日本全国から「町そば屋」が激減している。ミシュランガイド15年連続掲載の実績を持つ、両国「ほそ川」でさえも人手不足に直面し夜営業を休止しているという。そんな中、28歳のNさんは大阪から上京し「ほそ川」で修行することを決意した。しかし、後継者不足に悩む「そば業界」が直面する現実は想像以上に厳しいものだった。
【前編を読む】『「美味しいそば屋」が絶滅しかけている…日本食ブームの裏で起きていた「個人店の悲劇」』
Nさんの一日は早い。「ほそ川」の開店は11時半だが、店主・細川さんの仕込みが早朝から始まるため、朝7時にはお店に到着していなければならない。終業時間は早ければ5時半、遅ければ6時半になる。休憩を挟むとは言え、長時間に及ぶ修業と労働に耐えられる人間は、そうそういないかもしれない。
これは、「ほそ川」がとかNさんがといった固有名詞の問題ではなく、美味いそばを作るためにゼロから修業する”という構造を考えたとき、現実問題として「根性」といったたぐいの精神論なくして、もはや成り立たなくなっているのではないかと思えた。せめて寿司のように「海外ドリーム」「一発逆転」があればまだしも、現状、そばはそれが難しい。話をしていく中で、「そばの美味しさに感銘を受けて、ほそ川で働くことを決意した」というNさんの気概に、私は少なからず敬意を抱くようになっていた。
「大阪の専門学校時代にそばの実習はなかったので、ゼロからのスタートです。形になるには、自分の中では3年……5年くらいはかかると思っています。「ほそ川」の自家製粉のそばは、ものすごく手間がかかっているんですね。だからこそ美味しいんですけど、実際に自分が作る側になってみると、こんなに手間がかかるもんなんやなって痛感します」
まかない分のそばは、Nさん自らそばを打ち、切る。修業を始めて数週間の人間がやれることではないが、「なるべく今の時代に沿うように修業内容も変えていかないといけない」と細川さんが語ったように、少しでも早く手に職が付くように、店側も考えている。
「しんどさのほうが圧倒的ですけど、少しずつ分かってくると楽しさもあります。一つひとつの作業が本当に細かいので、おやじさんの職人気質というか、感覚っていうのは本当にすごいなと思います。本当にそれはすごいなって」
私が「ほそ川」を取材したとき、細川さんは「俺一人だから、作れる料理に限界がある」とこぼしていた。隣でサポートできる人材がいたら、作りたいものがもっと作れるのだと。
「よく来てくれていた高齢のお母さんがいたんだよ。そのお母さんが、俺のところのそばがきが大好きだったんだけど、作る余力がなくなっちゃってそばがきはやめたんだ。『もう作っていないんだ』と伝えたときの顔がねぇ……申し訳なかったし、さびしいよね」(細川さん)
そのことを伝えると、Nさんは「お店にとってプラスになれたらという気持ちはあります。せっかく学んでいるのだから、いろんなことに触れたいじゃないですか」と頼もしく答えた。
「最初の1、2週間はだいぶしんどかったですけど、最近は美味しいものを提供したい……その愛情の裏返しなのかなって思っています。まぁ、毎日やめたいと思う瞬間はありますけど」
いたづらっぽく笑ったNさんに、「ほそ川で会えることを楽しみにしています。そのときにあらためてご挨拶させてください」と私は伝え、電話を切った。数分後、スマホに、「ありがとうございました。勉強させていただきました」という丁寧なメッセージが届いた。学んだのはこちらだ。Nさんの真摯な姿勢があれば、そう遠くないうちに「ほそ川」のそばがきは復活するだろう。取材ではあったが、気持ちの良い若い料理人に触れることができ、私はなんだか得をした気分だった。
Nさんに電話取材をする少し前――。できるだけそば屋の実情を知りたいと思った私は、下板橋にある「ひるあんどん」にも取材をしていた。人気グルメ情報誌『dancyu』にも掲載されたことがある、こちらもそばの名店である。「ひるあんどん」は、店主である高木知洋さんが一人で厨房を回すことができているため、「ほそ川」のような問題は抱えていないという。
「うちのお店が困っているのは、飲食店全体に言えることですけど、ホールの人手がいないということですね。ここ1年ぐらいは、平日の夜は大体僕一人で営業しています」(高木さん、以下同)
その言葉を裏付けるように、表の看板には「1人営業なのでお時間が大変かかります」の注意書きが貼り出されている。
「一人営業のときは、4組が限界です。会計も洗い物もすべて自分一人でやるので、料理を提供できなくなる。そのため、4組入店したら、一旦お店は閉めるようにしています。予約の電話も取れないですから、売り上げに直結しますよね」
本当はお客さんに楽しんでもらうために、そばの説明などもしたいという。しかし、そんな余裕はなく、忙しなく動き続けているため、「初めて訪れた人からは、気難しい店主と思われているかもしれない」と苦笑する。
私は、高木さんにも、「そばは夢がないと言われています。若い人はそばを選ばない……そう思いますか?」と尋ねてみた。プロ野球選手に、「野球人気がないのに、なぜ野球部はあると思いますか?」と聞くようなものだから、内心、申し訳なかった。
「お寿司屋さんはカウンターに立って振る舞うから目立つじゃないですか。でも、そば屋は裏でコツコツやりますからね。そば屋って地味ですもんね(笑)」
現在、高木さんのそば屋としてのキャリアは17年目を迎えるという。
「28歳のときに、和食屋で働き始めました。5年半ほど働いた後、そば屋で修業するように。和食屋時代は、親方から毎日のように怒鳴られ、夜になると飲みに連れて行かれて、そこでも説教です(笑)。でも、そば屋で修行し始めたとき、店主から『他の人よりも仕事が丁寧だ』と評価されまして。そのおかげで、いろいろ仕事を回してもらえるようになったんですよね。和食屋時代に厳しく教えられたのは、無駄じゃなかったんだなって思いました」
そばの道に行きたいと、和食屋の親方に相談すると、「馬鹿野郎! いま辞めたら、せっかく頑張った5年間の下積みがもったいないじゃないか」と言われたという。褒めているのか貶しているのか分からない。今ならハラスメント認定、間違いなし。だが、口の悪さを含めたこの気質が、かつては職人という存在を象っていた一要因だったことは間違いない。
「そんなことを言いながらも、結局、親方はそば屋さんを紹介してくれたんですけどね。頑張れよって」
昭和は遠くになりにけり、なのだろうか。差し出されたそば茶の香気すら、なんだか懐かしく思えた。
「和食って幅広い。自分としてはもうちょっと職人っぽい、寿司なら寿司、天ぷらなら天ぷらというほうが向いていると思った。僕は、そばが好きだったので、そばを選んだ」
まったく同じ言葉をNさんが話していたのは、偶然ではないのだろう。この道(そば)は頑張ったら裏切らない……はずなのだ。
高木さんは、ホールの人手不足という問題に悩まされながらも、自らが納得できるそばを提供できていると語っていた。Nさんもこうした未来があるのだと思いたい。最後に、高木さんはこう付言した。
「ただ、若い人でそば屋を目指そうって人が少ないのは分かります。時間がかかりそうというイメージがあると思うんです。実際、時間がかかるものですからね」
「ひるあんどん」での取材を終え、私は多方面に実情を聞きに行かなければいけないと考えていた。編集者と打ち合わせをするために外出の準備をしていると、スマホに馴染みのない番号からメッセージが届いた。開くと、Nさんからだった。
「ほそ川を退職しました。報告だけさせていただきます」
驚いた。と同時に、報告だけ”という言葉に、Nさんらしい誠実さがにじみ出ていた。理由を聞くのは野暮に思えた。ただ、この実直な人柄は飲食に向いていると、私は伝えたかったのもしれない。「この後、飲食は続けるんですか?」という旨のメッセージを送っていた。
「飲食はするつもりですが、何も考えていないですね。ありがとうございます」
とだけ返ってきた。Nさんは、イメージしてしまったのだろうか。そばの道が長く、暗いかもしれないことを。
後日、細川さんに話を伺う機会があった。Nさんの名を出すと、表情が一瞬にして曇った。
「……がっかりしたよ。仕込みがひと段落して、朝ご飯を食べていると、突然、『今日で辞めます』って言われてね。びっくりしたよ。辞め方だってあるだろう。なんだか疲れちゃったよね」
そのあとは、何も言えなかった。旬のそばの話柄などをして取り繕ったが、頭の中では、
どうしてそばの修業は厳しく、若い人は続かないのか、そればかりがめぐっていた。
Nさんはやる気も胆力もあった。そう思いたい。しかし、事実として心が折れた。何がそばを難しくしているのか――。私はそれを知りたいがために、習志野調理師専門学校に取材依頼をすることにした。
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