【殴られて右半身麻痺に…】広陵高校野球部、10年前にも起きていた暴力事案を告発 病室で監督が発した非情すぎる一言 問題が公に説明されにくい構造

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夏の甲子園、野球部員の暴力事案をめぐり出場を辞退した広陵高校。今回、被害生徒・A君の父親は「中井哲之監督や堀正和校長に謝罪会見の実施と再発防止策を求めたい」とメディアで初となる取材に答えた。関係者への取材を重ねると、背後にはさらに根深い問題が横たわる疑いが──。ノンフィクションライター・柳川悠二氏と本誌・週刊ポスト取材班が問題を追った。【前後編の後編。前編から読む】
【問題の報告書の写真】広陵高校「暴力事案」と「出場辞退」をめぐる経緯。広陵高校側がA君の両親に渡した報告書なども
「僕と同じ境遇の子が出てきたので、黙っておけないと考えました」──そう語るのは広陵元野球部員のB氏。2015年9月、当時1年生だったB氏は先輩部員から暴力を受け、右半身麻痺の診断を受けたと明かす。現在は治癒したものの、A君の事案を受けて改めて声をあげることを決めたという。
「上級生3人から部室で正座を強要され、手を後ろに組むと殴る・蹴るの暴行が始まった。3人は『顔はバレるからやめとけ』とボディを狙ってきたのですが、うち1人がスパイクの鉄金具で顔面の右側、こめかみの辺りを殴った。僕は気を失い、気づいたら病室にいた。右半身麻痺の診断で、手をグーパーできない、足は痺れて歩けない状態でした。車椅子での入院生活を送りました」
当初、B氏は暴力を受けたと家族に言い出せなかったという。コーチから連絡を受けた両親は翌朝、病院に到着。B氏の父親にも話を聞くと、病院に学校関係者が誰もおらず驚いたと語った。
「コーチに電話したところ、『今日は公式戦なので』という。『部員の入院より試合のほうが大切なんか』と怒鳴りました。事件後2日経ってようやく当時の部長と中井監督が病院に来ました」
被害者のB氏が問題とするのは、病室での中井監督の発言だ。
「両親が病室を出たタイミングで、中井監督は『お前、部室の扉で挟んでどんくさいのぉ』と言ったんです。否定しても、『扉で挟んだんやろ。嘘つくなよ』と。その言葉には驚いたのですが、当時の僕はまだ広陵で野球を続けたいと思っていて、途中から『はい、そうです』と従ってしまった」
その後、不審に思った高校野球経験者の兄に、「扉で挟むわけない。正直に言うてみ」と聞かれ、B氏は初めて暴力の件を打ち明けた。兄から話を聞いた両親が学校に再度、連絡を入れたという。B氏は約2か月の入院で退院したが、中井監督への退院報告時のことも覚えていると話す。
「監督に『どうせ嘘じゃったんじゃろ?』『両親が過保護や』とか言われて。僕はもう無理やと思って、母親に手紙を書きました。『そんなん言う奴を信じてついていくって無理や。野球なんかもういいわ』って……」
B氏の携帯には、その時の手紙だという画像が今も残されていた。
B氏の麻痺は年内に回復したが、翌年に野球部員から麻痺を揶揄する言葉をかけられ、殴り合いの喧嘩を起こしてしまう。この騒動で2016年3月に広陵が日本学生野球協会から1か月の対外試合を禁じられたと当時の報道で確認できる。そして、この騒ぎが発端となり再び部員から暴力を受けた。
B氏は2年生に進級する同年4月に転校。新しい高校で同年に公式戦に出場した記録がある。
日本高野連が定める「大会参加者資格規程」では、転入後1年は公式戦に出場できないが、例外規定として〈止むを得ず転入学したと認められるもので、本連盟の承認を得たものはこの限りではない〉とされている。冒頭のA君もそうだが、転校後すぐに公式戦に出られるのは、学校と高野連が暴力などの問題を認めているからだろう。
B氏の父親が振り返る。
「暴行を受けた息子の身体の跡を見た医師からは『被害届を出したほうがいい』と言われました。それで学校側と『警察に報告して表に出すか、暴力を認めての転校とするか』を話し合った。結果、転校後にすぐ試合に出られるかたちになった」
転校する被害生徒にとって、新しい環境ですぐに公式戦に出られることはプラスだろう。ただ、結果としてそうした対応を繰り返し、野球部の問題が放置されてきた面もあるのではないか。
B氏はこう呟いた。
「今回の子(A君)が転校先で僕のようにちゃんとした高校生活を送れることを祈るばかりです。中井監督がまだ指導を続けると、こういう生徒がまた増えると思います。ちゃんと問題を認めて謝罪会見を開き、潔く辞めてほしいと思います」
広陵に問うと、B氏への2015年の暴力問題については「存在しません」とし、「自主練習中の偶発的事故により頭部を打ち、車椅子生活であった時期がある」と回答。双方の主張は食い違うが、B氏の転校については、「時期が異なる2016年の暴力事件の被害を受けたことがきっかけ」であり、日本高野連からは処分を受けたと説明した。
中井監督は堀校長による出場辞退会見には姿を見せず、その後も広陵は監督が公に説明する場を設けていない。中井監督の携帯を何度も鳴らしたが、反応はない。
当然ながら、これは中井監督個人の問題ではないだろう。10日の会見では堀校長が、自身が務めてきた広島県高野連副会長を辞任することを発表。
暴力事案の発生に際して、学校側には都道府県の高野連への報告義務がある。堀氏が報告する側の学校長と、報告を受ける県高野連の副会長職を兼ねていた環境下で、A君の暴行事案は処理された。その構造も被害者側の不信を増幅させた。
県高野連幹部でもある立場で中井監督を続投させてきた堀校長はその責任をどう捉えるのか。広陵に問うと、「広島県高野連には多くの役員がおり、利害関係のある特定の役員の意向を反映することはできないものと考えております」とした。
A君の父が改めて語る。
「中井監督には自らの言葉での謝罪会見を開いてほしい。息子のような事件が二度と起こらないことを願っています」
このままでは、同様の問題が繰り返されることにならないだろうか。
(前編から読む)
※週刊ポスト2025年8月29日・9月5日号

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