【吉原 康和】新年一般参賀、悠仁さまの「デビュー」を吹き飛ばす「愛子さまファースト」のうねり…世界からも絶賛される理由

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2025(令和7)年1月2日の新年一般参賀は、昨年以来顕著になる熱狂を帯びた「愛子さま人気」を改めて印象付ける幕開けとなった。昨年秋に成人式を終え、新年一般参賀に初めて出席した秋篠宮さまご夫妻の長男、悠仁さまは、同世代でもある天皇皇后両陛下の長女の愛子さまとご一緒に国民の前で並び立たれる初めての場となった。次世代の皇位継承者の華々しい一般参賀デビューを期待していた政界関係者もいたが、その答えはーー。
年が明け、澄み切った青空が広がった1月2日。早朝から皇居前広場を埋め尽くした1万数千人余りの参賀者は、午前9時半に正門が開くと同時に、一斉に足早に皇居内に足を踏み入れた。天皇陛下が国民から祝賀を受ける「新年一般参賀」である。
午前10時10分。お出ましのアナウンスとともに、皇居宮殿・長和殿のベランダに、天皇、皇后陛下の姿が見えた瞬間、「ウォー」という地鳴りのような大歓声とともに、日の丸の小旗が一斉にはためき、数十メートル先にある宮殿・長和殿ベランダの視界を遮った。
「あ、愛子さまの姿が見えない。どこ?」。小旗の隙間からベランダを凝視する30歳代の女性が一緒に来た隣の男性に声を掛ける。男性が指さす方向を見つめ、やっと上皇后美智子さまの左横に愛子さまの姿を認めると、「あ~、いた。愛子さまだ」と目を輝かせた。小旗が激しく振られる度に、そんなやり取りがあちこちで繰り返されたのであろう。宮殿前の東庭を埋め尽くした参賀者たちの多くが視線を注いだであろう先に、淡い水色のローブモンタント(通常礼服)姿の愛子さまの姿があった。
「いろいろと大変なことがあるかと思いますが、本年が皆様にとって穏やかで良い年となるよう願っています」
天皇陛下の新年のお言葉が終わり、陛下をはじめ皇后、上皇、皇族方のお手振りが始まると、「天皇陛下、バンザーイ」との歓声が沸き起こり、日の丸の小旗が再び激しく揺れ動いた。そして、愛子さまがにこやかな笑顔で手を振るたびに、「愛子さまー!」「愛子さま!」の連呼が鳴りやまない。
この日、1回目の新年一般参賀では、両陛下を中心に正面左側に上皇ご夫妻と愛子さま、右側に秋篠宮ご夫妻と佳子さま、悠仁さまを固めるように、さらにその両側に宮家の女性皇族ら計14人の皇族が並んだ。
悠仁さまの一般参賀出席はこの日初めてだ。男性皇族の一般参賀の出席は父親の秋篠宮さま以来40年ぶりで、昨年9月の誕生日(19歳)に成年式を終え、筑波大学の授業も冬休みのため、「学業と都合が合う範囲で早くから皇族としての経験を積んでほしい」という秋篠宮ご夫妻の意向に沿って実現した。
ちなみに、悠仁さまがベランダにお出ましになった順番は、愛子さま、佳子さまに次いで9番目で、立ち位置は姉の佳子さまの右隣に変わらなかった。モーニングコート姿の悠仁さまは、緊張気味ながらも、皇族方の動きに合わせて参賀者に手を振られた。皇室の次世代を担う若い皇族の清新さを精いっぱいアピールしていたように感じた。
悠仁さまの一般参賀デビューとあって、「国民へのお披露目も兼ねた次世代の皇位継承者の成人のお祝いの場となる」と期待していた政界関係者もいたが、この予想は裏切られた形だ。参賀者の多くは、正面右側にいた悠仁さまより、左側にいる愛子さまの方に視線を向け、声援を送っていたのは明らかだ。
この光景は、長和殿ベランダにいた皇族方の目にもはっきりと映っていたはずだ。
宮内庁によると、今年の一般参賀の来場者数は約6万140人で、昨年(6万690人)と大差はない。しかし、愛子さまに向けられた参賀者の熱気は、昨年と各段と違うように思えた。新年一般参賀を訪れる参賀者は毎年、国内だけではない。海外からの観光客や日本に住む外国人も少なくなく、昨年より多いと感じた。
皇居前広場で並んだアジア系外国人の20歳代の女性は「生の愛子さまを早く見たい」と流ちょうな日本語で話すと、母親と見られる女性は「あなたは、本当に『愛子さまファースト』なのね」とほほ笑む。「愛子さまを見たい」と言うのは、日本人だけではなかった。厳しい寒さに耐え、早朝から皇居前広場の列に並んだ目当ては、国籍を問わず、愛子さまだったのだ。
そんな「愛子さま人気」のうねりは、愛子さまの公務の幅が広がり、SNSなどを通じて国内外の人々が愛子さまの活動を見る機会が増えたことと密接な関係があると思う。
その兆候を最初に体感したのは、昨年5月、愛子さまが能登半島大震災と豪雨災害の被災地である石川県七尾市と志賀町を訪れた時のことだった。
「被災者の方に威圧感を与えたくない」と黒塗りの御料車ではなく、天皇家のマイカーである白の乗用車に乗って視察先間を移動した愛子さま。そんな話を側近から聞いた時、「なんて素敵な発想をする方なんだろう」と思った。被災者住宅では膝を床に付き、目線を合せて被災者の話に耳を傾け、被災家屋の撤去などの活動に取り組んだ大学生には「私も仕事でボランティアに関わっています。どういう仕組みがあれば、参加しやすくなると感じますか」と声をかけられた。
昨年9月、新潟県で開かれた「防災推進国民大会」では、約3時間にのぼる専門家たちの被災地支援に関するセッションを聴講し、まるで学生時代に戻ったかのように生き生きとノートにメモを取る姿が見られた。国民の多くが知らない時にひたむきに努力する素顔がそこにあった。
戦後80年にあたる公務では、両陛下に同行し、沖縄や長崎、東京都慰霊堂(東京都墨田区)などを訪れ、戦争の記憶を継承する同世代を含む「語り部」の人たちとの交流を重ねた。愛子さまが訪れる地域の沿道には、どこも大勢の人が集まり、厳重な警備態勢も敷かれていた。
そして、国民の関心を最大限に引き付けた決定的ともいえる瞬間は、初めての海外公務となった昨年11月のラオス訪問の時だった。
訪問2日目、ラオスの民族衣装を身にまとい、国家主席ら要人と会談し、夜の晩餐会では日本の伝統的な和服姿でラオス語を交えてのスピーチする姿を伝えるニュースに、「おことばも、所作も、着物姿も、何もかも美しい」。ラオスの人々はもとより、ネット上でもこんな絶賛の声が後を絶たず、相手の国の歴史や文化を尊重し、常に落ち着いて堂々とした愛子さまの立ち居振る舞いに人々は感動した。
さらに、世界が驚嘆した理由は、よりシンプルだ。愛子さまの大学卒業後の進路を巡り、誰もが想像したのは、大学院に進学し、時期を見て海外への留学だった。皇族なら、当然の選択肢だ。しかし、彼女が選択したのは日本赤十字社(日赤、東京都港区)への就職だった。「福祉の仕事をしたい。人の役に立ちたい」というのが一番の理由だが、体調が万全でない母親を支えたいという考えもにじむ。
こうした人々の熱狂の源となった彼女の動静は、SNSを通じて瞬時に世界中を駆け巡った。
「日本のプリンセスは、まるでダイヤモンドの原石ではなく、すでに磨き抜かれた宝石のようだ」。愛子さまの抜群の語学力や知性、真摯に公務に取り組む姿勢や完璧な事前準備など、愛子さまの優れた資質について、海外のメディアは好意的に報じた。だが、根底には「日本にはこれほどの逸材がいながら、なぜ、もっと活用しようとしないのか」と「愛子天皇待望論」があることも事実だ。
伝統的な保守政治家を自負する高市早苗首相の執務室には、こうした海外メディアの反応をはじめ、愛子さまの日常の様子や日赤での勤務、公務の状況に関する膨大な資料や情報が蓄積されているはずだ。皇位の安定継承に関する国会の与野党審議は、膠着状態のまま、一歩も前に進まない。この国の未来のために、高市首相はリーダーシップを発揮することができるのか。今年は正念場を迎える。
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