中学・高校時代の夏休みは部活動に全力を注いでいた、という人も多いだろう。かけがえのない青春の1ページではあるものの、ウン十年たった令和の今「あの部活の謎ルールはアウトでは?」と、われに返る瞬間もあるはず。そこで週刊女性では全国の30~70歳以下の男女500人を対象にアンケートを実施。昭和・平成の“部活動謎ルール”に思いを馳せてもらった。
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今回のアンケートでもっとも多くあがったのは「部活中に水を飲んではいけない」というルール。
「野球部に所属していたが、バテるからという理由で練習中に水を飲むのは厳禁。現代ではなんの根拠もない根性論だが、当時はそれが当たり前だったのが恐ろしい……」(埼玉県・57歳・男性)、「所属していたソフトボール部では練習中に水を飲むのはNG。夏の炎天下にボールを拾いに行くフリをして水道の蛇口にかぶりついたことがある」(高知県・70歳・女性)
このように練習中の水飲み禁止ルールは長い時を経ても、人々の記憶に刻まれているようだ。
“ヤンキー先生”の異名を持つ義家弘介さんは、昭和の部活動の特徴について次のように語る。
「学校部活動が始まった戦後は、特に体育系で軍国教育の名残が色濃く反映されました。戦時中の少年たちは規律と根性論をベースにした軍隊式の訓練を受けてきました。当然、訓練中に水を飲むなんてことは許されません。そんな世代が教師となり、部活の顧問になれば体罰ありの軍隊式指導が普通になってしまいますよね」(義家さん)
アンケートには「バドミントン部時代、ラケットの網の部分で頭を叩かれた。昔はなんとも思わなかったが、今ならアウト」(東京都・47歳・女性)や「剣道部のころ、顧問に『動きが遅い!』と怒鳴られ、木刀で打たれた尻が真っ青になったことを覚えている。手荒ではあるが、そのおかげで強くなれたので悪い印象は持っていないし、時には愛のムチは必要だと思う」(千葉県・49歳・男性)など、当時の当たり前を彷彿とさせるエピソードも寄せられた。
また、’80年代に社会問題になった「校内暴力」の影響も大きいという。
「いわゆる受験戦争で落ちこぼれてしまった生徒たちは、行き場のない憤りを校内や夜の街で発散するようになりました。そんな中、学校側は校則や体罰で生徒を必死に抑え込みました。実話をもとにした青春ドラマ『スクール☆ウォーズ』(TBS系)は不良少年たちが熱血教師と出会いラグビーを通じて更生していく姿が描かれました。事実、部活動に居場所を見いだした生徒はたくさんいました。でも、部活からも落ちこぼれてしまった生徒もたくさんいたんです」(義家さん)
そんな’80年代に学生時代を過ごした義家さん。中学に入学後、バレーボール部に入るも、程なくして退部したという。
「国士舘大学の空手部主将を務めたという体育教師が顧問だったので、練習はかなりキツかったですね。それよりも大学時代の武勇伝を自慢げに語るのが気にくわず『じゃあ、バレーじゃなく空手やってろよ!』とか反発して殴られてました。退部した後は勝手に“帰宅部”を創設して、不良街道をまっしぐら。まったく、ダメな生徒ですよね(笑)。それはそれとして、部活動顧問はレギュラーの差配はもちろん、内申書にも影響を及ぼせる立場にあります。それを力の源泉として、権力を振りかざす教師もたくさん見てきました」
平成に入ってから水を飲ませずに練習をするリスクや、体罰に対する問題意識も高まっていく。しかし平成も、いわゆる強豪校では厳しい指導がまかり通っていた。
「2010年代は“部活動のあり方”の根本的転換期でした。私が文部科学省の大臣政務官に就任した’12年、桜宮高校のバスケットボール部のキャプテンが顧問から受けた暴行や叱責を苦に自殺してしまった事件がありました。
このような悲劇を二度と繰り返してはならない、そう考えた私は、全国実態調査を指示しました。平成の後期でも無意味な正座を長時間させるケースや、1人が失敗したら連帯責任で全員がグラウンドを10周走る、なんて指導が多く残っていたんです」(義家さん)
その後、文部科学省は「運動部活動での指導のガイドライン」を作成。教育現場での周知に務め、今日に至っている。
ちなみに、義家さんが母校の北星学園余市高校で教壇に立っていた際には放送局、サッカー部、横ノリ部(サーフィン・スケートボード・スノーボード)の顧問を務めていたという。
「北星余市には個性的な生徒が多く通っています。当時はかつての自分のようなヤンチャな生徒やアクの強い生徒が多く、顧問としては公式戦以外の対外交流は極力避けたいと思っていたんですが、力を持て余している彼らの強い熱意にほだされて……しかし、案の定、乱闘騒ぎになってしまって、生徒と一緒に土下座して謝ったこともありました。私にとっての部活動顧問経験には、苦い思い出のほうが圧倒的に多いですね(苦笑)」(義家さん)
と、苦笑する義家さん。近年は教員不足の影響で部活動が廃止になる例もあり、活動の“維持”が難しくなっているという。教員の負担にならず、子どもたちが心から部活動を楽しめる仕組みづくりが必要なのかもしれない。
「部活動の謎ルール、いろいろありましたよ! 中学のときは野球部だったんですが、キャッチボールで投げる際には『ホーホイー』って言う慣習があったんです。『ホーホイー』って、いったいなんだったんだろうと」
そう学生時代を振り返るのは、ものまね芸人のホリさん。現在48歳の彼の学生生活もまた、体罰が横行していた。
「顧問の先生も怖かったけど、先輩との上下関係もかなり厳しかったですね。1、2年生はよっぽど野球がうまくなければ試合に出してもらえないので、下級生はずっと球拾い。自分たちが3年になるまで部室すら使わせてもらえませんでした。
当時、野球部の先輩は番長でもあったので他校とのケンカに部のバットをすべて持っていっちゃったんです。そのときにバットが押収されてしまい、そのまま先輩は引退。自分たちの代は“バットなし”でスタートしましたね」(ホリさん)
まるでヤンキードラマの世界観だ。実際に集まった声でも「先輩の機嫌が悪いとケツバットをされた」(山口県・64歳・男性)、「野球部時代、真夏に炎天下に長時間定位置で守備をしていると、時間の経過とともに自分の場所が日陰に。心の中で『ラッキー』と思っていると、先輩から『日陰に入ってんじゃねえ!』と怒号が飛んできた」(岡山県・53歳・男性)、「吹奏楽部で、先輩にとって気に食わないことが起きると全員に集合がかかる。1人ずつ先輩が機嫌を損ねた理由を考えて答えていき、正解が出るまで続く」(大阪府・53歳・女性)などの被害報告が多数!
そのほか「部活動後のドリンクとしてコカ・コーラは禁止だったが、ペプシはOKだった」(東京都・64歳・男性)や「所属していた卓球部では、すみませんではなく『サーセン』と早口で言わなければならなかった」(千葉県・57歳・女性)といった代々部員同士でつないできたであろう、謎ルールも多くあがった。
「部活の理不尽なルールなんて、あくまで小さな世界でのルールなので、大人になってから『サーセン』なんて上司に言ったらカミナリが落ちますよ(笑)。
ただ、個人的には学生時代に“理不尽”に慣れていたおかげで、現実社会の理不尽に耐えられている部分はあると思います」(ホリさん)
ホリさんが「今も忘れられない」と語る先輩からの理不尽な扱いは、大学時代に遡る。
「大学在学中、文系の広告研究会サークルに所属していました。戦後間もないころに立ち上がったサークルだからか、文系サークルなのに軍隊のような規律がたくさんあったんですよ。例えば、代々受け継がれてきた『旗』は、次期部長と現部長しか触ってはならないという鉄の掟や、納会の1次会と2次会の間に大学の校歌を歌いながら舞うという、儀式のような催しがありました。もしも校歌を間違えれば、先輩にガン詰めされてやり直し。かなり緊張してましたね」(ホリさん)
まるでブラック企業に洗脳されているようだった、と振り返るホリさん。しかし、数年前に同じサークル出身の後輩と話をする機会があり、彼は時代の流れに衝撃を受けたという。
「その子は、僕よりも10歳ほど年下でした。そこで『旗って今も部長しか触れないの?』とか『校歌を歌ってる?』とか、いろいろと質問してみると『何ですかそれ! 今は上級生も下級生も、みんな和気あいあいとやってますよ』と言われてしまったんです。たった10年でここまで変わるとは……。
もちろん、サークルメンバーの仲がいいに越したことはありません。でも、当時の伝統が少しでも残っていたら、あのころの自分の苦労が報われたかも、なんて思いました(笑)」(ホリさん)
部活内で受け継がれる謎ルールがあれば、失われる伝統もある。時代ごとに部活動の変遷をたどっていくと、新たな発見がありそうだ。
「バスケットボール部だった。後輩から先輩に話しかけてはいけないという暗黙のルールがあった。緊急のときは要件を書いた紙を渡した」(東京都・64歳・男性)
「夏の練習時、自分のポジション的に木陰に入る場所にいたら先輩に『陰に入ってんじゃねー!』とキレられて、陰に入っちゃダメというルールを知った」(東京都・50歳・男性)
「吹奏楽部。先輩が楽器や荷物を運んでいると『代わります!』と言って代わりに持たなければならなかった。他のものを次々運んだほうが効率がいいのに」(山形県・35歳・女性)
「吹奏楽部で先輩の唾を拭く雑巾を手洗いしなければいけない」(東京都・49歳・女性)
「卓球部で球拾いのときに爪先立ちで構えていないといけなかった」(千葉県・57歳・女性)
「バレーボール部で、1年生はブルマーしか着用してはダメで2年生以降になるとジャージをはいてもよかった」(大阪府・54歳・女性)
「軟式テニス部。練習中たるんでいるのを先輩に見つかると、電気椅子(空気椅子)といって、壁に背中を当てて存在しない椅子に座る形をとる罰則をやらされた。トレーニング的にも罰則的にも中途半端で意味がない」(神奈川県・66歳・男性)
「華道部。1年と2年が先に帰り3年生だけが残ってやっていた。普通は1年生じゃないの?と思っていた」(北海道・43歳・女性)
「サッカー部の監督が自分の髪を切って『さっぱりしたな~』と言ったら部員全員が丸刈りにしなければならないという暗黙のルールがあった」(埼玉県・36歳・男性)
「陸上部。独特の声かけがあり、先輩が言っているのを聞いて覚えないといけない。伝達事項として紙に書かれてもいないし、メモをしたりしてはいけない」(広島県・38歳・女性)
<取材・文/とみたまゆり>