「認知症患者」は急病でも受け入れ拒否に… 下町のベテラン病院長が見た「地域医療」の“終わりの始まり”

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日本の「医療崩壊」はすでに始まっている。今年10月、国立大学病院会議は国立大学病院42施設の現金収支見込みを公表、赤字額は過去最大の400億円超にも上り、大きな注目を集めた。しかし、地域医療を担う民間病院はそれ以上に過酷な状況にさらされている。3代目医院長として大田区で中規模病院を経営し、認知症のスペシャリストとして患者のケアに従事してきた熊谷佳氏もまた、地域医療の苦境を憂える一人だ。日本社会が直面する医療・福祉の行く末について医療現場はどのようにとらえているのか。京浜病院院長の熊谷佳氏に聞いた。(構成:会田晶子/ライター)
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【写真を見る】厚労省統計に見る“医療危機”の現在地
東京都内のある区営住宅に、真夜中の12時になると大音量で音楽を流す90代のおばあさんが住んでいました。彼女の迷惑行為は徐々にエスカレートし、時には5階のベランダから道路に汚物を捨て始めることさえありました。注意されると怒鳴り散らすため、近隣住民は手が付けらません。最終的に行政の預かりとなり、地域包括支援センターのケアマネジャーが「認知症かもしれない」と、当院に連れて来ました。
結果としてこの方は、前頭葉と側頭葉が萎縮して人格変化や行動異常を起こす「前頭側頭型認知症」でした。極度の栄養失調にも陥っていた彼女は、治療によって徐々に健康を取り戻し、迷惑行為や暴言もなくなりました。
これは今だから救うことができた幸運な事例です。5年後、10年後の近い将来には、このような認知症患者が、医療や福祉にアクセスできなくなるかもしれません。
日本の高齢者に占める認知症患者の割合は高止まりしており、団塊の世代が全員80代になる2030年には約523万人に上ると推計されています。その5年後の2035年には566万人、2040年には約584万人、全人口の減少の一方で認知症患者は右肩上がりに増えます。その中には、冒頭のおばあさんのような社会性を欠く行動障害(BPSD)を引き起こす、前頭側頭型認知症も約1%含まれています。
一方、医療や福祉の受け皿は全く足りません。まず、当院のように地域医療を担ってきた、相談しやすく入院もできる民間の中小規模病院の多くが経営困難に陥り、次々に潰れています。介護施設も不足し、厚生労働省は在宅介護を中心とした地域包括ケアを推進していますが、これを担う人材が圧倒的に足りません。
この状況を放置すれば、認知症患者は適切な医療を受けられず、高齢者による失火や交通事故、迷惑行為が多発し、コンビニエンスストアは行き場のない徘徊老人で溢れかえる社会になっていくでしょう。
もちろん、医療・福祉の崩壊の影響を受けるのは、認知症患者だけではありません。まず、外科医をはじめ急性期医療を支える人材は、すでに著しく枯渇しています。働き方改革が進み、ワークライフバランスを重視する風潮の中で、給料が安く、過酷な労働を強いられる急性期病院の外科医になることを選ぶ若者はごく少数です。
全体の医師数は2002年から2022年の10年間で1.3倍に増加していますが、外科医数は横ばいです。しかも外科医の平均年齢は、2020年時点で50.2歳。2030年には60歳台に突入するでしょう。一方で、2031年には日本人の平均年齢が50歳を超えます。今以上に中高年人口が増え、当然、医療需要は増加の一途をたどります。
このまま外科医不足が続けば、緊急手術ができる病院が減り、虫垂炎のようなありふれた病気でも手術ができずに命を落とすことになりかねません。先んじて医療崩壊が進む英国のように、がんの診断のための診察で2~3カ月、大腸がんや胃がんなどの計画的な手術でさえ半年以上待つことが当たり前になります。これまでは助かっていた命が救えなくなるのです。
さらに今現在も、認知症や要介護の高齢者は、急性期であっても受け入れを拒否されているという事実があります。急性期病院には介護職員は原則配置されておらず、認知症の行動障害への対応も困難です。私も、必要なのに手術が受けられない認知症患者を何人も見てきました。
また、崩壊するのは急性期医療だけではありません。急性期病院の入院は14日程度であり、手術後に病状が安定せず自宅に帰れない人は、他の受け入れ先を探すことになります。しかし、このような患者を受け入れてきた地域の中小規模病院は破綻し、減少しています。新たな受け皿とされる「地域包括ケア病棟」の入院期間は原則60日以内でしたが、2024年度の診療報酬改正で40日が目安となっています。ちなみにこの背景には、長期入院になるほど病院の収益を減少させる制度設計があります。
この影響を受けるのは、退院困難に陥りやすい高齢者です。退院までに在宅医療が受けられるまで回復しない高齢者は、受け入れてくれる特別養護老人ホームなどの介護施設を探すことになります。しかし、都市部では数年待ちも珍しくないほど不足していますし、地方でも担い手不足から今後の激減が懸念されています。やむを得ず自宅に帰り、衰弱して亡くなる方も出てくるでしょう。
これまでご紹介してきた「医療崩壊による地獄絵図」には、民間の中小規模病院の破綻が大きく影響しています。戦後から現在まで、日本の医療を中心となって支えてきたのは約8割に上る民間病院です。しかし、全国一律の「公定価格」を決める診療報酬制度で病院の収入は限定され、物価高騰や人件費上昇によるコスト増の吸収を余儀なくされてきました。近年の働き方改革による人件費倍増も、病院経営に大打撃を与えたのです。
医療ニーズは高まっているのに、病院経営は赤字で、医療従事者の賃金は上がらず、他産業へ人材が流出しています。医療現場の待遇改善のためには診療報酬の引き上げが必要です。しかし、診療報酬を議論する場である中央社会保険医療協議会(中医協)では、診療所を代表して引き上げを主張する医師会と、保険料負担の抑制のために引き下げを主張する健康保険組合との対立があり、改革は遅々として進みません。
こうした中で、民間の中小規模病院は次々と潰れ、国立大学病院までが過去最大の赤字であることが判明しました。このままでは、国民皆保険制度が限界を迎えることは、誰の目にも明らかでしょう。
今、日本社会は選択を迫られています。米国のような資本主義的な自由診療、つまりお金があれば良い医療を受けられ、なければ諦める社会か。英国のように公的に医療制度を維持するが、医療のひっ迫から受診や手術の待機時間が非常に長くなる社会か。あるいは、フランスのように公的資金による社会保険が最低限の医療を保障し、残りは民間保険でカバーする社会か。ただし、どの国、どの制度も問題を抱えており、最適解はありません。
いずれにしても、改革には流血が伴います。そこには、患者の皆さん、被介護者の皆さんも含まれます。もはや「もらうだけの立場」は成り立ちません。ユーザー自身が、自分たちの地域の病院や介護の仕組みをつくる側に回り、お金も出し、不自由も我慢する必要があります。このまま病院の淘汰が進み、地獄を見た後に、縮小した医療に甘んじていくのか。今が、未来を変えるためのターニングポイントだと言えるでしょう。
デイリー新潮編集部

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