現在、日本で外国人ホームレスが増加していることを知っているだろうか。
おそらく大半の日本人は、国内で外国人のホームレスを目にしたことがなかっただろう。
事情があって、1、2日だけ公園のベンチで寝ているとか、ファミリーレストランで過ごしているといった光景を見かけることはあっても、繁華街の片隅で段ボールハウスをつくって暮らしている外国人とか、河川敷にバラックを建てて生活している外国人に出会った経験はほとんどないはずだ。
ところが、支援者の話によれば、2、3年前から都会を中心にして外国人ホームレスが目立つようになりつつあるという。アジア系、中東系、南米系など、路上で寝泊まりしている外国人が増えているのだ。
一般社団法人つくろい東京ファンドは、国内の生活困窮者の支援をしている組織だ。ここの職員である大澤優真は、主に在日外国人の生活支援事業を行ってきた。その経験から、彼は次のように語る。
「今は日本の難民を中心に支援をしています。新型コロナの感染拡大以降、外国の方からの住居を失ったという相談が明らかに増えています。この時、彼らから身体の不調を訴えられることも多いです。それまでなんとか周りの人たちに支援してもらって暮らしていた人たちが、それを失うことで生活の場をなくしていると考えられます」
日本で暮らす生活困窮する外国人。一体、彼らの中で何が起きているのか。
現在、日本には約267万人の外国人が暮らしているとされている。アジア系につづいて南米系が多いが、近年は中東やアフリカからくる人々も増えている。
途上国から来た在留外国人の中には、出稼ぎ目的の人も少なくない。往々にして彼らは劣悪な条件下で働いており、週5日で工場などで働いても、手取りが10万円ほどというのが普通だ。別に清掃やホステスのバイトを掛け持ちして何とか家族を養ったり、母国に送金したりしている。
ベトナム人の労働者は次のように話していた。
「みんな貯金なんてないよ。だから、ちょっとケガするとか、病気するとかしたら、もう生活できなくなる。言葉不自由だから『助けて』言えない。だから、毎日病気になってないかな、ケガしないかな思って怖いよ」
彼の言う通り、病気や事故で一定期間働けなくなれば、ギリギリの生活はあっという間に破綻する。家賃が払えなくなり、不動産会社にアパートを追い払われてホームレスになるしかない。つまり、外国人労働者は、日本人に比べてホームレスになるリスクは高い。
ではなぜ、これまで日本では外国人のホームレスの姿を見かけることが少なかったのだろう。答えは、牾姐饋溶働者特有のセーフティーネット瓩存在するからだ。
外国人労働者は、日本で生きていくために同じ国や民族の人たちとコミュニティーを形成して支え合っている。タイ人ならタイ人、パキスタン人ならパキスタン人が「日本に来た同じ国の同志」としてつながり、情報を交換する、仕事を紹介する、子育てを手伝う、物を貸すといったことをするのだ。
中古自動車輸出業をしているスリランカ人は次のように語る。
「昔、スリランカ人が日本に出稼ぎに来た頃はみんな貧しかったよ。だから(建設)現場で知り合った人同士で友達グループつくって助け合っていたね。
そのうち、スリランカ人の中にも日本人と結婚したり、事業をスタートしてお金持ちになったりした人が出てきた。そうすると、彼らの周りにたくさんの人が集まる。それでコミュニティーが大きくなって、困っているスリランカ人がいれば自分の会社で雇ってあげるとか、家賃滞納でアパートを追い出された人がいれば自分の家に住まわせてあげるとかできるようになった。
今は、東京、大阪だけでなく、いろんな都市にスリランカ人のコミュニティーがあるよ。リーダーもみんな友人だからコミュニティー同士のつながりもあったりするんだ」
外国人労働者は日本では非常に立場が弱く、なかなか制度を頼りにできない。だから、「共助」という形でコミュニティーを築いて支え合ってきた。
外国人コミュニティーの形は多種多様だ。
東京でいえば、「リトルマニラ」と呼ばれる竹ノ塚、「リトルインディア」と呼ばれる西葛西といったように町が中心になっているケースもあれば、教会を中心にしてフィリピン人なりブラジル人なりのコミュニティーができていることもある。
あるいは、パキスタン人が経営する大きな企業が雇用の受け皿になっていて、そこでコミュニティーが形成されることもある。また、同じ工場で働くベトナム人が十数人集まってコミュニティーをつくっていることもある。
生活困窮者が多いはずの外国人がホームレスにならない理由は、このコミュニティーが効果的に機能しているからだ。
彼らが強固なつながりを持ち、相互扶助を行っているから、仮に誰かが住居を失ったとしても、知人の家に居候させてもらったり、金銭を貸してもらったりすることができる。
他方、日本人は福祉制度に頼ることができるので、わざわざこうしたコミュニティーを形成する必要がない。だから生活に困った時は福祉制度を利用しようとする。逆に、知的障害や特殊な事情があって、福祉制度を利用できない場合はホームレスになってしまうことがある。
具体的に、コミュニティーの力によってホームレスにならずに済んだという外国人の事例を紹介したい。
50代のベトナム人男性のドンは、来日以来、建設会社が持つ寮に住みながら働いていた。ある日、ドンはプライベートで腰を痛めて仕事を休まざるをえなくなり、給料が大幅に減ってしまった。
会社の寮には住まわせてもらっていたが、過去に事故で借金をしていたため、その返済に追われることになった。ドンは生活苦から、同僚が持っていた5000円を盗んでしまった。後日、それが会社に知られ、ドンは解雇され、寮からも追い出された。
ドンは公園のベンチに座り途方に暮れて、今の状況をフェイスブックに書き込んだ。すると、近所の工場で働くベトナム人が連絡をくれた。同じ地域に暮らすベトナム人として時折週末に集まって飲む仲間だった。
「もし困っているなら俺の寮に住めばいい。本当は従業員以外の人の宿泊はダメなんだけど、ごまかしてあげるよ」
会社の寮は五畳一間のアパートで、外国人従業員が2人1組で暮らしていた。彼はもう1人を説得してドンと3人で暮らすことにしたのだ。
その間の生活費は、同じ工場で働くベトナム人数人がカンパしてくれた。ドンは腰が治るまで待ってから、彼らが勤める工場で働くことにした。
もう一人、タイ人女性のケースを紹介したい。
タイ人女性のジャムは、来日後外国人スナックでホステスとして働いていた。40歳を超えて、常連客の日本人男性と2度目の結婚をした。
日本人男性は入籍した途端に乱暴になった。妻のジャムに暴力をふるうようになったのだ。ジャムは心を病み、外国人スナックに出勤できなくなった。夫は「金だけかかる女はいらない」と無理やり彼女を追い出した。
ジャムは同じ町に暮らしていた古式マッサージ店を経営するタイ人女性に助けを求めた。この町には十数人のタイ人が働いていて、以前から定期的に会って情報交換したり、助け合ったりしていたのだ。
このタイ人女性は、ジャムの心の病が治るまで閉店後なら自分の店で寝泊まりしていいと言った。また、近所のタイレストランで料理人をしているタイ人に声をかけ、店の残り物をわけてくれるよう頼んだ。そのおかげで、ジャムは1年近く無償で店で寝泊まりしながら食事をすることができた。
その後、ジャムは古式マッサージ店でアルバイトをした。そして体調が整ってからベッドメイクの仕事について貯金をし、さらにその1年後には自立することができるようになった
おそらく大半の日本人には、会社の寮の五畳一間に3人で暮らすとか、マッサージ店で寝泊まりしてタイ料理店から残り物を提供してもらって食いつなぐといった発想がないだろう。だが、外国人はコミュニティーの中で連携しながら、そうやって日本での困難を乗り越えているのだ。
ではなぜ、新型コロナの感染拡大以降、そのコミュニティーが脆弱になり、外国人ホームレスが増えたのだろう。
実は、新型コロナが引き起こした不況が社会でもっとも弱い立場の人たちに向かったことで、コミュニティーの相互扶助が機能しなくなったのだ。その結果、在日外国人の中でも一番苦しい立場にある人たちが次々と住居を失うという事態が起きた。
前出の大澤は言う。
「不況が外国人のセーフティーネットを揺るがせたことは大きいと思っています。それと難民に関して言えば、入管が急に外国人を『仮放免』をつけて外に出しはじめた影響もあります。入管はその人たちに働くことも認めず、日本で生活する力を奪った状態でコロナ禍の社会に送り出した。これによって多くの人たちが食べていくことさえできない状況になったのです」
こうした外国人の中には、命を落とした人さえいるという。
不況の中で国が行った愚策とは何か。詳しくは【後編:急増「外国人ホームレス」死者も出る生々しい実情】で見てみたい。
取材・文:石井光太77年、東京都生まれ。ノンフィクション作家。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに取材、執筆活動を行っている。著書に『絶対貧困』『遺体』『「鬼畜」の家』『43回の殺意』『本当の貧困の話をしよう』『格差と分断の社会地図』『ルポ 誰が国語力を殺すのか』などがある。