深刻な首都圏のホール不足の背景にある「文化行政」の救いようのない低レベル

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かれこれ10年近く前だが、首都圏の劇場やホールに関する「2016年問題」が深刻化した。2020年に予定されていた東京オリンピックに向けて、劇場やホールの改修や建て替えが集中し、一時的に使えなくなる座席数は約6万5,000席にもおよんだ。東京厚生年金会館など、民主党政権による事業仕分けの影響で閉鎖された施設が多かったところに、老朽化や耐震構造の不足などを理由に改修や建て替えが集中。公演の需要は高まっているのに会場の数が急減するという、不合理な状況に陥ったのである。
【写真】バレエもオペラも行き場なし…文化行政の調整不在で“止まる”ホール を見る
そうなった最大の原因は、各施設の運営計画がバラバラだったことにある。各施設が個別の事情で閉鎖されたり、改修されたりするばかりで、芸術団体全体のニーズに目が向けられていなかった。どこにどんなホールがあり、それぞれにどんな機能や特徴があって、総合的にどう運用すればいいか、という全体を俯瞰する長期的な視点が、せめて文化行政にあれば、状況は違ったのではないだろうか。それがないから、文化を育てるべきホールが、むしろ育つ芽を摘んでしまうことになる。
では、2016年問題を経験して、日本の文化行政はなにかを学び、その後の状況改善に活かしたのか。残念ながら、なにも学ばずに、いままた同じことを繰り返している。
たとえば伝統芸能の拠点である国立劇場(東京都千代田区)は、2023年10月末に閉場されたまま、建て替えの見通しが立っていない。文化庁は「2033年度の開場をめざす」といっているが、「2025年度中に再整備事業の入札が成立すれば」という条件つきだから、事実上、かけ声にすぎない。
老朽化を理由に国立劇場を建て替えると決まったのは2020年で、建設費が巨額になるため、民間の資金やノウハウを活用するPFI方式を採用することになった。しかし、建築資材の高騰や人手不足が重なり、2022年と2023年に行われた入札は成立しなかった。にもかかわらず、劇場は予定通りに閉鎖されたので、同劇場が主催する文楽などの公演は、都内の劇場を転々として行われており、伝統芸能の危機につながっている。
劇場の閉鎖が長期におよぶ場合、欧米では代替の劇場を用意するケースが多い。「国立」と名のつく劇場がそれをせず、文化の継承を困難にしている状況は、日本の文化度の低さを物語っているようで、残念なことこのうえない。
今後、深刻な影響が懸念されているのは、本格的なバレエやオペラの公演を行える、上野駅前の東京文化会館(東京都台東区)の長期休館である。1961年の開館から60年以上が経過し、施設全体が経年劣化したため、2026年5月7日から2028年度中(予定)まで休館して、大規模な改修工事を行うという。
東京文化会館の大ホールは客席数が2,303。一般に6割を超えれば悪くないといわれる稼働率が、この大ホールは94%で、ほぼ毎日、バレエやオペラの公演、クラシック音楽のコンサートなどが行われている。舞台やバックヤードが広く、バレエやオペラを上演しやすいうえに音響がよく、しかも低料金で借りられるので、主催者にも観客にも人気が高い。
この大ホールでは、2025年10月にもウィーン国立歌劇場の日本公演が行われたが、欧米の芸術であるバレエやオペラは、欧米の芸術団体を招聘しての公演が提供されることも多い。その場合、莫大な経費を要するため、入場料を抑えるためにも2,000席以上はほしいとされる。一方、広すぎても鑑賞に支障が生じる。その点で、東京文化会館大ホールほど相応しいホールはほかにない。
じつは首都圏には、こうした舞台と舞台機構が備わっているホールや劇場が決定的に不足している。だから、東京文化会館の休館が痛手なのだが、改修時期もまた問題である。同規模で、やはり舞台や舞台機構を備えていた神奈川県民ホール(横浜市中区)は、すでに2025年3月末で休館し、建て替えの方針は打ち出されているが、時期や規模等は決まっていない。Bunkamura オーチャードホールは、東急百貨店本店跡地の再開発に合わせて、少なくとも2027年度までは日曜と祝日中心の営業になっている。
ほかにバレエやオペラを上演できる劇場としては、横須賀芸術劇場は2024年7月から2026年8月まで休館中で、ティアラこうとう(東京都江東区)も、2025年11月から2027年9月まで休館になる。
東京文化会館は都立のホールで、東京都生活文化スポーツ局が所管し、指定管理制度のもとづき、東京都歴史文化財団が管理および運営している。つまり、東京都の文化行政によって管理されている。前述したように文化行政は、どこにどんなホールがあり、それらを全体としてどう管理し、運営していくべきか、ということを考える主体であるべきだ。
そうであるなら、バレエやオペラを行える劇場が都内、または首都圏にどう分布しているかを把握し、それらの改修計画等を調査し、ホールや劇場の休館時期が重ならないように調整する必要があったのではないか。バレエやオペラなどの舞台芸術における東京文化会館の、代替が利かないほどの大きな役割を認識していれば、当然、調整したであろうし、あるいは欧米のように代替の劇場を用意しただろう。
ところが、そうしたことをまったく行わずに一方的に長期休館を決めたのは、公演する場所を失うバレエやオペラなどの舞台芸術にあたえる影響を考えると、暴挙という言葉が浮かぶ。しかも、休館時期が2026年5月からに決まった事情には呆れざるをえない。同様に東京都生活文化スポーツ局が所管し、指定管理制度のもとづき、東京都歴史文化財団が管理、運営している江戸東京博物館の大規模改修工事が2026年春に終わるからだというのだ。
それは単に組織内部の事情で、東京文化会館がどのような文化シーンにおいてどのような役割を果たしているか、という考察のあとはない。結果として、文化を育てるべき文化行政が、結果として文化が育つ芽を摘んでしまい、危機にさえ追い込んでいる。
筆者は学生時代、小林秀雄の『私の人生観』を読み、日本人の文化に対する底の浅い姿勢の本質を鋭く指摘していると得心した経験がある。このホール問題を考えるにあたって、黄ばんだ角川文庫を引き出して久しぶりに読み、ホール問題の本質をも表しているとあらためて思った。その箇所を少し引用したい。
「文化という言葉は、本来、民を教化するのに武力を用いないという意味の言葉なのだが、それをcultureの訳語に当てはめてしまったから、文化と言われても、私たちには何の語感もない。語感というもののない言葉が、でたらめに使われるのも無理はありませぬ。cultureという言葉は、ごく普通の意味で栽培するという言葉です。西洋人には、その語感は十分に感得されているはずですから、cultureの意味が、いろいろ多岐に分かれ、複雑になっても根本の意味合いはおそらく誤られてはおりますまい。果樹を栽培して、いい実を結ばせる。それがcultureだ、つまり果樹の素質など個性なりを育てて、これを発揮させることが、cultivateである。自然を材料とする個性を無視した加工はtechniqueであって、cultureではない」
「2016年問題」からなにも学ばず、文化の揺籃の地であり、文化を耕して育てる大事な場所であるホールを、文化の側の事情を一切考慮せずに閉めてしまう行政。公演を開催する側が、種を蒔き、水をやり、cultivateしながらていねいに育ててきた文化を、一方的に追い出してしまう。3年ものあいだ、水や肥料をやることもcultivateすることもできなければ、文化は危機的状況に陥る。ぜひ、もう一度考えてほしいが、cultureとtechniqueの区別がつかない文化行政には、なにをいっても届かないのだろうか。
香原斗志(かはら・とし)音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。
デイリー新潮編集部

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