「医療に対する理解の不十分さが矯正医療の現場にあるとすれば──」
10月に言い渡された判決で、東京地裁は刑事施設における医療体制の問題にそう言及した。(弁護士ドットコムニュース・一宮俊介)
川越少年刑務所(埼玉県川越市)に収容されていた受刑者の男性(当時23歳)が死亡したのは、刑事施設の医師が適切な医療を怠ったためだとして、男性の母親らが国に損害賠償を求めた裁判で、東京地裁(森健二裁判長)は10月30日、国に150万円を支払うよう命じた。
裁判所は、精巣腫瘍(しゅよう)が疑われていた男性に対する初期診察の対応を「著しく不適切なものであった」と指摘。一方で、死亡との因果関係は認めなかった。
判決文などによると、男性はある事件で懲役6年の実刑が確定し、2019年3月11日にさいたま拘置支所に収容された。
翌2020年1月7日、陰嚢(いんのう)のはれをうったえて拘置支所の医師の診察を受けた。当初対応した精神科専門の医師は陰嚢水腫(すいしゅ)を疑ったが、外科専門の医師が診たところ、精巣腫瘍の可能性があるとして、外部機関に検体検査を依頼。
結果は「腫瘍の疑いがない」とされたため、経過観察となった。しかし、男性はその後も違和感をうったえ、3月11日に民間の泌尿器科を受診。「精巣腫瘍または精巣上体炎(じょうたいえん)の疑い」と診断された。
3月18日には医療刑務所「東日本成人矯正医療センター」で超音波検査を受け、「精巣腫瘍(セミノーマ)によるものだと強く疑われる」と診断された。3月24日に除去手術を受けた。
手術後は化学療法を受け、6月末の時点で明らかな遠隔転移が認められなかったため、男性は8月に川越少年刑務所へ移送された。
ところが、9月下旬頃から腰痛をうったえ、10月には体の別の部分に異常が認められた。再び同センターに戻され、10月27日のCT検査で転移が判明した。
12月10日に刑の執行停止が認められたが、民間医療施設で治療を受けたものの、翌2021年7月24日に精巣腫瘍で亡くなった。
男性の母親と婚約者は2023年3月、男性が適切な医療を受けられずに死亡したとして、国を提訴した。
主な争点は以下の点に整理された。
(1)初期対応の過失
2020年1月7日、9日の診察時に、医師が精巣腫瘍の発症を疑って、超音波検査などを実施すべき注意義務を怠ったかどうか。
(2)経過観察中の過失
男性が腰の痛みをうったえた2020年9月上旬~10月5日、CT検査を実施すべき注意義務を刑務所側が怠ったかどうか。
(3)因果関係
(1)と(2)の過失が認められる場合、男性の死亡との間に因果関係があるかどうか。
原告側は「必要な検査を実施していれば、2020年1月末ごろには治療が開始でき、2021年7月の時点でも男性が生存していた高度の蓋然性が認められるなど」と主張した。
一方、国側は「2020年1月時点でがんの転移が進んでいた」などと反論し、「1月7日または9日の時点で精巣腫瘍が発見され、速やかに治療がおこなわれていたとしても、2021年7月24日に死亡する結果を回避できなかった可能性が高い」として、注意義務違反と死亡との因果関係を否定した。
東京地裁は、2020年3月にがんのリンパ節転移の可能性が指摘されていたことなどから、1月7日の時点ですでにがんがリンパ管などへ侵入していた可能性が十分にあると判断した。
そのうえで、当時、超音波検査や除去手術、化学療法が実施されていたとしても、実際の経過と同じようにがんの再発や転移した可能性は「否定し難い」として死亡との因果関係を否定した。
一方で、東京地裁は、刑事施設にも社会一般の水準に照らした適切な医療上の措置を講じるよう求める「刑事収容施設法」の規定に言及。
外科専門の医師が2020年1月9日に、超音波検査などを実施せずに陰嚢水の剥離細胞診のみで鑑別しようとした行為について、「臨床医学の実践における医療水準にかなったものではなく、これと乖離していた」「適切な医療行為を受ける利益を侵害する程度に著しく不適切なものであったというほかない」などと断じた。
不適切な医療行為を受けた男性が受けた精神的苦痛への慰謝料250万円を認定し、そのうち母親が相続した分(2分の1)と弁護士費用を含めて、150万円の支払いを命じた。
弁護士ドットコムニュースの取材に、弁護側は控訴する意向を示している。