〈父親が思わず「顔が変だぞ」、母親はショックで倒れ…“顔の左側が成長しない病気”のギャル・あやかさん(33)が明かす、幼少期の治療〉から続く
生まれつき顔の左側の骨が成長しない「左顔面骨形成不全症」のあやかさん。病気の影響で左目の視力はほとんどなく、左耳も聞こえにくい。金具で顔の骨を伸ばたり、顔に脂肪移植するなど、数十回手術を繰り返す中、ギャルに憧れていたあやかさんは、“おしゃれ眼帯”を自作することでギャルメイクも楽しむ術を編み出した。
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そんなあやかさんに、普段の生活から治療のこと、また、病気を持った人が社会で生きることについて、話を聞いた。(全2回の2回目/最初から読む)
あやかさん
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――今日している眼帯は手作りですか?
あやかさん(以降、あやか) そうです。もう何百枚と作ってるかな。
――レースやビジューが付いてたり、おしゃれですよね。紐がない眼帯ですけど、どうやってつけているんですか?
あやか 私も最初は紐付きの普通の眼帯をしていたんですけど、邪魔だし、せっかく化粧しても紐で隠れちゃうのが嫌で、四角いガーゼをテープで貼ればよくない?と気がついて、それからはテープで貼ってます。
――前回、ギャルに憧れていたというお話がありました。化粧というのは、ギャルメイクのこと?
あやか ですです。私が思春期の時はギャルがすごい流行ってたんですけど、『egg』や『Ranzuki』、『小悪魔ageha』とかを田舎町で読み漁っていました。でも、ギャルメイクするにも、顔の病気で左側をメイクするのは限界があったんですね。
たまたまそのタイミングで手術することがあって、左目にガーゼを貼ってもらったことがあって。で、その時、「あ、このまま片目だけ眼帯をしてれば、左右のバランスも気にせず思いっきりギャルメイクできるかも」って閃いたのが、眼帯をはじめたきっかけなんです。
――あ、では医学的にというより、「左顔面骨形成不全症」のままメイクを楽しむために眼帯をするようになったということ?
あやか 正直、あんまり公では言いたくなかったんで、周りには「日焼けしちゃいけないから」とか「感染しちゃいけないから」とかって言ってたんですよ。でも、本当はメイクしたいからっていう気持ちが何より強かったです(笑)。
目が左右同じじゃないので、つけまつげが合わないとかカラコンを入れられないとか、そういうところで限界を感じていたんですけど、眼帯をしたことで全部それがクリアになったんで、一気にメイクが楽しくなりましたね。
――自分で眼帯を作るようになったのも、ファッション的な欲求から?
あやか 母親と話してて、「あんたファッション好きだし、そうやって眼帯毎日貼るんだったら、今のコーデと同じ感じの眼帯を作ったら?」って言われて、「私、それやる!」って。それで12年前くらいから作りはじめました。
ゆくゆくはブランドを立ち上げて、眼帯だけじゃなく、医療にかかわるグッズでファッション性の高いものをいっぱい作って発信していけたらなと思うんですけど、まだそこは試行錯誤中です。
――一方で、病気をすると、そんなつもりはないのに、自ら“病人”らしく振る舞ってしまうことってないですか。
あやか 別に病気してても治療に差し支えないなら厚化粧してもいいはずなんですけど、なんか病人っぽくしちゃうんですよね。それ以外でも、「病気だから無理。できない」で終わらせちゃったり。
私も就活の時、「こんな見た目の自分はダメだよね」みたいに思ったこともあります。
――就職活動で、見た目が影響した?
あやか ファッションが好きなのでアパレルを受けてたんですけど、まだ当時は多様性の時代とかではなかったので、言い方は悪いけど、見た目で毛嫌いされたんですよね。
――それは、アパレル店員として眼帯はそぐわない、ということ?
あやか 直球で言われるわけじゃなくて、「その眼帯、いつ外せますか?」みたいに聞かれて。一時的な病気ではないので外せないこと、病気を持ちながらも前向きにおしゃれを楽しむ意味で眼帯をしていることなんかも説明するんですけど、「眼帯いつ外せますか」って聞いてくる会社は大体、不採用でしたね。
見た目重視の商売だからわかる面もある一方で、「ん? なんで?」って納得できないこともありました。
――就職に苦労したことで、病気を呪うような気持ちになったことも?
あやか 障害のあるなしだけが採用基準ではないでしょうし、私自身とその会社がマッチしなかっただけってこともあると思うんですけど、どうしてもハンデがあるとそっちに逃げがちというか、「どうせ私は病気だから」「見た目がこんなだから」って思ってしまうのはありましたね。でもそれは言い訳でしかないんですけど。
あと、就活含め、田舎から名古屋に出てはじめて、「眼帯どうしたの?」「目、どうしたの?」って聞かれるようになったことで、そこからはっきりと、「私、人と違うんだ」って自覚させられました。
――人から見た目について尋ねられたり見られたりするのはストレスじゃないですか。
あやか ストレスはそんなに感じていないです。むしろ“あやか”という存在を知ってもらえるよう、親身になって質問してくださる方には包み隠さず素直に答えています。たまに冗談を言って和ませてくれる方もいて、そういう方からは自信や勇気をもらっています。
でも実際にはいろんな方がいて、中には聞いてきたのに適当な反応で終わる方もいて。きっとその場のノリや勢いもあるので仕方ないんですが、その場合はごめんなさいと思いつつ、答えを濁してしまうこともあります。
――年代や性別で反応に差はありますか。
あやか 子どもは素直でストレートに「おめめ、どうしたの?」「なんで目に何か貼っているの?」などど聞いてきます。子どもに対してうまく説明するのは難しいんですが、子どもは子どもなりに理解してくれるので、正直に話すようにしています。
あとどちらかと言えば、面と向かって聞いてくるのは男性や年配の女性の方が多いかなと思います。
――男性が苦手になるようなことはなかったですか。
あやか 本当に人によるので、男性だからダメ、みたいなことはないです。ただ、恋愛については、「私を隣に置きたくないよな」って、つい卑屈になってしまいますね。
たとえお付き合いしたとしても、頭のどこかで「本当に私でいいのかな?」って思っちゃうだろうなって。でも結局、それって病気を言い訳にして逃げているような気もするし……難しいです。
また戻りますけど、田舎では普通に受け入れられてきたので、大人になって広い社会に出て、社会の厳しさに直面したな、って思います。
――長く治療を続ける中で、日本の医療制度について感じることはありますか。
あやか 片目失明だと手帳はもらえないみたいで、単純に「なんで?」って思います。
私は生まれた頃から片目だけで生きてきた人間で、それが“普通”だと思っているので障害者手帳がなくても問題ないんですけど、突然、事故や病気で片目になった人からしたら、日常生活に支障しかないですよね。今、バリアフリーとかって言ってるんですけど、なんかちょっと違くない?とは思います。
補助金ももっと考えて欲しいなって思うことがよくあるので、必要な人に届くようにしなきゃいけない。「届くようにしてほしい」じゃなく、「しなきゃいけない」と思います。
――今後も手術はされるんですか。
あやか もともとは、「20歳には完治する」って先生から言われていたんですけど、そんなに甘くはなかったですね。それに、一回手術すると、骨をまたちょっと削らなきゃいけないとか、微調整が必要になって。たぶん、整形もそうですよね。永遠のループって言うじゃないですか。でも、手術は何回もできないので、だったら、おしゃれ眼帯の方でもっと頑張ろうかなって最近は思いはじめてます。
私はもともとおしゃれが好きだし、キラキラしたものが好きということもあって、「病気があっても、自分の好きなようにやろうよ」みたいな、そういう活動もやりたいんです。
――病気や障害によって、好きなように生きられない人が多いと感じる?
あやか さっきも言いましたけど、治療に差し支えないなら、めっちゃ化粧しておしゃれしてもいいわけで、病気だからって関係ないはずなんですよね。逆に、「私、健康だから」っていうのも、だから何?って感じというか。病気より先に、人としてどう生きるかだよねって思ってます。
私は背中に金属が入っているから物理的にでんぐり返しはできないけど、それ以外にもできることはたくさんあるし、それを自ら諦めるような生き方はしたくないなって。
――家族は、病気を理由にあやかさんのやりたいことを止めることはなかった?
あやか 一切、なかったです。他のきょうだいと同じように育ててくれたし、「病気だからこの子は隠さなきゃ」とか、そういうのも一切なくて。何なら術後、顔に金属の棒が刺さったまま一緒にスーパーも行ってました(笑)。
病気や障害のある人を隠したりがんじがらめにするんじゃなくて、その子がどうやったら楽しい人生を送れるのか、一緒に考えてくれるような環境も本当に大事だと思いますね。
写真=釜谷洋史/文藝春秋
(小泉 なつみ)