【写真】犬を使ったクマ対策はこう行われる!
環境省がまとめた「クマ被害対策等について」(10月30日発表)によると、2025年度はすでに被害者数108人、死者数12人にのぼっている。もはや従来の対応では被害を防げないと警察官のライフル使用、自衛隊派遣と国をあげて対策を講じる事態になっている。そして、クマ駆除のニュースが報じられるたび、熊害に悩まされる自治体の業務に支障がでるほど抗議が寄せられていることもまた、物議を醸している。人々の生活と社会の変化を記録する作家の日野百草氏が、クマの駆除に異を唱える人たちの保護に対する思いと、その難しさについて聞いた
* * *「捕獲したクマはなるべく山に返す努力をするべきです。長野県のように返している自治体もあります」
東京、港区高輪のホテルにあるカフェ。長く動物保護活動に取り組む三人の女性に話を聞く。三人ともこの港区や隣接する目黒区に住んでいる。言うまでもなく都心の超一等地、このあたりだとクマはクマでもクマネズミの被害のほうが深刻だ。
彼女たちは野生動物の保護を中心に自然保護全般の活動をしている。四国で絶滅寸前のツキノワグマの保全やイヌワシの生息環境再生などの団体に寄付をしたり、風力発電やメガソーラーの負の一面とされる自然破壊の問題について、地元で小さな集会を開いたりしている。
「長野県はボランティア団体も含めて優秀なんですよ。ゾーニング(棲み分け)や学習放獣(「お仕置き放獣」とも。人間に対する恐怖を覚えさせること)に取り組んで長いのです」
その長野県、11月10日にも大町温泉のホテル近くの木に登っていた体長1.2メートルのツキノワグマを麻酔入りの吹き矢で捕獲、山に返している。
「(長野県では)とくに軽井沢町が成果を上げています。保護団体がベアドッグを養成したり、返すときには発信器をつけたりして未然に被害を防いでいます。住民の方々や別荘の所有者も協力的で、理想だと思います。やればできるんです」
三人とも軽井沢に別荘や友人がいる縁もあって自然保護に関心を示したとのこと。また「やればできる」は事実で軽井沢町は2011年以降、人家における熊害(ゆうがい・熊による人や物に対する加害)は発生していないとされてきた。 「だから自衛隊だのライフルだの戦争みたいな対応はやめて欲しいです。クマと戦争でもするつもりでしょうか、みなさん冷静になって欲しい。クマは何も悪くない」
ここで筆者として断りを入れさせてもらうが、この取材の時点で長野県は基本、クマと保護・共生の姿勢にあった。彼女たちの発言はそうした経緯によるものである。
しかしその後、この取材からすぐの14日に設置された「長野県ツキノワグマ対策本部」は方針を180°転換、捕獲したツキノワグマは前頭駆除するとした。そのための年間捕獲上限675頭と大幅に引き上げ、保護から徹底駆除に方針転換した。
本稿の彼女たちの意見はその方針転換直前の話である。それほどまでに本州のツキノワグマによる熊害が急ピッチで、止まるところを知らない事態となってしまっている。
ツキノワグマに襲われたとみられる死傷者は過去最多、登山者など人がクマの多数生息する山に入ったからとか、たまたまクマが山から降りたからでない、明らかに人の住む場所を餌場に、あるいは人や人の家畜やペットを狙ったのではないかという例が多発している。
現在の個体が人の食べ物だけでなく、人の味を覚えたとする専門家もいる。
筆者は10月『《全国で被害多発》”臆病だった”ツキノワグマが変わった 出没する地域の住民「こっちを食いたそうにみてたな、獲物って目で見んだ」』を書いたが、岩手に住む80代の狩猟免許を持つ男性も「俺を見ても(クマが)逃げねえ」「こっちを食いたそうにみてたな、獲物って目で見んだ」と語っている。
この「臆病だったはずのツキノワグマがおかしい」は農林学や野生動物学などの研究に携わる専門家も警鐘を鳴らしている。東北の山間部だけでなく住宅地や商業地域にまで多数のツキノワグマが降りてきた報告が続いている。
そこで日本政府はクマ被害を食い止めるため、従来の猟友会によるボランティアだけでなく警察によるライフル射撃の許可(11月13日から)、そして対クマ作戦の後方支援に自衛隊を投入することを決定した。
さっそく陸上自衛隊第9師団が要請のあった秋田県に派遣された。あくまで後方支援だが、これまでにない政府の本気度が見える。
「クマに人間が被害にあっていることも、クマで大変な思いをしている地域があることもわかっています。でもやり方があると言いたいのです。実際に保護団体はこれまでも成果を上げていますし、同じようにゾーニングや学習放獣を徹底すればいいと考えています。ただ殺し続けるだけでは九州のようなツキノワグマの絶滅につながりかねません。四国も20頭くらいしかいない」
かつて、ツキノワグマは九州にも生息していたが駆除はもちろん毛皮の需要もあって、20世紀半ばには確認されなくなった。環境省は2012年、正式に九州のクマの絶滅を宣言したが、四国もまた剣山の奥深くに極少数が確認されるだけとなった。
以前から政府は林野庁四国森林管理局と環境省中国四国地方環境事務所、四国自然史科学研究センターによる「はしっこプロジェクト」として四国のツキノワグマ保護の調査活動をしているが、熊害も困るが絶滅も困る、と保護と駆除のはざまで政府も難しい対応を続けてきた。
「先ほどのゾーニング、学習放獣、マイクロチップの他にドングリを山に運び入れる活動もあります。ただしドングリの運び入れは餌づけにつながる、運び入れの作業をする方々の安全からすべきでない、という団体もあります」
どんぐりなど餌の運び入れは以前から批判があった。それでも続ける団体はあったが効果はわからず研究者の間でも懐疑的な向きが多い。学習放獣もそうだ。ゾーニングがもっとも有効とされるが時間と費用がかかる。
こうした保護活動は補助金の他に、彼女たちのような熱心で裕福な人々の支援があってこそという面もある。東北の自治体の70%以上(FNN調べ)が熊害に対処するには金がないとし、猟友会の報酬もまたあまりに安く拒否されるケースもあるほどだ。金が無ければ戦えないし守れない。
「軽井沢町(市町村の財政力指数全国4位・2023年)みたいな財政の充実した自治体ばかりじゃありませんからね。ツキノワグマの生息地域は存続すら厳しい自治体も多いです。人もお金も足りません。だからってクマと戦争みたいな姿勢は間違っています。一方的に殺すわけですから」
ここでも訂正しておくが自衛隊=戦争の発想はあやまりで、自衛隊は重火器を携行せず木銃(銃剣道などに使う銃を模した武具)である。あくまで仕留めるのは猟友会や警察のライフル部隊、後者の本来の任務はテロ対策であり、射撃のエキスパートだ。クマを掃討するような話でなく、人を守るための駆除である。
秋田県の前知事、佐竹敬久氏も「戦争」とテレビ朝日の取材に答えているが、保護団体の方々が気に入らないとしても、命を守るための戦争なのだと思う。戦争は攻めるためだけでなく守るための戦争もある。戦わなければ誰かが殺され続けてしまう。それが自分はもちろん大切な家族や友人かもしれない。
しかし彼女たちはこうした政府の方針が誤りであると話す。またこうした行為が誤りであることを伝えるため、各自治体に対して電話で説明をしていると語る。彼女たちが会員になっていたり、寄付していたりする団体の一部もそうした電話を組織的にしているとも。
「実際に説明しないとわからないと思います。それは市民として当然の権利ですし、クマだけでなく人のためにもつながります。もちろん怒鳴ったり、長々と文句を言ったりはしません」
NHKの世論調査(11月11日発表)によればクマに対する政府の対応は強化すべきが71%、いまのままの対応でよいが19%で90%を占める。このように緊急銃猟や自衛隊派遣などの対応に多くが賛同する中、保護団体やその支持者の主張はなかなか厳しいようだ。
そうした保護団体の国際的な中心と見なされるWWF(世界自然保護基金)の日本支部も〈クマとの軋轢(あつれき)は、私たちの社会問題でもあるのです〉と人間側の問題を投げかけながらも〈人間とクマが共存するための「特効薬」はありません〉と記している。
事実、そうだろうと思う。いま私たちの国はクマによって誰かの大切な人が命を落とし、誰かの大切な愛犬が小屋ごと連れさられ、誰かの日常生活やその糧となる仕事を脅かされ続けているのだから。
保護団体も対応はそれぞれ、自治体への抗議や苦情の電話はしないように声明を出す団体もあれば、そうした抗議電話を批判する側を指して「言論封じ」とする団体もある。何百件もの抗議電話など、とても言論とは呼べないように思うがここまで来るともう人の価値観はそれぞれ、いろんな人や集まりがあるとしか言いようがない。こうした一部の困った人たちへの対応もまた一歩踏み込んだものが求められるだろう。
今回の彼女たちは冷静できちんと話のできる方々だったがそうでない人もいる。言い方が難しいのだが本当にクマの命を優先というか、そんなに人が憎いのかと思わされるほどに話の通じない人もいる。
「人間なんか滅べばいい」と真顔で話す人はごく一部だが、こうした活動をしている方にはリアルで存在する。筆者もずいぶん昔の話だがそういうことを言う人に「自分も人間でしょ」と言ったらしばらく嫌がらせを受けてしまった経験がある。
もちろんそんな人はごく少数、しかしそのごく少数が一日何十回も何時間も電話してくるのだから自治体職員もたまったものではない。
実際、筆者の前回の記事でも書いたが「クマがかわいそう」「クマは悪くない」どころか「人間なんか死んでも構わない」「クマに食べてもらってありがたく思え」という罵詈雑言を自治体関係者は頂戴してしまっている。保護団体の気持ちもあるのだろうがそんなことでは解決しないはずだ。
この記録的な熊害に至った理由が人の側にもあることは事実だろう。それでも人が人を守るしかない。繰り返すがなにも殲滅するのではない、むしろ個体数管理と言っていいはずだ。環境省も昨年クマを「指定管理鳥獣」とした。駆除もまた管理である。そうでなければクマもまた不幸な人との接触が続くばかりである。
今回の彼女たちはこうした筆者の意見ついておおむね理解してくれた。自治体に電話をしないことも約束してくれた。それでもクマを殺すのは反対とのことで、それはもう個人の意見として尊重する他ない。
「夫も『クマより人が大事だろ』って私の意見には反対ですね。ずっとそうでした。そういうことじゃないんですけどね、難しいですね」
この取材後の長野県による捕獲したツキノワグマの「全頭駆除」という方針転換について彼女たちの中のひとりから連絡があった。長野県の決定は仕方がない、人の命が大事だし、筆者との約束なので抗議電話はしない、と話してくれた。ただし「私はそうでなくても、クマのためならって過激な人もいますから」「赤の他人よりクマが大事な人もいますから」とも教えてくれた。
いまこのときも現場は最前線でクマと戦っている。クマに生活を、命を脅かされている人々のために。
もうすぐ冬、冬眠をしくじった「穴持たず」と呼ばれる人食いグマ(危険個体)の狂気が待ち受けているかもしれない、佐竹前知事の言う通り、まさに戦争だ。
保護団体の方々の気持ちはわかる。人の意見もそれぞれで尊重すべきだ。しかし人の命がこうして失われ、生活のままならない人々が現に苦しんでいる。私たちは人である限り、人の命を守らなければならない。これもまた他の生命と共存するための痛みであり、ふたたび人を怖がり山に籠もってくれるツキノワグマを望むがゆえの、人であるがための責務に思う。
それにしても、本当にごく一部なのだろうが「人よりクマが大事」ではもう、残念ながらこれ以上の話は難しいように思う。
●日野百草(ひの・ひゃくそう)/出版社勤務を経て、内外の社会問題や社会倫理、近現代史や現代文化のルポルタージュやコラム、文芸評伝を執筆。日本ペンクラブ広報委員会委員、芸術修士(MFA)。