〈「タワマンは縦に伸びた長屋です」乳幼児期にママ友グループに入り損ねると…湾岸エリアで起きている“残酷な二極化”とは〉から続く
親たちがタワマン内のパーティールームや居酒屋で酒を酌み交わす間、子供たちを屋外で遊ばせる行為を「放牧」と呼ぶ親がいる。
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中学受験専門塾の代表を務める矢野耕平氏が『ネオ・ネグレクト 外注される子どもたち』(祥伝社新書)で明かすのは、高所得層エリアで起きている「放置子」の実態だ。なぜ彼らは、100万円もの“保活費”をかけてまで守った子供を夜の街に放り出すのか。背景に潜む“事情”に迫る。
◆◆◆
駅を出て、しばらく歩いたところに一軒のドラッグストアがある。夜遅い21時くらいにこの店の中で「たむろ」している小学生がよく見られるという。
その光景を目撃した母親は語る。
「小学生の集団が店内でうろうろしている。女の子たちは数人固まって化粧品コーナーに置かれている試供品を使って『お化粧ごっこ』に興じているのです。その中にわたしの知り合いのお嬢さんがいたので、『あれ、ママはどうしたの?』と声をかけたのですよね。そしたら、『近くのお店にいる』と。なるほど、ドラッグストアのすぐそばには居酒屋があるのですね。そこで、ドラッグストアにたむろしている小学生たちの親が集まって飲んでいるのですよ。ネオ・ネグレクトの意味を伺ってこの話が思い浮かんだのですが……」
この母親は一瞬ことばを詰まらせたあと、わたしにこう告げた。
「そう考えると、わたしもネオ・ネグレクトに手を染めてしまっているのかもしれない……」
母親が語るにはこういうことだ。
この母親もそうだが、タワマンで仲の良いファミリー層は一様に共働きだという。そしてわが子が幼児のころからの付き合いだ。その母親たちが週末に近隣のファミレスに集まって、夕方から食事を兼ねて2時間程度お酒を飲むという。
写真はイメージ AFLO
そのとき子どもたちはどうしているのか。
夕飯を終えてじっとしていられないためファミレスに隣接している公園で走り回っているというのだ。
それにしても、夜の公園である。不審者がいないとも限らない。この点について尋ねてみると、この母親はこう返答した。
「大丈夫ですよ。マンションに囲まれた地元の小さな公園で、外部から人は入ってきませんし、ファミレスの窓から子どもたちが遊んでいる様子がちらちらと目に入るので、『ああ、あそこで遊んでいるな』と確認ができますし」
「ただ」とこの母親は声のトーンをすこし落とした。
「ネオ・ネグレクトの話を聞いて、ああ、自分は良くないことをしていたのかもしれないとは思いました。当初は『ママ飲み』の場にいても、子どもたちがいるからと考えて、わたしはお酒を飲むのを控えていたのです。ところが、いつの間にかわたしも何の疑問も持たずにお酒を飲むようになっていた。いま振り返ればという話ですが、いろいろと感覚が麻痺していたのかもしれません」
なぜ、親同士で頻繁に集まるのだろうか。
この母親曰く、普段は仕事をしている分、こういう利害関係のない、子どもたちを軸にしたつながりは貴重であるという。
「こういう集まりはファミレスより、むしろ互いの家を行き来したり、共用のパーティールームでおこなったりすることが多いのです。子どもたちは部屋で遊んでいて、わたしたち大人はリビングでお酒を飲んでいる。父親は夜遅くならないと帰ってこない、そんな家でまだ会話もままならない幼いわが子を目の前にしてストレスを溜めるよりも、仕事の愚痴なんかを集まったみんなに共有してもらうことで気持ちが発散できる……それってある意味健全ではないかと思うのです。まあ、ある種の言い訳かもしれませんが。ちなみに、ファミレスで集まって飲むのもその延長上ですよ。外で食事をすれば、子どもたちに広い遊び場を提供できる、そういう思いがありましたね」
そういえば、と母親は思い出したように言う。
「わたしたちがみんなで飲んでいて、その間子どもを外で遊ばせるのを『放牧』なんて言っていましたね。でもまあ、子どもたちが近くにいれば安心という思いもあるのですが、あるとき外で遊んでいた子どもたちが迷子になりまして、困った子どもたちは自分たちで『すみません。わたしたち迷子です』と交番に駆け込んだことがありました」
わたしはこの「放牧エピソード」を山の手エリアに住む中高生の母親に聞かせた。すると女性はさっと顔色を変えた。
「いや、わたしたちの周りではそんなことはあり得ないです。信じられない」
一方、そんな「外部」からのマイナス評価を予期してのことだろうか、先の母親はわたしにこう言った。
「それが“ていねいな暮らし”でないことは百も承知なのですが、わたしたちのエリアの大半が共働きのファミリー世帯なのです。とはいえ、『男女共同参画』などと言いながらも、家事なり育児なりは母親が結局担当することになります」
この母親が言わんとしていることはよく理解できる。仕事をしながらも、子育てもいつの間にか押し付けられている身としては、同じような境遇の母親たちで集まって、お酒を飲みながらわいわいと語り合うことそれ自体が明日への活力を生み出してくれるのではないか……そんなふうに考えているのだろう。この母親の弁は、夫、というより男性社会の在り方に対して疑義を呈していると言い換えることができるかもしれない。
この話を黙って聞いていた別の母親はことばを継ぐ。
「子どもが保育園に通っていたころは、まだそれでも父親と育児の分業ができていました。たとえば、保育園に送っていくのは父親、迎えに行くのは母親、なんて。でも、子どもが小学生にもなると、父親の育児熱が冷めてしまうのです。ひょっとしたら、もう成長したから大丈夫だなんて安心してしまうのかもしれませんね」
このタワマンエリアのファミリー世帯は、先述したようにその大半が両親共働きである。そうなると、わが子を保育園に預けるのが一般的だという。
この地域の保育園は多忙な親のニーズにこたえている。朝は7時から夜は22時くらいまで子どもを預かってくれるところもあるらしい。
ある二人の母親は、かわるがわる保育園にまつわる話をしてくれた。
「近隣にお住まいの女医さんなんて本当に大変です。早朝から夜遅くまで子どもを預けて、仕事をしています」
「最近はこのエリアでは保育園がたくさんできて、いまはどの家庭も利用できますが、わたしたちのころは保育園自体が少なくて、待機児童問題が勃発していました。月額4万~5万円程度で子どもを預けられる認可保育園に入れるのが本当に難しかったのです」
一人の母親がわたしに問うてきた。
「認可保育園に子どもを入れるまでにわたしたちがお金をいくらかけたか、想像がつきますか?」
わたしは目が点になった。なぜなら、認可保育園は認可外保育園と比較すると出費は抑えられるのではないかと思ったからだ。
考え込んでしまったわたしを見て、その母親は微笑んだ。
「意味がさっぱりわからない話ですよね。だいたい100万円です」
わたしは驚いた。100万円の内訳はこうだ。
ベビーシッターの会社との契約金、そして、ベビーシッターの雇用費用。それから認可外保育園に通園する費用。なお、認可外保育園は月額20万円くらいかかるという。
保育園(に入園するための)活動、いわゆる「保活」の際に「いかにわが家が困っているのか」というアピールをしなければ、認可保育園には入れない。ポイント制になっていて、そのポイントが高い家庭から優先的に認可保育園への入園が認められるらしい。つまり、100万円はそのポイント獲得費用とも言い換えることができる。
もう一人の母親は言う。
「6歳まで保育園に預けている期間は、本当に良かった。保育園の存在はネオ・ネグレクトを防いでくれるのではないかと考えます。保育士さんはちゃんとわが子を見てくれるし、友だちとみんなで夕飯まで食べてくるので」
この母親曰く、このタワマン地域で親たちを悩ませているのは、わが子が小学校に入って以降なのだという。先に述べたが、父親の子育てへの関与の度合いが小さくなるからだろうか。それも一因かもしれないが、実はもっと大きな理由があるという。
「小学校に入ると、今度は小学校の学童保育を利用するようになりますが、保育園と違って夜遅く、たとえば22時まで預かってくれるなんてことはありません。しかも、子どもたちって全体的に学童に嬉々として通うのは1~2年程度なのです。小学校3年生にもなると、学童で遊んでいることが幼稚に思えてしまうのではないでしょうか」
そうすると、共働きで日中はほとんど親が面倒をみられない子どもたちは放課後以降どう過ごすのだろうか。ここで問題になってくるのは、「わが子がどう時間を潰すのか」という点である。だからこそ、わが子の学童離れと共に新しい習い事、たとえば進学塾などに通わせる家庭が、このタイミングで激増するという。
親にとってはわが子を託せる場所、子にとっては自分が楽しく過ごせる場所を確保しないといけないというわけだ。
タワマンの自治会を運営する男性はこう語る。
「有料の学童クラブが人気ですよね。そういうところだと高いところで月額15万円から20万円ぐらいかかると聞いています。学校が終わると校門の近くにちっちゃいハイエースみたいなバンがよく迎えにきていますよ。それで子どもたちをその学童クラブに連れていく。その学童では学校や塾の宿題に取り組ませたり、スポーツのプログラムがあったり、理科の実験のプログラムがあったり、英語教室があったり……子どもたちが学んだり遊べたりするコンテンツを豊富に提供しています。その合間におやつを与える。そして、各種コンテンツを終えたあとに夕食を提供する……。お金さえ払えばそういうサービスを受けられるのです。いまは公の制度としてはこれに相当するものはないですよね」
ただし、このような各種習い事は時間制限が設けられていることがある。そのため小学生が、民間学童で過ごしたあとに、次の習い事先へ移動する……これが連日続く事態も取材で明らかになった。ある意味、習い事の教室が、6歳までずっと通っていた保育園の代わりの役割を果たしているのである。
一方で、この習い事戦略をしっかりと組み立てられずにいると、結果として子どもたちは放置されることになってしまい、これまでもいくつかの事例を挙げてきたが、何かしらの問題を引き起こしてしまうことだってあるのだ。
わたしは本書を執筆する以前は、日々習い事漬けになっている子どもたちは、親が自身の時間を確保したいがために犠牲となっていると決めつけていた。つまり、ネオ・ネグレクトの典型的な事例であると考えていたのである。
しかし、そうとは限らない。
わたしは仕事柄小学生の子どもたちと日々接しているが、彼ら彼女らはとにかく元気である。塾の授業の最中はもちろん席に座って集中してこちらの説明に耳を傾けているけれど、それ以外の時間は常に動いていないと心臓が止まってしまうのではないかと思ってしまうくらいに、あっちへこっちへと移動している。
子どもたちが退屈する時間を生み出してしまうこと、それ自体が罪深いことなのかもしれない。
だから、共働きでなかなかわが子に目を向けることのできない親が、わが子が生き生きと活動できる場を意識的に設けていく。その結果として、傍から見ると習い事漬けのように感じられるケースがあるということだ。これをネオ・ネグレクトの一つであると断ずるのはあまりに乱暴だろう。
ここでは東京湾岸のタワマン密集エリアの子育て事情とそこで観察されるネオ・ネグレクトについて述べた。
わたしの経営する塾は世田谷区と港区にあるが、港区にある校舎に通う塾生たちの半数近くがタワマンで暮らしている。
そして、その保護者たちの大半は、仕事で忙しい日々を送っているものの、わが子に愛情を持って接しているし、塾にわが子を預けっぱなしであとは放置している……なんてことはない。塾の保護者会や個別面談会などでそれらの保護者とたびたび顔を合わせるが、聡明な人たちが多いと感じている。
しかし、ネオ・ネグレクトの取材をしていると、このタワマンエリアのエピソードが多く耳に入ってくる。
私見ではあるが、多くの共働き世帯が密集しているということだけではなく、先述したようにタワマン内の共同体が構築されているがゆえに、様子のおかしい子どもたちについての情報を即座に共有しやすい環境だからではないか。個々の家庭の問題に周囲が気づきやすい……タワマンエリアにはそうした特性があるのかもしれない。
ネオ・ネグレクトは局所的に観察される現象ではなく、広域的に見られるのだ。
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(矢野 耕平/Webオリジナル(外部転載))