(昭和32年の事件)〉へ続く
(鉄人ノンフィクション編集部/Webオリジナル(外部転載))

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