『仮面の告白』『金閣寺』で知られる、戦後日本文学界の白眉・三島由紀夫。日本を愛し、憲法改正を声高に主張した勇猛果敢な作家の最期は、陸上自衛隊駐屯地での割腹自殺という凄惨なものだった。
2025年は三島由紀夫自決から55年である上に、三島由紀夫生誕100周年の節目の年である。「三島由紀夫が今の日本を見たらなんと言うか」という月並みな妄想に溺れるのではなく、改めて彼の自決が何を意味したのかを再考する必要があるのではないか。1970年11月25日、三島由紀夫は一体何をしたのか?
週刊現代1970年12月10日号の「三島隊長襲撃決行までの全行動記録」より再編集してお届けする。
第1回
「今回の事件は楯の会隊長たる三島が計画、立案、命令し学生長、森田必勝が参画したるものである。三島の自刃は隊長としての責任上、当然のことなるも森田必勝の自刃は自ら進んで楯の会全会員および現下日本の憂国の志を抱く青年層を代表して自ら範を垂れて青年の心意気を示さんとする鬼神を哭かしむる凛烈の行為である」
(楯の会・小賀正義にあてた三島由紀夫の『命令書』から)
【証言1 教育評論家】
戦後間もなく三島由紀夫と“天皇陛下を守ろう”と誓いあって以来、最も親しい友人で、つねに彼の傍に影のごとくつき添っていた最大の理解者でもあった。
「以前からこうしたことがいつかは起こるのではないかと、気にはしていました。その場合、(三島)先生は割腹自害をするだろう、ということもわかっていました。ただ、『おなじ実行するなら時期を考えた方がいいですよ』と先生にいっていたんです。
最後に先生と会ったのは11月15日。どうしても話したいことがあるというのでね。その夜の7時半から帝国ホテルのバーで4時間も話していたんですが、いま考えてみればそれもおかしなことだったんですよ。ふだんなら、こちらの都合をきいてから会うという人なのに、この日に限って、なにがなんでも会うという感じだった。
話は例によって明治維新のことでしたが、『吉田松陰の気持ちがはっきりわかったような気がする』なんて、しみじみいってらしたのが印象的でしたね。
しかも『ぼくもこの年齢になるまで作品を随分と書いたつもりだが、ある朝ですね、太陽の光が窓から射し込むのを眺めていたら、そんな作品も宇宙のホコリのようなものにしか感じられなくなってしまってね』と。
こんなしんみりした話のなかに、なんでぼくは先生の突き詰めた気持ちが読みとれなかったのか……。いえ、そのときばかりではなかったんです。次の日曜日(22日)、実はこの日も先生から夜電話がありましてね、『あなたにネクタイを贈りたいが、ぼくがよいものを選んであげるよ』とおっしゃるんです。だから、ぼくはいったんです。どうせなら三島さんの身につけられたものを頂きたいと。
そしたら『それもぼくが選んでおきましょう』というんですね。いままでにもネクタイを頂いたことはあったし、別にふしぎにも思わなかったが、いまになって考えてみれば、そのとき既に死の覚悟をしていたからなんでしょうね」
三島由紀夫の「楯の会」が発足したのは昭和43年10月。会の名称は“醜の御楯”(万葉・防人の歌)からとったもの。隊員は自衛隊に体験入隊して武器の使用を体得。
会の主義は“振Ν天皇制支持K塾論認の三本の柱から成っている。
三島と共に割腹自殺した森田必勝 (25)は元早大教育学部学生で、元同大学国防部部長。他の三人は古賀浩靖 (23)、小賀正義(22)、小川正洋(22)。隊員のなかから選ばれた“決死隊”である。
【証言2 前日本学生同盟委員長・早大生(自決した森田の友人)】
「私と森田君とは早大で国防部を組織した仲間なんです。森田君の性格は一言いえば豪放磊落。理論派というより肉体派(行動派という意味か)でしたね。彼は受験浪人中、故河野一郎(元建設相)に憧れて、弟子入りしたいため、下宿を神奈川県の河野邸の近くまでわざわざ移し、日参したというエピソードの持ち主です。
もの心つくころ両親と死別し、家庭環境が複雑だったにもかかわらず開けっぴろげで明るかったですね。三島氏も森田君のことを『天衣無縫で淡白なヤツ』と評していました。森田君は豪放なくせに表面は非常におとなしい。この性格は小川、古賀といった他の三君とも共通で、しかも自分への戒律とか、内面の意識を重要視するタイプでした。
自衛隊の体験入隊が終わったとき、彼らと飲んだことがあるのですが、三君は口をそろえて“死”という言葉を、それもたくさん使うんですね。三島氏が今回森田以下これら四名の隊員を選択した基準も、まず第一にこの性格的な共通面があったように思います」
【証言3 事件直前の数日間、雑誌『潮』の取材で三島の写真を撮っていたカメラマン】
「後楽園ジムで三島さんが森田と組んで空手の練習をしているときのこと。終わったあと『彼が楯の会学生長で早大生の森田君だ、なかなかいいやつだ』といい、それから向こうが柔道三段の古賀だ、『なかなかいい顔しているだろう』と、目を細めていましたね」
『「あんな事件を起こす様子は、みじんもありませんでした」…三島由紀夫自決から45年、三島が愛した店の従業員が語る「自決前の最期の酒」』へ続く。
「週刊現代」1970年12月10日より
【つづきを読む】「あんな事件を起こす様子は、みじんもありませんでした」…三島由紀夫自決から45年、三島が愛した店の従業員が語る「自決前の最期の酒」