東京・渋谷で、バリスタ・焙煎士として働いていた長男・忍さん(当時29)を、交通事故で亡くした深迫祥子さんの講演会が、11月に岡山市北区で開かれました。
【写真を見る】事故で亡くなった深迫忍さん(当時29)思い継ぎオープンしたコーヒーショップ
深迫さんは、亡き忍さんの「コーヒーショップを開きたい」という夢を受け継ぎ、熊本市でカフェを営んでいます。
そのかたわらで、犯罪被害者の二次被害について考えてもらおうと、全国各地で講演したり、コーヒーを飲みながら被害者支援を学ぶイベント「Coffee aid day」を開いたりしています。
※この記事は【前・後編】の【前編】です。(※RSK山陽放送が、今年2025年1月~12月10日まで配信した14,652本の記事のうち、10番目に読まれた記事を再構成して掲載しています)【Coffee aid dayの記事】「コーヒーを飲みながら被害者の二次被害や支援について考えて」
2019年7月9日、熊本県にいた深迫祥子さんのもとに、長男の忍さんの携帯電話から着信がありました。受話器を取ると、聞こえてきたのは忍さん(当時29)の声ではなく、職場の男性の声でした。(職場の男性)「お母さん、忍が救急車で運ばれたんです。すぐ病院に来てください」深迫さんは最初、忍さんがちょっとやんちゃな振る舞いをして、骨折でもしたのかと思い、笑いながら答えました。「また、なんかやっちゃったの?」しかし、職場の男性は続けて言いました。「息をしていない」「死んだ」その3日前の7月6日に、忍さんと最後の電話をしたときのことを、深迫さんは今でも鮮明に覚えています。熊本でコーヒーショップ開店の準備を進めていることを報告すると、息子は嬉しそうに話を聞いていました。翌年、30歳になる節目に故郷に戻り、恋人とともにバリスタとして新たなスタートを切る予定でした。「母さん、帰ってくるときには気をつけて帰ってきてね」これが、母と子の最後の会話となりました。
忍さんは、大学進学を機に東京に出て、そのまま都内で生活していました。当初は特にやりたいことも見つからずにいましたが、ある時期からコーヒーに深い興味を持つようになりました。「俺はバリスタになりたいな」忍さんがこう話したとき、深迫さん夫妻は忍さんの変化に驚きました。それまでコーヒーが嫌いだった忍さんが、熱を持ってバリスタについて語る姿を見て、「この子がここまで好きになるものができたんだな」と嬉しく思いました。
父親は国家公務員でしたが、忍さんの「就職しない」という選択を支持しました。「人生一度しかないから、お前の好きなことをやれ」という言葉に、忍さんは感謝の気持ちを表しました。「普通だったら、私立大学で4年間お金がかかったのに、公務員になるとか大手企業に勤めるとか、そういうことを親は思うんじゃないかなと、俺思ったんだよね。でも、ありがとう。俺は父さんと母さんの子どもで良かったよ」東京での生活の中で、忍さんは具体的な将来像を描いていました。熊本に戻ったらコーヒーショップを開き、恋人にコーヒーを淹れてもらい、自分は焙煎やプロデュースを担当する。店の隣には焙煎場とガーデンを作り、子どもたちがたくさん来て、多くの人が癒される場所にしたいと語っていました。
2019年7月9日、忍さんは東京都渋谷区のコーヒー店で、焙煎士として働いていました。その日、配送会社のトラックが店の駐車場に入ってきました。忍さんは焙煎機を止めて荷物を受け取ろうと外に出ました。トラックの運転手が、アクセルとブレーキを踏み間違え、一気に加速しました。忍さんは焙煎場の壁とトラックの間に挟まれ、頭部を強く圧迫されました。身長182センチの忍さんが、「こんなちっちゃい骨壷」に入ることになろうとは、深迫さんには想像もできませんでした。忍さんの顔を見たとき、深迫さんは言葉を失いました。「本当に人間の顔じゃないです。これが人間の顔なんだろうか」と思うほど、変わり果てた姿でした。忍さんの妹は、「お兄ちゃんね、血で赤かったの。でも、死んだって聞いたときはまだお兄ちゃん温かったのよ」と、最期の瞬間を振り返りました。
四十九日の法要の際、深迫さんは仏壇の前で忍さんの写真を見ながらつぶやきました。「あなたは29年しか生きていけなかったのよね。何がしたかったんだろうな」その時、忍さんがやりたがっていたことを全部聞いていたことを思い出しました。忍さんが店の設計を依頼していた設計事務所に電話をかけ、「息子は天国に行ったんですけど、続きは私がやりますので、お願いです。お店を建ててください」と依頼しました。夫も公務員の再任用の話を断り、忍さんの代わりにバリスタとしてコーヒーをいれることを決めました。
深迫祥子さん「忍はもうお店もできなくなったし、コーヒーもいれることができないから、あなたが忍の代わりにいれていったらいい」2020年5月7日、忍さんの誕生日に「Calmest Coffee Shop」がオープンしました。忍さんが亡くなる3週間前に語っていた、「ホスピスにコーヒーをいれに行く」という願いも、母親の祥子さんが引き継ぎました。
しかし…事故の報道が始まると、深迫さん一家には様々な「二次被害」が降りかかりました。深迫祥子さん「近所の人からは、『わざわざ東京に行って死にに行ったようなもんですね』と言われました。区長は『息子さんは東京の人ですよね。なんでわざわざ熊本の周りの人に知らせなければいけないんですか』と葬儀の告知を拒みました」忍さんが住んでいた部屋を管理する不動産会社からは、「後追い自殺をされたら借り手がなくなる」という理由で、1か月以内の退去を要求されました。「もし、あなたがいなくて、彼女さんが家に上がってきて、ここで自殺されたら困るでしょ?」という言葉に、深迫さんは「私は犯罪者でも何でもないんですよ。なんで私が出ていかなければいけないんですか?」と抗議しました。
民事裁判では、相手方の弁護士から忍さんの価値について問われました。「この忍という息子さんに、ここまでの高い金額は見合っているのか、高すぎるんじゃないか」「忍さんに価値があるのか」「コーヒーをいれるだけの仕事に価値があるのか」同じ遺族からも心ない言葉を浴びせられました。「あなたは交通遺族ね、交通遺族はいいですよね。賠償金が入るから。保険会社があるでしょう」「私たちは損害賠償金をもらってないんだよ。あんたたちはいいよ、損害賠償金があるから」
加害者が謝罪のため熊本を訪れたとき、深迫さんは忍さんの骨壷を持参しました。「身長が182もあった息子が、こんなちっちゃい中に入っているんだ。なんでこんなことになったんだ」と訴えました。隣で黙って聞いていた娘が、小さな声で「すみません、すみません」と言い始めました。深迫さんが何か言いたいのかと尋ねると、娘は加害者に向かって語りかけました。「お願いがあります。私は人を殺したことがないんです。あなたは人を殺しましたよね。人を殺してどうやって生きていってるんですか? お願いです。聞かせてください」
娘は、何度も何度も同じ問いを繰り返しました。「私は兄に会えないんです。あなたは大切な家族がいるんですよ。私は大切な兄がいなくなったんです。兄にどうしても会いたい。でも、あなたが殺したんですよね。どうして殺したんですか?」
この問いかけは、加害者にとっても深迫さん一家にとっても、重い意味を持つ時間となりました。
【後編】に続く「よく人前で死んだ子の話ができますね」事故で亡くなった男性の母親に向けられる心ない言葉 それでも前向き「無関心から共感へ」【Coffee aid dayの記事】12月6日に熊本市で深迫さんたちが開催