【吉原 康和】極めて異常な事態…三笠宮家の「母娘の確執」で「新たな宮家」が創設、そこに隠された「意外なリスク」

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これまで長く「家庭内の確執」が報じられてきた三笠宮家(「家祖」は、昭和天皇の弟である三笠宮崇仁親王)。
昨年11月に101歳で死去された三笠宮妃百合子さま(崇仁親王妃)の後継当主を巡る跡目相続は、百合子さまの孫の彬子さま(43)が三笠宮家の当主に就任したことで決着を見た。
これに合わせて、彬子さまの母親で寛仁親王(故人)妃の信子さま(70)が三笠宮家を離れて、新たに「三笠宮家寛仁親王妃家」が創設された。いわば、母(信子さま)が家から独立し、娘(彬子さま)とは別の宮家に属するような形になったのだ。
このことが大きく波紋を広げている。
物価高で国民生活が厳しい中、当主に支払われる皇族費の支給額が倍増する「宮家」の新設は必要なのか。
「独立」の背景には、長年にわたる母娘間の断絶があるが、本稿では、その経緯を概観する。
さらに、結婚で皇室入りした信子さまが新たに当主となった「宮家」は、国会で現在皇位の安定継承に向けて議論されている「女性宮家」とは全く異質の存在であることにも注意が必要だ。決して混同してはならない「女性宮家」との違いを解説する。
「三笠宮家の後継当主には、百合子さまの孫に当たる彬子さまの継承が早くから予想されていました。いかに長年にわたる母娘関係の断絶があったとはいえ、信子さまの独立『宮家』の創設は極めて異常な事態だ」
9月30日、宮内庁で開かれた「皇室経済会議」の結論について、三笠宮家の内情にも詳しい皇室研究家は、こう語る。
首相や衆参両院議長ら8人で構成する「皇室経済会議」の結論のポイントは、昨年の11月以来当主不在だった三笠宮家を彬子さまが継承することと、信子さまが三笠宮家から独立して創設された「三笠宮寛仁親王妃家」の当主となることで、それぞれ独立した生計を営むとする議案が承認された。
皇室経済法に基づき、支給される皇族費は、彬子さまは現在の640万5000円から1067万5000円に、信子さまは1525万円から3050万円にそれぞれ増額される。
未婚の皇族女子が宮家当主になるのは、幕末に「世襲親王家」の一つだった桂宮家の当主となった仁孝天皇の三女の淑子内親王以来で、女王では前例がない。また、結婚で民間から皇室入りした皇族妃が新たに宮家を創設した例は1889(明治22)年の旧皇室典範制定後で、今回の信子さまの例が初めてだ。
彬子さまが三笠宮家の当主となり、信子さまが「三笠宮寛仁親王妃家」を創設したことについて、宮内庁は「ご家族宮家の中で話し合われた結果」と説明するのみで、詳しい経緯は明らかにされていない。「背景には、もはや、修復不可能といえる母娘間の断絶がある」と宮内庁関係者は断言する。
事の発端は、信子さまが病気療養を理由に、寛仁親王家を出た20年以上前に遡る。
信子さまの「別居」は、寛仁さまのアルコール依存症の治療方針をめぐる対立や、夫による家庭内暴力などによる夫婦仲の悪化が原因とされてきたが、この対立は夫婦間にとどまらなかった。信子さまは2009年にストレス性ぜんそく治療で入院されたが、退院後も宮邸には戻らず、家族と離れて宮内庁分庁舎(東京都千代田区)で暮らしていた。
2012年に、寛仁さまが亡くなった後、寛仁さまの葬儀の喪主を務めたのは妻の信子さまではなく、彬子さまで、信子さまの葬儀参列もかなわなかった。寛仁親王家の後継当主の座を巡る家族間の話し合いもまとまらず、1年後、誰も跡を継がず、3方は三笠宮家に合流した。信子さまが後継当主になることに彬子さまと妹の瑤子さま(41)の娘2人が反対したためとされ、こうした冷え切った関係は、信子さまが2013年に公務に復帰した以降も変わらなかった。
昨年11月15日に亡くなられた百合子さまの葬儀の喪主を務めたのも彬子さまで、信子さまの兄で自民党副総裁の麻生太郎氏がお通夜に参列したが、信子さまの葬儀参列はなかった。
百合子さまの逝去後、後継当主については、1年をめどに家族間で話し合うこととし、宮内庁幹部が間に入ってまとめたのが皇室経済会議に諮られた前述の結論(彬子さまが後継当主となり、信子さまが独立する)だった。彬子さまの妹の瑤子さまは三笠宮家に残り、活動を継続することで落ち着いた。
「まともに議論をすれば、批判が噴出するほどの“異例”尽くしだ。娘が母親を飛び越して宮家当主に就任するのも異例だが、皇族との結婚で民間から皇室入りした母親が新たな『宮家』当主となるのも異常で特殊なケースだ」
前出の皇室研究家は、こう指摘した上で、「国会で現在議論されている『女性宮家』とは性格が全く異なる存在で、きちんと分けて考える必要がある」と強調する。
そもそも、信子さまが創設したという「宮家」は、既存の宮家とは大きく異なる。また、国会の与野党協議で議論されている「女性宮家」とも”似て非なる”ものだ。
宮家は、天皇から独立して一家をなす皇族に対する呼称で、男性皇族が成人や結婚などを機に天皇から宮号を与えられて宮家を創設してきたが、戦後は、法律に基づく制度としては運用されてこなかった。
皇位と同じく、男系男子の子孫が当主として宮家をつないできた。天皇家に男系男子がいない場合には、宮家から皇位継承者を出す役割が期待されていた。跡を継ぐ男性皇族(親王)がいなければ断絶となるが、戦後、男性皇族の妻である女性皇族が夫の死後に当主となって宮家をつなぐケースが続いた。
現在、宮家は、三笠宮家、高円宮家のほか、常陸宮家と秋篠宮家の計4家があるが、「三笠宮寛仁親王妃家」の創設で、宮家は4つから5つとなった。
しかし、秋篠宮家以外は男性皇族がいないため、構成員の女性皇族の死去、または結婚による皇籍離脱で絶家となる。現行の制度ままでは、彬子さまが三笠宮家の当主になったように、未婚の内親王や女王が独立の生計を営む宮家当主になることは可能であるが、それだけでは宮家が一時的に延命するに過ぎない。
また、皇位の安定継承に向けた皇族数の確保に関する与野党協議が国会を舞台に検討されているが、その柱は(1)未婚の皇族女子が結婚後も皇族身分を保持する案と(2)旧宮家の男系男子を養子に迎えるーーのに2案だ。皇族女子の結婚相手の夫や子に皇族身分を付与すれば、皇族女子を当主とする事実上の「女性宮家」の誕生となり、皇位の安定継承に寄与する制度改革となる。
これに対し、信子さまの兄で、皇位継承に関する自民党の責任者である麻生太郎氏が率いる保守派などは、母方から天皇の血筋を引く「女系天皇」につながる恐れがあるとして反対しているが、「女性宮家」の創設を掲げる立憲民主党の野田佳彦代表らは「皇族とする子に皇位継承権を与えなければ、直ちに女系天皇にはつながらない」などと主張している。皇族数も皇族女子だけでなく、夫や生まれてくる子どもの数だけ増加するため、公務を担う皇族数の確保にも寄与するのも明らかだ。
しかし、「三笠宮寛仁親王妃家」は、信子さまお一人の一代限りの宮家であり、これまで男性皇族が創設してたきた宮家の歴史とも異なる。他の宮家と比べて、独立する目的や意味合いも希薄であることに加え、皇位の安定継承や皇族数対策にも全く無関係だ。その点でいえば、彬子さまが当主となる三笠宮家も、事情は大きく変わらない。
だが、国会で議論されている(2)案の旧宮家の男系男子の養子を迎える案が了承され、皇室典範が改正されれば、状況は一変する可能性がある。「三笠宮寛仁親王妃家」が、こうした養子の受け皿に利用されかねないという懸念だ。
皇室経済会議の結論が発表されて以降、ネットニュースのコメント欄などには「物価高で貧困が増えてるのに皇族に支払われる額は倍増。国も国民の生活の事を少しは考えてほしい」、「継がれる当主が決まったのはいいが、新しい宮家が必要なのか…」などという批判的な声も寄せられているという。
こうしてみてくると、三笠宮家の跡目争いが生み出した副産物ともいえる「宮家」創設の弊害は、決して少なくないように思える。「悪しき先例」にならないことを祈りたい。
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