2025年9月25日、奇怪な死体遺棄事件が報道された。茨城県牛久市に住む75歳の女性が娘の死体を約20年間、自宅の冷凍庫に保管し続けていたのだ。
成人していた娘は、正座した状態で冷凍庫に押し込まれていたという。母親がなぜ長年に渡って我が子の死体を保管していたのか。現時点でその動機は明らかになっていない。
実は、似た事件は過去にも起こっている。
1973年5月には、池袋のクラブで働いていた女性が密かに赤ん坊の死体を育てていたことが明るみになり、世間に大きな衝撃を与えた。母親は岸田恵(仮名)という23歳の女性歌手で、発覚当時は東京から離れていたという。
前編記事〈死産した赤ん坊を1年7ヵ月育てつづけた23歳女性歌手…我が子を葬れなかった「母親の哀情」〉より続く。
東京都豊島区池袋の繁華街にあるクラブ「エス(仮称)」を無断欠勤した岸田は、故郷の宮城県に戻り友人宅を訪れていた。それまで肌身離さずに赤ん坊の死体と一緒に行動していた岸田だったが、この時はなぜか店の冷凍庫に赤ん坊を置き去りにしている。
実は、岸田はこれまで何度も赤ん坊をきちんとした形で埋葬してあげたいと考えていた。
だが、病院から無理矢理引き取ったため埋葬の方法がよくわからず、さらに「できれば手厚く葬ってあげたい」という母親としての想いもあった。
その結果、身動きが取れず何もできずにいたのである。
もしかしたら、岸田は死んだ赤ん坊の世話に疲れてしまったのか。それとも一度、東京を離れたことで自分の子どもが死体であると改めて気がついたのか。
その感情は不明だが、死んだ子どもへ注いだ彼女の愛情は本物であったと信じたい。
ミイラ化した家族と生活を続けた女性は岸田だけではない。中には、夫のミイラと一緒に車で2000キロもの長旅に出かけた奇妙な夫婦もいた。
昭和の末期、東京都杉並区で内装業を営む夫婦がいた。2人は仲睦まじく暮らしていたが、1986年(昭和61年)11月頃に突然不幸が訪れる。
夫である加藤一郎(44歳、仮名)が脳内出血で倒れ入院してしまったのだ。意識不明となった一郎は都内の病院で懸命な治療を受けていたが、一向に回復する兆しはなく、ただ死を待つだけの日々が続いていた。
そんなある日、妻の加藤美子(33歳、仮名)は次第に弱っていく夫を死なせたくないあまり「もうここの病院は信用できません。私の方法で夫を治したい」と強引に退院を決めてしまった。当然、美子は医師免許など持っていない。
病院関係者は「退院は危険だ」と止めるも、美子は夫を無理やり病院から連れ出し、自宅で夫の看病を行うことにした。だが、当然というべきか、医師たちの忠告通り、夫は肺炎を併発し約1週間後に死亡してしまう。
愛する夫の亡骸を病院に渡したくなかった美子は「自分たちが納得する場所に夫を埋葬したい」と考えを切り替え、同じく内装業を営む友人の鈴木章介(仮名)に相談。そして2人で一緒に「夫を埋葬してくれる寺」を探す旅に出た。
彼らは一郎の死体を花や木の葉がちりばめられた棺桶に入れ、鈴木の運転するワゴン車で東京から京都に向けて車を走らせた。
ただ、一筋縄ではいかなかった。道中、立ち寄った寺という寺に「夫の死体を預かって欲しい」「そちらの墓に埋めて欲しい」と頼み込むが、自宅で死亡した夫には医師による死亡診断書や埋葬許可証がない。断られ続ける日々が続いたという。
その後、彼らの旅は京都から奈良、島根、熊本へと距離を伸ばし、再び京都へと戻った。気づけば夫の埋葬先を探す旅は3週間、走行距離は2000キロにまで達していた。
幸いにも病院を無理矢理退院した結果なのか、栄養失調でカラカラに乾いた一郎の死体はミイラ化しており、道中で腐ることはなかった。
だが、3週間にも及ぶ死体との旅は鈴木にとって相当のストレスになっていたはずだ。また、彼は東京に仕事も残していた。ついに我慢の限界を迎えた鈴木は、美子に「これ以上の寺探しは無理だ」と申し出た。
すると、しばらくして美子は、夫の死体と鈴木を残して、その場から消えてしまったという。
この事件が発覚したのはその後すぐだった。
残された鈴木がミイラ死体を載せたワゴン車で東京に戻り、警察に届け出たことで「ミイラとの逃避行」事件が判明。死亡届を出さなかった美子は軽犯罪法および戸籍法違反で逮捕状が出た。
しかし、その後美子が捕まったかどうかは不明である。
以上、「死体と暮らした女性」にまつわる2つの事件を紹介した。
これらの事件は、愛する人との別れを惜しむあまり、その亡骸に寄り添い続けた女性たちの記録でもある。
自らの手で家族の死体を埋葬することは日本の法律で禁止されており、違反すると死体遺棄罪などの罪に問われる。「愛の形が自由であるならば埋葬の方法も自由であるべき」という声も当然あるだろうが、日本では法に則った死後の処置を実施することで規律を保っている。
事件を起こしてしまった女性たちも、誰かに積極的に迷惑をかけたいと思っていたわけではないだろう。愛する人を突然失った寄る辺なさをどうにかして埋めたかった。ただそれだけだったのではないだろうか。
そうした意味で、これら2つの事件はある種の「家族愛の形」を現代の我々に伝えているのかもしれない。
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【さらに読む】〈親友の目の前で生きたまま右足を潰され、胴体も切断…21歳宝塚女優が味わった「13秒間の地獄」〉もあわせてお読みください。
【参考文献】
・朝日新聞
・読売新聞
・女性セブン
・女性自身
・週刊明星
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