あまり他人には話さないことでしょうが、幼少期からの価値観の相違、決定的な喧嘩や行き違いから、親子が絶縁状態になってしまうことは珍しいことではありません。しかし、その結末が「孤独死」という形での再会だったとしたら、残された子どもの胸には重い問いが残ります。遺品整理の現場で見つかった、不器用すぎる親の愛の痕跡。それは、生前には言葉を交わすことのなかった親子の、最後にしてすでに手遅れな唯一の和解のきっかけなのかもしれません。※過去の相談事例をもとに、社会保険労務士法人エニシアFP共同代表の三藤桂子氏が解説します。事例は、プライバシーのため一部脚色して記事化したものです。
Aさんは、2人兄弟の長男です。幼いころから両親は不仲。父が借金を抱え、貧しい暮らしを強いられていました。
パート勤めの母は必死に働いていましたが、生活は困窮を極めました。小学生のころ、クラスで携帯ゲーム機が流行していても、Aさんと弟は到底買ってもらえません。たまに友人のゲーム機やソフトを借りて遊ばせてもらった記憶が、いまでも鮮明に残っています。
2ヵ月に1度、友人数人で駅近くのショッピングセンターへ遊びに行ったときのこと。友人たちがゲームコーナーで遊んでいるのを横目に、Aさんはここでも友人のゲーム機を借りて遊びました。
惨めさが際立ったのは、お昼時です。みんなでフードコートのハンバーガーショップに行きますが、母が持たせてくれたお小遣いは、いいとこ100円。飲み物は水筒を持参しており、友人たちがハンバーガーを食べる匂いのなかで、ただ水を飲んで我慢しました。
「なんでウチだけ、こんなに貧しいのか……」
その悔しさをバネに、Aさんは猛勉強しました。「貧しさから抜け出すには、いい大学に入って大企業に入るしかない」その一心で国立大学に合格。奨学金とアルバイトで学費を賄い、卒業までこぎつけました。
大学入学と同時に家を出る際、Aさんは両親にこう言い放ちました。
「親にはなにも望まない。自分は1人で生きていく」
Aさんの弟はというと、専門学校卒業後に就職し、海外工場の立ち上げを機に現地法人で働くことを希望し、海外移住。Aさんに「日本での生活に未練はない」と言い残して現地で結婚し、日本に戻ってくることはありませんでした。
Aさんが家を出てから、父が亡くなったときでさえ実家に戻ることはなく、母との連絡も絶っていました。頼る身内もいないなか、大企業に就職したAさんは仕事に没頭しました。
母が独り身になって5年が過ぎたある日、突然電話がかかってきました。地域包括支援センターの職員からです。
「アパートで一人暮らしのお母様の足腰が弱り、認知症も発症されています。一度、今後のことについて話し合ってください」
Aさんの心の中に、もはや「両親」という文字はありませんでした。奨学金の返済もあり、母を施設に入れる余裕などありません。都内に呼んで同居しようにも、仕事が忙しく介護など不可能。なにより、あの貧しい幼少期を強いた親への恨みが消えていませんでした。
「面倒はみられない」その一言をはっきりと伝えるためだけに、Aさんは十数年ぶりに実家を訪れました。そこには、家族に見放され、古びたアパートで孤独な晩年を過ごす母の姿がありました。
母は、借金返済のためになにもしてやれなかったことを詫びました。そして、意外な事実を口にします。「父さんの借金は、働いて全額返済したの。その後も働き続けて、少しだけど蓄えもできている。財産はすべて帰ってきてくれたあなたに渡すから、一緒に暮らしたい」69歳になった母の収入は、月額わずか10万円ほどの年金のみ。その爪に火をともすような生活から借金を完済し、さらに息子と暮らすための貯蓄まで捻出していたのです。
しかし、Aさんの決意は揺らぎませんでした。「仕事が忙しいから無理だ」そういって、逃げるように実家をあとにしました。
さらに5年後。「お母様が亡くなりました」と連絡が入りました。電話の主は、母の家に通っていたヘルパー。葬儀を終えたあと、ヘルパーから一通の手紙を手渡されました。母が最期まで肌身離さず持っていたというその手紙を開封すると、そこには強烈な「意思表示」が記されていました。
「私には子どもが2人いますが、借金を抱え貧しい生活をさせてしまった。夫が亡くなってから少しでも親子関係を修復したいと働き続け、子どもに財産を託したいと願っていたが、最期まで叶うこともなく子どもに捨てられてしまった。私の死後、残った財産は最期まで日々の生活を支えてくれたヘルパーさんに全財産を渡したい」
Aさんは愕然としました。かつて貧乏だからと捨てた実家。しかし母は借金を完済し、財産を残していました。生前の同居の申し出は断ったAさんでしたが、いざ母が亡くなると「財産があるなら、法定相続人である自分がもらうべきだ」と主張します。海外の弟は相続放棄をしましたが、Aさんは納得がいきません。
「親は最期までなにもしてくれなかった」そう憤るAさんと、母の最期を看取ったヘルパー。ここにトラブルの火種が生まれました。
結果として、Aさんは母の財産をすべて相続することになります。
なぜなら、母が遺したのが法的な要件を満たした「遺言書」ではなく、単なる「手紙」だったからです。法的には、形式不備の遺言は無効です。また、生前にヘルパーと「死んだらあげる」という契約(死因贈与契約)を書面で交わしていたわけでもありませんでした。
皮肉なことに、母が最期に託した「ヘルパーに全財産を」という願いは、法的な知識がなかったために幻となり、実子であるAさんも、手紙の内容を知っていたヘルパーも複雑な思いをすることになってしまいました。
Aさんにとって、実家との縁を切ることは、貧困の連鎖から自分の人生を守るための唯一の手段でした。
母の手紙を読んだとき、Aさんの胸に去来したのは単純な悔しさだけではなかったはずです。「いまさら財産があるといわれても、子ども時代は帰ってこない」「なぜその努力を、もっと早く自分に向けてくれなかったのか」――そんな、やり場のない怒りと悲しみ。だからこそAさんは「せめて遺産だけでも自分が受け取るべきだ」と主張したようです。単なる金銭欲ではなく、苦しかった過去に対する精算を求めての行動ともとれます。
Aさんのように法定相続人(子)がいる場合、仮に母が「全財産をヘルパーに」という遺言を残していたとしても、子には最低限の遺産を受け取る権利である「遺留分」が認められます。Aさんが遺留分を主張すれば、ヘルパーとAさんとのあいだで、争いが生じることになります。
Aさんの母の意思表示は、孤独を埋めてくれた他人への感謝でした。一方で、Aさんの主張は、親に振り回された子としての権利の主張です。どちらの想いも切実だからこそ、感情論だけの解決は困難です。
一つの解決策としては、法的な効力を持つ「公正証書遺言」があげられます。財産の配分だけでなく、そこに「なぜそうするのか」という付言事項を添えることで、遺された人の心の負担を減らせたかもしれません。
親子の絆が形骸化しやすい現代。想いを正しく残し、争いの火種を作らないための「終活」の準備が、これまで以上に求められています。
三藤 桂子
社会保険労務士法人エニシアFP
共同代表