八潮の陥没事故を忘れるな…インフラ整備に30年で200兆円 「減税」で下水道は維持できるのか

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今年1月、埼玉県八潮市の県道の交差点で道路が陥没し、トラックが飲み込まれて運転手が死亡した事故は衝撃的だった。日々当たり前のように利用している道路が、いつ地獄の入口になるともかぎらない、と感じた人は少なくなかっただろう。実際、原因を考えるほど怖くなる。1983年に敷設された水道管が老朽化して破損し、土砂が流入して空洞ができたというのだが、そうだとすれば、見えない地下で同様の現象が起きている箇所が、ほかにいくらあってもおかしくない。
【写真を見る】東京で同じ事故は起きないのか…あなたの住んでいる区は大丈夫? 都内の下水道の平均経過年数
そうしたら7月27日の読売新聞朝刊に、不安を裏づける記事が掲載された。そこにはこう書かれていた。「全国の国道で2015~24年度の10年間に見つかった陥没・空洞は計1100件超に上り、その4割強が半年前の埼玉県八潮市の道路陥没事故のように埋設管などの破損による土砂の『吸い込み』で起きていたことが読売新聞のデータ分析でわかった」。
記事によれば1100件超のうち、「吸い込み」が原因なのが509件(44%)で、これは要するに、埋設管の腐食や接合部の劣化など老朽化に起因する。ほかの原因では、施工不良も259件(22%)と多かった。
ちなみに、読売新聞が分析したのは「国道」だから、八潮市で陥没した「県道」は含まれない。都道府県道や市町村道なども加えれば、陥没・空洞が見つかった箇所は、到底1100件超ではとどまらないはずだ。
全国の下水道管は総延長が約49万キロメートルといわれ、寿命の目安とされている50年を経過したものは、2023年時点で全体の8%に達する。これが2030年には16%にまで増える。また、八潮市で事故が起きた下水道は、埋設して40年余りしか経っていなかったことからも、50年を経過していないから安全とはいいきれない。
日本に住み、日本の道路を使い続ける以上、八潮市のような事故は二度と起きないでほしいと願うほかないが、はたして防ぐことはできるのだろうか。
八潮市の事故では、私たちの生活を支えるインフラストラクチャーは、恒久的なものではないということを、あらためて思い知らされた。したがって、維持管理や更新には費用がかかる。国土交通省が2018年11月末に開催した経済財政諮問会議の作業部会で試算したところでは、下水道の維持管理および更新費は、2019年から48年までの30年間で累計38兆円程度に達する見通しだという。
1年平均なら1兆円超だからなんとかなる、と思うかもしれない。しかし、いうまでもないが、インフラは下水道だけではない。同じ国交省の作業部会の試算によれば、下水道に河川やダム、砂防などを加えた同省所管の12分野の施設で、維持管理および更新費は2048年度までの30年間に、176兆5000億~194兆6000億円に上るとされている。しかも、ここには厚生労働省所管の上水道や、鉄道会社、高速道路会社の施設は含まれていない。これらを入れれば、費用はどこまで膨らむことか。
要するに、私たちが日々、当たり前に利用しているインフラを維持するのには、気が遠くなるような費用がかかるのだ。しかも、施工費用も人件費も高騰を続けているから、いま試算すれば、7年前の数字をはるかに上回る可能性が高い。それなのに、急激な人口減少によって、国も地方自治体も予算確保が困難になっている。いうなれば、インフラを現状維持するためにも、八潮市のような事故を防ぐためにも、莫大な費用が必要なのに、それを確保するのが困難な状況が生じているのである。
そんな状況を思うにつけ、先の参議院選挙を前にして、各政党が、とりわけ野党が例外なく、声高に減税を主張したことが恐ろしく感じられる。
ただでさえ日本の財政は、背筋が寒くなるほど深刻な状況にある。2023年の政府債務残高のGDP比は240%(政府債務残高がGDPの2.4倍)におよぶ。これはG7諸国のなかで云々という次元を大きく超え、比較可能な172カ国・地域のなかで圧倒的に悪い数字である。過去1世紀において、主要国で債務残高のGDP比が200%を超えた例は、ほかには第1次世界大戦後のフランス、第2次大戦期の日本、戦後のイギリスしかないという。
財政がここまで逼迫している状態で、今後、日本に張りめぐらされている膨大なインフラを維持していくのは、至難の業といえる。少なくとも、可能なかぎり財政の健全化を図ったうえで、国民に説明してさらなる負担を強いないかぎり、私たちは現在享受できている生活の利便性を享受し続けることができないだろう。しかも、がまんすれば平和に暮らせる、というものでもない。八潮市のような事故がいつどこで発生してもおかしくない状況が、放置されることになる。
今後、人口が急減し続ける以上、よほど景気が上向きでもしないかぎり税収増は望めない。その状況で、インフラの維持管理および更新費を、どう工面したらいいのか。ただでさえ頭を抱えざるをえない状況で、いま物価が高いからといって減税を主張するのは、あまりにも無責任ではないだろうか。
その財源は常識的に考えれば赤字国債、すなわち、さらなる借金以外にない。イソップ童話の『アリとキリギリス』にたとえれば、いまの家計をわずかながら楽にするために、みんなでキリギリスになろうとしているわけだが、それではいずれ訪れる「冬」を乗り越えることはできない。
実際、選挙戦における消費税の減税や廃止という主張は、世界から厳しい目で眺められていた。参院選が公示されると、30年物、40年物の超長期国債の価格が急落した。その後も消費税減税や廃止を主張する野党優勢が報じられるたびに、国債の価格は下落した。
これはすなわち、日本が選挙後に減税してさらに借金をかかえることになることへの、金融市場からの警戒感の現れだった。日本の財政規律が完全に失われたと判断されれば、海外の格付け会社は日本国債を格下げする。その結果、国債価格が下がれば、市場参加者は大損しかねない。それを懸念して日本国債が売られたのである。
国債価格が下落すれば、当然、円もさらに下落する。そうなれば円安に主因がある現在の物価高は、さらにひどいことになりかねない。赤字国債を発行して減税するとは、そういうリスクをともなうことである。むろん、すでに述べてきたように、インフラの維持管理も更新もままならなくなる。
できるはずがないことを、言ったもの勝ちで主張する政党が、どうしてこうも多くなったのか。日本という国の劣化を思わざるをえないが、これ以上財政が悪化すれば、私たちも子孫も、いま私たちが享受している利便性を到底享受できなくなることだけは間違いない。いま減税によって、食料品を安く買う代わりに、将来は道路の陥没に巻き込まれても構わないとするか、安全で便利な将来のために、いまは耐え忍ぶか――。そんな選択を迫られているといっても、言い過ぎではないはずである。
香原斗志(かはら・とし)音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。
デイリー新潮編集部

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