ゾウは鼻が長いだけでなく、嗅覚受容体の種類も人やイヌより豊富で、たくさんの種類のにおいを嗅ぎ分けられます(写真:iARTS/PIXTA)
【図で見る】いちばん「鼻がきく」動物は?
茂みから飛び出して素早く獲物を捕らえるネコ、嗅覚の強さから麻薬探知犬として活躍するイヌ、大量の草を効率よく消化するウシ……等々、動物たちの身体機能は人と大きく違います。
さまざまな動物の体を比べてみると、かれらが周りの環境にあわせて独自の進化を遂げてきたことがわかり、その生態や身体機能、病気の秘密が見えてきます。
獣医病理医としてさまざまな動物の体や病気を調べている中村進一さんの著書『不思議でおもしろい動物たちの「からだの中」の話』から、一部抜粋してお届けします。
人は数万種類を超えるにおいを嗅ぎ分けられるといわれていますが、動物はそれ以上に嗅覚が優れているとよくいいますよね。
イヌは麻薬探知犬として空港で働いていたり、行方不明者や犯罪者のにおいを嗅ぎ分ける警察犬などとして活躍したりしています。何を尺度にするかによりますが、嗅覚は人の100倍~1億倍といわれることもあります。
嗅覚の強さには、嗅細胞の数、においの分子を受け取る嗅覚受容体の種類、それと嗅細胞がある鼻腔の粘膜の面積など、複数の要素が関わってきます。そのため単純な比較は難しいですが、いくつか指標はあります。
13種類の哺乳類の嗅覚受容体遺伝子の数を調べた研究によると、人の嗅覚受容体は400種類程度で、類人猿やそのほかのサルもおおむね同じくらいの数でした(以下の図。※外部配信先では閲覧できない場合があります。その際は東洋経済オンライン内でお読みください)。
イヌは800種類くらいで、受容体の種類だけでいうと人の2倍ということになります。
ネズミやウシはそれよりもさらに多くて1000種類、一番多かったのはアフリカゾウで、その数はなんと2000種類ということでした。ゾウは鼻が長いだけでなく、嗅覚受容体の種類も人やイヌより豊富で、たくさんの種類のにおいを嗅ぎ分けられるということですね。
また、嗅細胞が存在する鼻腔の粘膜の面積をくらべると、人は2.5~5平方センチメートル、ネコは20.8平方センチメートル、イヌは85平方センチメートルになります(図)。
イヌは人よりも頭が小さいのに、嗅細胞が存在する鼻腔の粘膜の面積は30倍以上も大きいということになります。
ただし実際には、イヌはパグやボストン・テリアのように鼻が短い犬種から、柴犬のような中間的な鼻の長さの犬種、ダックスフンドやシェパードのように鼻が長い犬種まで多様なので、面積の広さはかなり幅があります。
(図:『不思議でおもしろい動物たちの「からだの中」の話』より)
イヌで嗅細胞のある鼻腔の粘膜面積が広い秘密は、鼻腔の構造にあります。人もイヌも鼻腔では、左右の外壁から、鼻甲介という膜状の骨が内腔を仕切るように伸びています。
人の鼻甲介(上から上鼻甲介、中鼻甲介、下鼻甲介といいます)は比較的単純な形をしていますが、イヌの鼻甲介(背鼻甲介、腹鼻甲介、篩骨甲介といいます)はとても複雑で、鼻腔の中をぐるぐるとらせん状に伸びることで粘膜の表面積を増やしているのです。
鼻に特徴がある動物といえば、何といってもゾウですよね。ゾウは分類学的には長鼻目(ちょうびもく)というグループに属しており、ゾウの体の特徴をよく表した名称です。
ちなみに、絶滅したマンモスも同じグループです。
現生のゾウにはアジアゾウ属のアジアゾウ、アフリカゾウ属のアフリカゾウとマルミミゾウの3種類がいます。ゾウは一二を争う動物園の人気動物で、鼻を器用に使って餌を食べる様子は、ずっと見ていても飽きません。
ゾウの外鼻孔(がいびこう:鼻の穴)は2つあって、ここから空気を出し入れして呼吸をしていることは私たちと共通しています。
しかし、ゾウはそれ以外にも、鼻でものを触って確認したり、葉っぱや豆のような小さなものから丸太サイズの大きなものまで色々なものをつかんだり、餌や水を口に運んだり、鼻を高く上げてにおいを嗅いだりと、私たち人が手を使ってあらゆることをしているのと同じくらいに鼻が多様な役割を果たしています。
ときには鼻を使って敵を威嚇したり攻撃したり、ほかのゾウとコミュニケーションをとったりと、感情表現にも利用しています。ゾウにとってまさに鼻はなくてはならない存在です。
ゾウの鼻は何万本もの筋肉線維でできていて、骨もないため自由自在に動かすことが可能なのです。私たちの舌が発達した筋肉でできていて、色々な方向に動かすことができるのと同じような感覚でしょうか。
おまけに神経もたくさん分布していて触覚も発達しています。さらに前述したように嗅覚受容体の数も哺乳類の中では突出して多いことから、嗅覚も非常に発達しています。
ちなみに、鼻という名称を使っていますが、正確にはゾウの鼻は上唇(上くちびる)と一体になって伸びた構造です。
皆さんは定期的に健康診断を受けていますか? そのときに胸のレントゲン検査を受けますよね。
胸のレントゲン検査では胸にX線を照射することで、肺結核や肺炎、肺がんなど、主に肺の病気がないかを調べています。結核の診断にはほかに、痰を採取して結核菌を調べる喀痰検査も利用されています。
ゾウは人と同様に結核になることがあります。ところがゾウは巨大で胸壁もかなりぶ厚いため、とてもレントゲン検査はできませんし、痰を採取することも容易ではありません。
そこでゾウでは、鼻の中を洗った液体(鼻腔洗浄液といいます)を培養検査して結核菌がいないか調べることで、結核の診断がされています。
この検査を行うにはまず、数十ミリリットルの生理食塩水(体液と同じ濃度になるように調整した塩水)をゾウの外鼻孔から注入します。そして鼻を持ち上げて鼻の中を洗ったあと、鼻を下ろして生理食塩水を回収するというものです。鼻が長いゾウならではの方法ですよね。
ただし、最近では血液検査で抗体の有無を調べることも多いです。
前述のとおり、ゾウには結核菌が感染することが知られています。
結核は、人では結核菌が主に空気感染によって体内に入り込み、肺に病気を起こす慢性感染症です。かつては不治の病、亡国病、国民病などとも呼ばれ恐れられてきましたが、有効な薬や予防法の普及で激減しました。
しかし、日本は先進国の中でも結核の罹患率は高く、依然として重要な感染症であることには変わりありません。
結核菌にはヒト型結核菌、ウシ型結核菌、アフリカ型結核菌などいくつかの種類があって、種類によってどの動物に感染するかが、ある程度異なります。
人に感染するのは主にヒト型結核菌です。また、ウシ型結核菌はウシやシカに感染しますが、人に感染することもあります。
ヒト型結核菌は人以外にも類人猿やそのほかのサル類、イヌ、ウシなどへの感染が知られていますが、ヒト型結核菌のアジアゾウへの感染も、日本を含むアジアや欧米各国でよく知られています。
アジアゾウは結核菌に感染しやすいようで、人からゾウ、そしてゾウから人へも感染することがあります。ゾウからゾウへ感染するのかどうかはまだ分かっていません。
このように動物と人との間で感染する感染症のことを人獣共通感染症と呼んでいます。人獣共通感染症には、動物から人に感染する病気が多いのですが、ヒト型結核菌による結核は人から動物に感染する数少ない人獣共通感染症の1つです。
ゾウは結核に感染していてもはっきりとした症状が出ないことが多く、ゾウの結核予防、早期診断、治療方法の開発はとても重要で、世界中のゾウの研究者が研究しています。
感染して症状が出る頃には病状が進行していることもあるため、発症する前に診断をして治療することが大切です。
また、感染していても無症状の場合、知らないうちにまわりの人や動物に感染を引き起こしてしまう問題もあります。
(中村 進一 : 獣医師、獣医病理学専門家)